2026年3月21日土曜日

20260321 人工知能・AIと文章作成でのエラン・ヴィタールについて

 3月も半ばを過ぎて陽気も春めいてきており、昨日3/20(金)は春分の日のために休日でした。そういえば、ここ最近、金曜日が休日であったことは珍しく、私の場合、金曜日は概ね、文章を作成していたり、営業のため外出していたり、あるいは両方を行っていることが多いと云えます。そのため、金曜日が休日であり、文章を作成しないことは珍しく、それが何時になく新鮮に感じられました。また、ここでの文章作成とは、当ブログのそれとは異なり、もう少し科学をベースにしたものが多いと云えます。くわえて、そこで作成する文章の主題は、これまでに専攻した分野のものではないことが多いため、講談社の科学系新書のブルーバックスやネット上の英論文などを読みつつ作成するのですが、私が作成する文章としては、比較的硬質なものであると云えます。そして、ここで活躍するのが、過日の投稿記事にて述べた人工知能・AIであり、これを援用して作成しますと、科学的知見に基づいた文章が比較的容易に作成出来ると云えます。それでも、その作成手法は以前にも述べた通り、未だ発展途上ではありますが、おそらく、その手法を用いれば、より多くの方々が、科学的知見に基づいた文章を作成出来るのではないかと思われます。しかし、ある程度、科学的な知見に基づく文章であっても、その面白さを決める要因は「論理展開」にあると考えます。これを換言しますと、ある事象と別のある事象とに類似、共通する点を見出し、そのことを出来るだけ読み易く、明晰に伝える文章こそが、良い文章であるということを念頭に置きつつ、毎週、金曜日での文章作成をしているということになります。それ故、文章の材料となる事象は、科学的知見に基づいていると云い得るブルーバックスや論文などをあたるのです。そして、それらを自らの専門ではないにも関わらず、読み込み、(自分なりに)理解して、自らの見解に落とし込んでいくことは、私にとっては、それなりに大変な作業であり、毎回、上手く、そして面白く「論理展開」が出来ているとは(到底)思えません…。しかしながら、論点となる事象については、先述のような文章の記述に依拠していることから、そこでの記述は多くの場合、間違っていないとは思われますので、その先に展開される考えの方が「それは科学的にどうなのかな…?」となることが多いのではないかと思われます…(苦笑)。とはいえ、そこで展開された自らの見解あるいは視座にこそ、新しいものがあるのだと云えます。そしてまた、そこでの見解や視座は、人工知能・AIでは導き出すことが(現時点では)困難であるものと考えます。そのため、この金曜日での文章作成は、人工知能を援用しつつも、全体としては、私が作成したものであると云え、そしてまた多少、不遜とも思われるかもしれませんが、出来の良し悪しは別として、私以外では作成することが困難であるとも云えます。また、先述のように、そうした文章を作成するためには、参考資料となる書籍や論文を読み、内容をある程度理解して、それを他の既知の事象と関連させる必要があるわけですが、ここが、さきの「論理展開」であり、そしてまた同時に、文章のelan vital(エラン・ヴィタール:生の飛躍)と評し得るところであると考えます。そして、こうしたことを当ブログで文章として述べることが出来ていることも、おそらく、以前の私では出来なかったことであると思われますので、やはり、自らの作成出来る文章の幅を広げるためにも、色々な書籍を読み解きつつ、そしてまた一方で、それに基づいた自由度のある文章作成をするのが良いのではないかと考えましたが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?
ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年3月20日金曜日

