2026年4月2日木曜日

20260402 先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと

  先週は3/28㈯午前に家を発ち、関空に午後2時頃到着し、そこから日根野駅で特急くろしお号に乗り換えて、紀伊田辺まで行きました。到着は16:30過ぎであり、そこから徒歩で闘鶏神社に向い、当初の予定通りに参拝や所用を行い、安心した心地で紀伊田辺駅まで徒歩で戻ることにしました。さて、以前にも当ブログで何度か述べたように、私は今世紀初年から3年間、紀伊田辺の南に隣接する西牟婁郡白浜町に在住しており、そこでの在住の頃の休日は、よく、自動車や自転車で、ここ紀伊田辺を訪れていたことから、その街並みは、かなり記憶に残っているのですが、かなり久しぶりに訪問した紀伊田辺の駅前の街並みは、和歌山市内のぶらくり丁のようにシャッター街化が進み、私が知る往時の「活気があるコンパクトな地方都市」といった趣は、かなり減衰していました。他方、私が南紀白浜在住当時から知っている、古くからのお店で、現在も元気に営業されているところも点々とありました。その一つが地域を代表する銘菓と云える「辨慶の釜」や「デラックスケーキ」で知られる「鈴屋」さまであり、駅への帰路の途中に立ち寄らせて頂き、翌日の和歌山市での勉強会の際に、出席される方々に供するお菓子として適切であると考えて、こちらの店舗のみでしか購入出来ない、さきのデラックスケーキの切れ端を商品化した「はしっ子」を一人で購入可能なだけ購入させて頂きました。そして、翌日の勉強会の際に出しましたところ、好評であったことから、今回の足を延ばしての紀伊田辺訪問はわずか2時間ほどでしたが、充実したものになったと云い得ます。また、翌日の勉強会では、出席された、かつて院生であった先生方や、当時からの先生の研究の現況や課題などを共有させて頂き、こちらも充実したものになりました。この勉強会は、知る限り、2012年から毎年、半年毎に開催されており、私は概ね参加させて頂いていますが、その規模はあまり大きくもならず、また小さくもならずに継続しています。また、2015年に開始した当ブログにおいても、度々言及しており、私見としては、博士課程修了後の私の知的好奇心や自意識が干上がらず、あるいは破綻せずに、これまで、どうにか生き永らえることが出来た一つの要因であると考えています。そして、今回の勉強会においては、主催されている先生が、今春より、同じ和歌山市内に立地する四年制大学看護学部の教養科目を担当されるとのご報告を頂き、それが、2020年以来、当ブログと連携しているエックス(旧ツイッター)での、つい数週間前(3/16)の私の投稿内容とも被るものであったことから、何とも不思議な感じを受けました。また、我田引水ながら、それとも関連して、和歌山県は、大都市である大阪府と隣接して、人口流出が続きながらも、独自の歴史的背景や文化を持つ地方都市であり、現代の都市的な悪影響が相対的に乏しい環境であり、それこそ、医療系の新大学・学部などの立地には相対的に適しているのではないかと思わるのです。このことは、ここ十年ほど、和歌山市での新大学・学部の設置の様子を観察してきて理解出来たことであり、あるいはこの先も、こうした流れがしばらく続き、そしてその先には、人文系主体であった当地の国立大学法人運営の大学の学部構成にも変化が生じるのこともあるのではないかとも思われるのです。具体的には、口腔保健学科や管理栄養学科を擁する医療系の新学部の新設であったり、あるいは、他の老舗医療系大学との共同出資・運営にて、和歌山市内あるいは、それこそ、さきの田辺市内(臨床実習先となる医療機関は地域内に複数あります)に医療系の専門職大学が新設されると良いのではないかと思われるのです。そして、そうしたスタイル、つまり、欧米文化の真似ではない、我が国なりのSTEM教育を行い、そこにArtの要素を加えた、総合的なSTEAM教育が、今後の我が国に再び、盛運をもたらすのではないかと考えるのですが、さて、実際のところはどうなるのでしょうか…。ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年3月29日日曜日

