ISBN-10 : 4061495755
ISBN-13 : 978-4061495753
大きな物語の凋落とその補填、というメカニズムは、もう少し視野を広げても位置づけることができる。20世紀の後半はそもそも、日本だけでなく、世界的に、二つの時代に挟まれた大きな変動期だった。50年代までの世界では近代の文化的論理が有力であり、世界はツリー型で捉えられていた。したがってそこでは必然的に、大きな物語がたえず生産され、教育されmまた欲望されていた。たとえばそのひとつの現われが学生の左翼主義への傾倒だった。
しかし時代は60年代に大きく変わり、70年代以降は、逆に急速にポストモダンの文化的論理が力を強める。そこではもはや、おおきな物語は生産もされないし、欲望もされない。ところがこのような変動は、ちょうどその時期に成熟した人々に大きな負担を与える。なぜなら彼らは、世界そのものがデータベース的なモデルで動き始めているにもかかわらず、教育機関や著作物を通じて、古いツリー型のモデル(大きな物語への欲望)を植え付けられてしまっているからだ。結果としてこの矛盾は、特定の世代を、失われた大きな物語の捏造に向けて強く駆動することになる。ここでは詳しく述べないが、たとえば、70年代のアメリカで高まったニューサイエンスや神秘思想への関心、世界的に生じた学生運動の過激化などはそのひとつの結果だと考えられる。そして日本のオタク文化の台頭もまた、やはり同じ社会的背景を共有している。当時の第一世代のオタクにとって、コミックやアニメの知識や同人活動は、全共闘世代にとっての思想や左翼運動ときわめて近い役割を果たしていた。
大きな物語を必要としない世代の登場
しかしそのような複雑な心理がいまでもオタク系文化を規定しているかといえば、それはまた別の問題である。むしろ筆者には、逆に、紺代からポストモダンへの流れは、進むにつれて、そのような捏造の必要性を薄れさせていくように思われる。というのも、ポストモダンの世界像のなかで育った新たな世代は、はじめから世界うぃデータベースとしてイメージして、その全体を見渡す世界視線を必要としない、すなわち、サブカルチャーとしてすら捏造する必要がないからだ。もしそうだとすれば、失われた大きな物語の補填として虚構を必要とした世代と、そのような必要性を感じずに虚構を消費している世代とのあいだに、同じオタク系文化といっても、表現や消費の形態に大きな文化が現われているに違いない。
そして実際にその新しい傾向は、大塚の評論が発表されたあと、90年代の10年間でかなりはっきりと目に見えるものになってきた。90年代のオタクたちは一般に、80年代に比べ、作品世界のデータそのものには固執するものの、それを伝えるメッセージや意味に対してきわめて無関心である。逆に90年代には、原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が自分で勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動が台頭してきた、この新たな消費行動は、オタク自身によって「キャラ萌え」と呼ばれている、後述のように、そこではオタクたちは、物語やメッセージなどはほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している。したがって、この消費行動を分析するうえでは、もはや、それら作品の断片が「失われた大きな物語」を補填している、という図式はあまり適切でないように思われる。