20260319 人工知能援用の可能性と素の文体での閃きについて

 2022年の登場以来、ChatGPTなどのAI・人工知能は度々用いており、当ブログにおいても、援用して作成した記事は、少なからずあります。また、私にとって、文章作成のために人工知能を用いることは、現在に至るまで、主な使用目的であると云えます。思い返してみますと、色々試してきましたが、しかしまた同時に、いまだに発展途上であるとも考えていますので、今後も、さらに色々と試したいです。一方、当ブログでの記事作成については、直近の既投稿記事においても少し述べましたが、出来るだけ、人工知能に頼らず、自分の体験に基づく、素の文体での作成を目指すのが良いのではないかと考えます。実際、今回のブログ記事作成においては、人工知能を用いずに、この程度まで、あまり時間を掛けずに作成出来たことは、ブログ記事作成のコツを思い出したのではないかとも思われるところです。ともあれ、こうした文体にて書き連ねていますと、しばしば、興味深い見解のようなものがパッと閃き、それを文章化することが出来、さらに、その文章が、より多くの方々から興味深いと感じて頂ければ良いとは考えていますが、他方で、こうした閃きを毎回得ることは困難であることから、当初から主題を定めずに書き始めた方がむしろ、どうにか読むことが出来る程度の記事にはなるのかもしれません…。しかし、今度はそうした(予め主題を定めない)状態が続きますと、かねてより、当ブログにて述べたいと考えている、いくつかのこと(源泉の感情と云うのでしょうか…)を徐々に忘れてしまうのではないかと思われるのです。先月末の投稿記事にて、紀伊半島西部各河川河口部での南北の地理的勾配と時間的遡行の同期化の感覚について述べましたが、この主題は、その後にも述べた通り、以前から文章化したかったことであると云えます。また、そのことは和歌山市在住時の頃から、何度か、口語としては述べたことがありましたが、そのことを文章化することはありませんでした。また、そうしたことは、地域について何も知らない状態で在住を始めてから、その後になり、その地域で、さまざまな経験を経て得た感覚を、能動的に文章化していると云う意味で、やはり南紀には、何か不思議な人に影響を与える、魅力とも云える地域性があるのではないかとも思われるのです…。そして、そのようなことを文章としている時、つい先日、これまた南紀と関連する、面白いと思われる出来事がありました。それは、以前より私は当ブログを作成している最中、何らかの音声を流すことが時々あります。そして、つい数日前、ある怪談の音声を流しながらブログ記事を作成していますと、そこで流れていた怪談の内容が、南紀在住期間で知った伝説と大変類似していたことです。この怪談動画の舞台は、和歌山の対岸である徳島:阿波としており、あるいは両岸(和歌山:紀州と徳島:阿波)共に、そうした伝説が生じる歴史的経緯はあったことから、それはそれで興味深いのですが、徳島においては四国三郎として知られる四国最大の河川である吉野川の上流に位置する三好市の祖谷地区は、その伝説で割合広く知られています。また、それよりも少しだけ遡りますが、ほぼ同時代の伝説は、和歌山側の田辺市にもあり、そして、その伝説に基づいた名を持つ神社もあります。とはいえ、さきの怪談動画にて偶然聞いた内容については、しばらく考えて、関連すつ書籍なども読みつつ、自然に文章化するまで待つようにします。
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2026年3月16日月曜日

20260316 丁度10年前に作成したブログ記事を見て気が付いたこと

 人工知能の支援を受けずに、ブログ文章の作成を試みる場合、このようにして、とりあえず書き出すのが良いと思われます。また、こうした書き出しの感覚は、PCのキーボードでの文章作成と、ペンを用いて紙面に書き出すのではまた異なり、当ブログ開始当初の頃は、キーボードから始まる文章作成が困難であり、ノートに下書きを書いては、それをPCに入力して作成していた期間がしばらくありました。そのなかで、対話形式の口語体に近い文章であれば、比較的容易に作成出来ることを知り、開始からしばらくの期間は、対話形式のブログ記事が多く、それにくわえて、書籍からの引用記事なども作成して、どうにか記事数を積み上げていました。そうした期間がしばらく続きますと、手書きの下書きを用いない、直にPC入力する対話形式の文体で、ブログ記事を作成することが出来るようになっていることに気が付き、それもまた、しばらく継続していますと、今度は、対話形式の口語体ではない、一人称の独白形式での文章をPC直入力にて作成出来るようになっていました。それは、当ブログ開始から9カ月ほど経った2016年3月頃であり、実際、そのこともブログ記事として記録しているようです。つまり、当時の私はどうにかにして一人称での文章の作成をしようと、色々と試行錯誤をしており、それを続けるなかで、自分なりの一人称での文章を探り当て、そこからさらに紆余曲折を経て、何と云いますか、自分なりの文体を何とか探り当てることが出来たのではないかとも思われます。また、当ブログ開始から2、3年程度は度々「自分の文体」について言及しており、また、そのことは、未だに、自らの文体を確立したとは思っていないことから割合鮮明に憶えています。一方、聞くところによりますと、私の文体はあるとのことですが、作成している当人からしますと、未だにイマイチよく分かりません…。とはいえ、たしかに以前よりかはスムーズに文章を作成出来るようになった実感はありますので、自らの考えや思いを載せる文体は、たしかに以前と比べると、明瞭なものになったのであろうとは思います。それでも、そうした実感は皆無に近いものであり、このことは、以前に述べた当ブログの総投稿記事数が2400を超えていることに対する実感がかなり希薄であることにも通じる何かがあるのではないかとも思われます。そしてまた、今後、さらに継続しますと、自らの文体も、総投稿記事数についても、共に、より明瞭に認識することが出来るようになるのでしょうか?あるいは、継続している限り、そうした認識に至ることはなく、そしてまた、その至らないと云う不全感があることから継続することが出来ているのかもしれません。