20260328 言葉の二重構造と記号接地問題

 昨今の世界情勢を俯瞰しますと、我々は一種の奇妙な二重性に直面しているように感じられます。表層においては、ポリティカル・コレクトネス(PC)の浸透により、言葉はかつてなく穏健で配慮に満ちたものとなりました。しかし、その言葉が示す現実の方は、暴力の行使が常態化し、社会的対立はむしろ悪化の一途を辿っているように思われます。この言語と実相との乖離は、単なる政治的修辞の問題ではなく、我々の精神構造の深刻な変容を示唆しているのではないかと思われます。そして、その核心にあるのが、言葉の「接地の喪失」という事態であると考えます。本来、言葉は、物理的現実や身体的経験に接地したものでした。「戦争」という語は具体的な死を、「動員」は身体の強制的な移動を、それぞれ直示的に含意していました。また、正義や信仰といった抽象的な理念語であっても、それは個人の実存を賭けた行為と不可分であり、そうした言葉を発することは、そのまま何らかの代償を伴う行為への入口を意味していました。しかし、近代化に伴う合理化と制度化の過程で、言葉は行為から切り離されていき、言葉が、現実を指し示すものではなく、制度内部で操作される「概念」へと変化すると、第一段階の浮遊が生じました。さらに、とりわけ現代において、かつての統合的な価値体系、いわゆる「大きな物語」が失効すると、理念語は依って立つべき実体を喪失します。歴史観や使命感に代わり、理念語は自らの立ち位置を表明するための「記号」へと変容しました。そして言葉は現実を動かす倫理ではなく、自己像を補完するための道具となったのです。この状況を理解する上で重要であるのが「記号接地問題」の視点であると考えます。本来、記号は物理的実体を示すことで意味を成しますが、現代社会における記号とは、往々にして他の記号のみを参照する自己完結的なループに陥っていると考えます。例えば「抑止力」や「安定化」といった言葉からは、もはや、具体的な破壊や個別の死を直接的には想起させません。それらは政策体系内部で機能する抽象語であり、身体的経験からは断絶しています。つまり、記号は現実の事象ではなく、記号体系の内部で完結されているのです。そして、この接地喪失は、暴力の不可視化とも密接に関連していると考えます。現代の暴力とは、当事者でない限りは、往々にして数値・言語化されたデータとして処理され、画面上で完結されてしまいます。そして、こうした事態に対応して言語も抽象化されて、むしろ暴力を隠蔽するための修辞として機能するようになります。ここで生じるのが、言葉の「無人称化」です。言葉が身体性から遊離しますと、そこには責任を負うべき主体としての「私」が不在となります。そして、ここで興味深い事実は、言葉が現実から遊離しているにもかかわらず、倫理的な語彙だけは増殖を続けている点です。平和や人権、多様性といった言葉が頻繁に語られることで、社会は一見すると道徳的に洗練されたかのように見えます。しかし、その多くは現実の困難さとは関係のない「空虚な理念の言葉」です。この状態こそ、言葉の接地喪失がもたらした現代的ニヒリズムの典型であると考えます。こうして接地をなくした言葉は、無害であると同時に無力です。それは誰も傷つけませんが、現実を変える力も持ち得ません。そこでは言葉は行為の起点ではなく、むしろ行為を遅延させる装置として機能します。つまり、現代社会とは、善に基づく良い言葉が氾濫する「表層」と、暴力が躊躇なく行使される「深層」という二重構造の上に成立しているのだと云えます。言葉が平和を語るその傍らで、現実では情け容赦のない闘争を遂行するという、この乖離こそが、現代社会の根源的な精神的緊張を形成しているのではないかと思われます。そこから、我々が直面している危機の本質とは、暴力そのもの以上に、言葉が、現実を指示する機能を失い、意味や重みを喪失している点にあると考えます。そして、もし、言葉に再び意味や重みを取り戻す方法があるのだとすれば、それは言葉を再度「交換不可能な身体」に結びつける試み以外にはないと考えます。統計上の数値ではなく「一人の死」を語ること、あるいはシステム内部での最適解ではなく、自らの存在に依拠した主張をすることです。言葉が再び現実に接地しますと、同時にそれは我々に痛みや責任を強いるものへと変貌します。しかし、その痛みこそが、我々が、この現実を記号としてではなく、身体を持つ人間である唯一の証であると思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年3月27日金曜日

20260327 2500記事到達に向けた出口戦略について

 あまり良い区切りではありませんが、前回の記事投稿により、総投稿記事数が2435に到達していました。そして、現在、目標としている2500記事到達まで、今回の投稿を含み、65記事の更新を要することになりますが、これは概ね2日に1記事の投稿頻度として考えますと、130日、つまり4カ月と10日近くとなり、現在からですと、8月初旬頃になることが見込まれます。しかし、今から盛夏まで、2日に1記事での更新を継続すると想像しますと、少し気が滅入ってきますが、他方で、目標までダラダラと継続するのも、あまり身が入らないと思われますので、やはり、目標までは、出来るだけ速やかに到達するように、どこかで意識することが重要であるように思われます。
 しかし、当ブログは開始から3年間ほどは、ほぼ毎日、記事更新を行っており、1000記事に到達したのは、開始から3年目の2018年でした。また、その当時の、ブログ記事作成が生活の多くを規定していたような熱量に比べますと、現在の私はどこか冷めてしまっているのかもしれません…。そして、その後もどうにか当ブログは続いて、冒頭にて述べましたように、直近で2435記事までの到達となりました。とはいえ、相変わらず記事作成への意欲は湧かず、むしろ「まだ休止期間中なのだから、更新しなくても良いのでは…」といった考えの方が先に出てきます…(苦笑)。
 そして、そうした内面でありつつも、新たに記事作成をしていることには矛盾も感じられますが、このような「分かっちゃいるけど止められない…。」と云った感覚は、理性での制御が困難になるほどに、ブログ記事の作成と云う行為が浸透している顕われであり、これはむしろ、これまでのブログ継続に伴う、ある種、健全な「業」であるとも云えますので、この調子を自然に維持しつつ、出来れば、本格的な夏に入る前に2500記事まで到達出来れば良いと思います。そして、2500記事まで到達出来ましたら、一度、当ブログからしばらくの期間離れたいと考えています。
 そうしたことから、これからの出口(2500記事到達)に向けた展望を少し具体的に考えてみますと、先ず、現在は3月下旬ですが、ここから盛夏を迎える前の7月上旬での目標到達と設定しますと、残り65記事を約100日間で作成することになります。まず来る4月では、更に20記事以上の更新を目指し、総投稿記事数では2455を目指します。続く5月では、GWなども利用しつつ、更に20記事以上の更新を目指し、2475~2480を目指します。そして続く6月では、そこからさらに20記事以上の更新を行い、出来るだけ6月内での2500記事を目指し、出来なければ、7月にまで延長します。そして2500記事まで(どうにか)到達出来ればと考えていますが、果たしてことは、そこまで上手く運ぶのでしょうか…?また、以前にも何度か述べたことではありますが、当ブログの下書きは、さまざまな状態・出来のものを合わせて300記事以上あります。それらは、作成途中の素材のようなものであると云えますが、それらのなかで、多少加筆をすれば、ブログ記事として投稿出来るようなものは60記事近くはあるのではないかと思われます…。そのため、今後、そちらの掘り出しと加筆にも注力したいところですが、あるいは、その中には、適度に忘れていて熟成しているのも少なからずあるのではないかとも思われます。そして、かつて作成したした断片の文章が、現在の視点と重なることで、何らかの面白い「化学反応」が生じることもあるかもしれません。そうしたことも一つの楽しみとして、今しばらく当ブログの更新を継続します。
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2026年3月24日火曜日

20260324 読んでいる書籍からはじまり、2020年以来の伏線

 以前から引き続き、現在も何冊か書籍を読み進めていますが、そのうちの一冊は、新書であるのですが、これまであまり読む機会がなかった人類学分野の著作であり、さらに、当著作内では、さまざまな分野からの事例の提示や言及などが為されていることから、述べられている内容を速やかに理解しつつ、読む進めることは困難であり、そのため、読む進める速度は、普段よりも有意に遅いのですが、それと同時に、出て来る用語の意味などをネット検索や検討をしつつ読み進めることは、それなりに楽しいとも云えます…。未だ全体の三分の一程度までしか読み進めていませんが、今週末にまた、少し集中的に読み進めたいと考えています。そういえば、今回のように、適当に書き始めたブログ記事の場合、当初から伝えたいと考えていた内容から離れていってしまい、次第にそれを忘れてしまうおそれがあると以前の投稿記事にて述べましたが、今回においても同様であり、書き出しにて、現在読み進めている書籍について述べましたが、その次には、昨年末そして今年初旬での経験から考えていたことについて述べたいと思います。そして、それを述べる前に、去る2023年3月の投稿記事にて「将来のビジョン」として、当ブログを含めた文章の作成を継続しつつ、西南日本(中・四国・九州)の医療系を主とする大学に定期的に訪問、取材させて頂き、月に数本の記事を作成する、おそらくは広報に分類されるようなパートの仕事に就きつつ、さらに先方大学さまの要望をお聞きして、特別講義の講師となる先生の選定や、当初の交渉などを行ったり、あるいは東京・首都圏での就職を希望される学生さんが、さらに能力を伸ばすことが出来そうな就職先医療機関などの選定や見学の交渉なども出来るのではないかとも思われます。こうした仕事は、首都圏に戻った2020年から検討はしていましたが、当時は新型コロナ禍の真っ只中であったことから、そのことを現実に行動に移すことは非常に困難な状況でした。そして、それが徐々にボンヤリとしてしまっていたところ、昨年末に歯科理工学の師匠から「お前はこの先何になりたいんや?」と尋ねられ、さらに人文系の師匠には、今年に入ってから、さきの希望する仕事内容を会話の中でお伝えしたところ「うーん…」といった感じで良いとも悪いとも仰らずに何やら考えられていました。察するに、そうした仕事とは「JREC-IN」にもないことから「どうなのだろうか…?」となったのではないかと思われますが、たしかに、そうした求人は、おそらく、これまではなかったのでしょうが、昨今、時代は大きく変化しつつあります。そして、そのなかで首都圏と立地地域の双方から大学についての情報を発信することは、おそらく当初は、特に金銭的利益は生じないかもしれませんが、そうしたことをある程度の期間継続していますと、また何らかの新たな・悪くない変化が生じる契機になることもあると考えます。そして、このことは2020年から考えておりながらも、あまり明瞭に言語化することは出来ていませんでしたが、ここで、そのことをまた以前よりも多少明晰に、言語化することが出来ました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2026年3月21日土曜日

20260321 人工知能・AIと文章作成でのエラン・ヴィタールについて

 3月も半ばを過ぎて陽気も春めいてきており、昨日3/20(金)は春分の日のために休日でした。そういえば、ここ最近、金曜日が休日であったことは珍しく、私の場合、金曜日は概ね、文章を作成していたり、営業のため外出していたり、あるいは両方を行っていることが多いと云えます。そのため、金曜日が休日であり、文章を作成しないことは珍しく、それが何時になく新鮮に感じられました。また、ここでの文章作成とは、当ブログのそれとは異なり、もう少し科学をベースにしたものが多いと云えます。くわえて、そこで作成する文章の主題は、これまで専攻した分野のものではないことが多いため、講談社の科学系新書のブルーバックスやネット上の英論文などを読みつつ作成するのですが、これらは私が作成する文章としては、比較的硬質なものであると云えます。そして、ここで大活躍するのが、過日の投稿記事にて述べた人工知能・AIであり、これを援用して作成しますと、科学的知見に基づいた文章が比較的容易に作成出来ると云えます。しかしまた、その作成手法は、以前にも述べた通り、未だ発展途上ではありますが、おそらく、その手法を用いれば、より多くの方々が、科学的知見に基づく文章を作成出来るのではないかと考えます。とはいえ、ある程度、科学的な知見に基づく文章であっても、その面白さを決める要因は「論理展開」であると考えます。これを換言しますと、ある事象と別のある事象とに類似、共通する点を見出し、そのことを出来るだけ読み易く、明晰に伝える文章こそが、良い文章であるということになります。それ故、文章の材料となる事象は、科学的知見に基づいていると云い得る文献・資料をあたるのです。そして、それらを自らの専門ではないにも関わらず、読み込み、理解して、自らの見解に落とし込んでいくことは、それなりに大変な作業であり、毎回、上手く、そして面白く「論理展開」が出来ているとは(到底)思えません…。しかしながら、論点となる事象については、先述のような記述に依拠していることから、多くの場合、間違っていないとは思われますので、その先に展開される考えの方が「それは科学的にどうなのかな…?」となることが多いのではないかと思われます…(苦笑)。しかしまた他方で、そこで展開された自らの見解、あるいは視座にこそ、新しい要素があるのだと思われます。そしてまた、そこでの見解や視座は、人工知能・AIでは導き出すことが(現時点では)困難であるものとも考えます。そのため、この金曜日での文章作成は、人工知能を援用しつつも、全体としては、私が作成したものであると云え、そしてまた多少、不遜とも思われるかもしれませんが、出来の良し悪しは別として、私以外では作成が困難であるとも云えます。また、先述のように、そうした文章を作成するためには、文献・資料をあたり、内容をある程度理解して、それを他の既知の事象と関連させる必要があるわけですが、ここが、さきの「論理展開」であり、また同時に、文章のelan vital(エラン・ヴィタール:生の飛躍)と評し得るところであると考えます。そして、こうしたことを当ブログで文章として述べることが出来ていることも、おそらく、以前の私では出来なかったことであると思われますので、やはり、自らの作成出来る文章の幅を広げるためにも、色々な書籍を読み解きつつ、そしてまた一方で、それに基づいた自由度のある文章作成をするのが良いのではないかと考えましたが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?
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2026年3月20日金曜日

20260319 人工知能援用の可能性と素の文体での閃きについて

 2022年の登場以来、ChatGPTなどのAI・人工知能は度々用いており、当ブログにおいても、援用して作成した記事は、少なからずあります。また、私にとって、文章作成のために人工知能を用いることは、現在に至るまで、主な使用目的であると云えます。思い返してみますと、色々試してきましたが、しかしまた同時に、いまだに発展途上であるとも考えていますので、今後も、さらに色々と試したいです。一方、当ブログでの記事作成については、直近の既投稿記事においても少し述べましたが、出来るだけ、人工知能に頼らず、自分の体験に基づく、素の文体での作成を目指すのが良いのではないかと考えます。実際、今回のブログ記事作成においては、人工知能を用いずに、この程度まで、あまり時間を掛けずに作成出来たことは、ブログ記事作成のコツを思い出したのではないかとも思われるところです。ともあれ、こうした文体にて書き連ねていますと、しばしば、興味深い見解のようなものがパッと閃き、それを文章化することが出来、さらに、その文章が、より多くの方々から興味深いと感じて頂ければ良いとは考えていますが、他方で、こうした閃きを毎回得ることは困難であることから、当初から主題を定めずに書き始めた方がむしろ、どうにか読むことが出来る程度の記事にはなるのかもしれません…。しかし、今度はそうした(予め主題を定めない)状態が続きますと、かねてより、当ブログにて述べたいと考えている、いくつかのこと(源泉の感情と云うのでしょうか…)を徐々に忘れてしまうのではないかと思われるのです。先月末の投稿記事にて、紀伊半島西部各河川河口部での南北の地理的勾配と時間的遡行の同期化の感覚について述べましたが、この主題は、その後にも述べた通り、以前から文章化したかったことであると云えます。また、そのことは和歌山市在住時の頃から、何度か、口語としては述べたことがありましたが、そのことを文章化することはありませんでした。また、そうしたことは、地域について何も知らない状態で在住を始めてから、その後になり、その地域で、さまざまな経験を経て得た感覚を、能動的に文章化していると云う意味で、やはり南紀には、何か不思議な人に影響を与える、魅力とも云える地域性があるのではないかとも思われるのです…。そして、そのようなことを文章としている時、つい先日、これまた南紀と関連する、面白いと思われる出来事がありました。それは、以前より私は当ブログを作成している最中、何らかの音声を流すことが時々あります。そして、つい数日前、ある怪談の音声を流しながらブログ記事を作成していますと、そこで流れていた怪談の内容が、南紀在住期間で知った伝説と大変類似していたことです。この怪談動画の舞台は、和歌山の対岸である徳島:阿波としており、あるいは両岸(和歌山:紀州と徳島:阿波)共に、そうした伝説が生じる歴史的経緯はあったことから、それはそれで興味深いのですが、徳島においては四国三郎として知られる四国最大の河川である吉野川の上流に位置する三好市の祖谷地区は、その伝説で割合広く知られています。また、それよりも少しだけ遡りますが、ほぼ同時代の伝説は、和歌山側の田辺市にもあり、そして、その伝説に基づいた名を持つ神社もあります。とはいえ、さきの怪談動画にて偶然聞いた内容については、しばらく考えて、関連すつ書籍なども読みつつ、自然に文章化するまで待つようにします。
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2026年3月16日月曜日

20260316 丁度10年前に作成したブログ記事を見て気が付いたこと

 人工知能の支援を受けずに、ブログ文章の作成を試みる場合、このようにして、とりあえず書き出すのが良いと思われます。また、こうした書き出しの感覚は、PCのキーボードでの文章作成と、ペンを用いて紙面に書き出すのではまた異なり、当ブログ開始当初の頃は、キーボードから始まる文章作成が困難であり、ノートに下書きを書いては、それをPCに入力して作成していた期間がしばらくありました。そのなかで、対話形式の口語体に近い文章であれば、比較的容易に作成出来ることを知り、開始からしばらくの期間は、対話形式のブログ記事が多く、それにくわえて、書籍からの引用記事なども作成して、どうにか記事数を積み上げていました。そうした期間がしばらく続きますと、手書きの下書きを用いない、直にPC入力する対話形式の文体で、ブログ記事を作成することが出来るようになっていることに気が付き、それもまた、しばらく継続していますと、今度は、対話形式の口語体ではない、一人称の独白形式での文章をPC直入力にて作成出来るようになっていました。それは、当ブログ開始から9カ月ほど経った2016年3月頃であり、実際、そのこともブログ記事として記録しているようです。つまり、当時の私はどうにかにして一人称での文章の作成をしようと、色々と試行錯誤をしており、それを続けるなかで、自分なりの一人称での文章を探り当て、そこからさらに紆余曲折を経て、何と云いますか、自分なりの文体を何とか探り当てることが出来たのではないかとも思われます。また、当ブログ開始から2、3年程度は度々「自分の文体」について言及しており、また、そのことは、未だに、自らの文体を確立したとは思っていないことから割合鮮明に憶えています。一方、聞くところによりますと、私の文体はあるとのことですが、作成している当人からしますと、未だにイマイチよく分かりません…。とはいえ、たしかに以前よりかはスムーズに文章を作成出来るようになった実感はありますので、自らの考えや思いを載せる文体は、たしかに以前と比べると、明瞭なものになったのであろうとは思います。それでも、そうした実感は皆無に近いものであり、このことは、以前に述べた当ブログの総投稿記事数が2400を超えていることに対する実感がかなり希薄であることにも通じる何かがあるのではないかとも思われます。そしてまた、今後、さらに継続しますと、自らの文体も、総投稿記事数についても、共に、より明瞭に認識することが出来るようになるのでしょうか?あるいは、継続している限り、そうした認識に至ることはなく、そしてまた、その至らないと云う不全感があることから継続することが出来ているのかもしれません。

20160316 文章が湧き出す源泉とは・・
 これまでしばらく独白形式の文体を用いてブログ記事を書いてきましたが、この場合、記事作成者、つまり私が、読んでくださっている方々に対し、直接語りかけ、問いかけるような感じになると思います。私のブログを読んでくださっている方々とは、否応無く、その殆どが不特定多数となりますので、もしも今後私が何かしら筆禍らしきことをしてしまいますと、炎上等が生じる可能性もあります(もちろん私はそれを望みませんが(笑))。そして、それは作成者である私が自身の名前、写真等を示してブログ記事を書いていることにより容易に可能となります。そして、そうしたことを多少なりとも認識してブログ記事を書いておりますと、やはり何かしら「圧力」を感じるのもまた自然ではないかと思われます・・。また、そうしたことをも勘案し、著述業に携わる多くの方々とは筆名、ペンネームを用いているのではないでしょうか?これを当ブログ記事作成者に適用してみますと、それは単なる自意識過剰であり、不必要であると思われますが、同時に、これまでの対話形式のブログ記事においてA、Bといった登場人物がおり、それらの会話という形式をとってきましたので、今後の作成するブログ記事も、その伝に倣い、A、B何れかの発言という形式にしてみようと思います。
こうしたわずかな変化によって、何かしら、今後の文章、文体に対し影響、変化は生じるのでしょうか?また、そうしたことが生じるとしても、それが自他にとって良いものであるかどうか判断することはなかなか難しいのではないでしょうか?ともあれ、ここまで記事を書いてきましたので、この記事の冒頭にA「そして最後に」を入力してみようと思います(笑)。また、ここで不図思い出したのはゲーテの言葉で「心身を蘇らす泉とは自身の内部になければ心身を蘇らすことはできない。」あるいは「自身のハートから出たコトバでなければ他者のハートを引寄せることはできない。」ですが、何故それらを思い出したのかはよく分かりません・・(笑)。とはいえ、私の場合、そういったものは自身の内部に本当に存在するのでしょうか?また、こういったものは理系、文系問わず重要なのではないかと思います。言語とは、コトバとは、文章とは一体何でしょうか・・(笑)?何れにしても、今後もその多くは拙いとは思いますが、何かしら書き続けてゆこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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