20160316 文章が湧き出す源泉とは・・
 これまでしばらく独白形式の文体を用いてブログ記事を書いてきましたが、この場合、記事作成者、つまり私が、読んでくださっている方々に対し、直接語りかけ、問いかけるような感じになると思います。私のブログを読んでくださっている方々とは、否応無く、その殆どが不特定多数となりますので、もしも今後私が何かしら筆禍らしきことをしてしまいますと、炎上等が生じる可能性もあります(もちろん私はそれを望みませんが(笑))。そして、それは作成者である私が自身の名前、写真等を示してブログ記事を書いていることにより容易に可能となります。そして、そうしたことを多少なりとも認識してブログ記事を書いておりますと、やはり何かしら「圧力」を感じるのもまた自然ではないかと思われます・・。また、そうしたことをも勘案し、著述業に携わる多くの方々とは筆名、ペンネームを用いているのではないでしょうか?これを当ブログ記事作成者に適用してみますと、それは単なる自意識過剰であり、不必要であると思われますが、同時に、これまでの対話形式のブログ記事においてA、Bといった登場人物がおり、それらの会話という形式をとってきましたので、今後の作成するブログ記事も、その伝に倣い、A、B何れかの発言という形式にしてみようと思います。
こうしたわずかな変化によって、何かしら、今後の文章、文体に対し影響、変化は生じるのでしょうか?また、そうしたことが生じるとしても、それが自他にとって良いものであるかどうか判断することはなかなか難しいのではないでしょうか?ともあれ、ここまで記事を書いてきましたので、この記事の冒頭にA「そして最後に」を入力してみようと思います(笑)。また、ここで不図思い出したのはゲーテの言葉で「心身を蘇らす泉とは自身の内部になければ心身を蘇らすことはできない。」あるいは「自身のハートから出たコトバでなければ他者のハートを引寄せることはできない。」ですが、何故それらを思い出したのかはよく分かりません・・(笑)。とはいえ、私の場合、そういったものは自身の内部に本当に存在するのでしょうか?また、こういったものは理系、文系問わず重要なのではないかと思います。言語とは、コトバとは、文章とは一体何でしょうか・・(笑)?何れにしても、今後もその多くは拙いとは思いますが、何かしら書き続けてゆこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

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2026年3月15日日曜日

20260314 実感を伴わない集積された数値が意味すること…

 そういえば、前々回の記事投稿により、総投稿記事数が2430に到達していたようです。ここ最近は、気が付かないほど、投稿記事数に無頓着になりましたが、それでも継続をしていますと、徐々に、次なる目標である2500へ近づいて行くようです。そして、もう少し投稿頻度を上げて継続しましたら、あるいは、来る6月の当ブログ開始から丸11年までには2500記事に到達することが出来るのではないかとも思われます。2500記事と考えますと、未だに現実感は皆無ですが、既に超えた2400記事もまた、超えたという実感は希薄であると云えます…(苦笑)。とはいえ、当ブログ開始から丸3年程度は、現在と比較しますと、かなり意識して毎日ブログ記事の作成を心掛けていました。また、その当時はブロガーのみでの投稿であり、ツイッター(現:エックス)などsnsとの連携はしていませんでしたので、ただ毎日、概ね決まった時間帯に淡々と当ブログの記事作成をしていました。そして、そのようにして当初の1000記事は作成してきたと云えますので、既に2400記事を超えた現在であっても、あるいはそのような態度の方がブログの継続には向いているのかもしれませんが、2020年よりツイッター(現:エックス)との連携をはじめたことが、当ブログの作成スタイルにも影響が生じ、未だ紆余曲折を経ているのであると云えます。とはいえ、現在となっては、2020年から現在までの期間の方が、開始から2020年までの期間よりも長くなり、また、投稿記事数も多くなっていますので、開始から2020年までに身に着いたブログ記事の作成という習慣が、定着して、どうにか現在にまで至っているのだと云えます。しかし、それと同時に思ったことは、2020年と云えば、新型コロナウィルス感染症が猖獗をきわめた年であり、それに伴い、それまで、国際社会である程度流通していた自由主義的な言説・価値が危機により省みられなくなり、そして感染症が少し落ち着いたその翌(2021)年にNATOがアフガニスタンから全面的に撤退して、国際協力による治安維持の限界が示され、さらに翌(2022)年2月、同じくアフガニスタンで、かつて痛い目にあったロシア(当時はソ連)がウクライナに全面侵攻しました。これを契機として国際情勢がさらに不安定化し、そして翌(2023)年10月、パレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマースがイスラエル国内に越境攻撃を行い、そこから、イスラエル対ハマースをはじめとするイスラム原理主義軍事組織との軍事衝突が生じ、それが紆余曲折を経て、現在(2026年3月)にまで至っていると云えますので、世界規模での感染症の蔓延により国際社会が急激に内向きとなり、そして、一連の戦争や軍事衝突が連鎖的に生じたのだと思われますので、2020年以降からの当ブログの継続は、それ以前からの継続があったことから、どうにか、さまざまな書籍を読んだり、報道動画を視聴して、情報を得るように心掛けて、それらを自分なりに加工し、あるいは、関連すると思われる著作の記述などを引用記事として発信することなどが出来たのではないかと思われます。このように考えてみますと、2020年以降の、当ブログとSNSとの連携は、投稿頻度は落ちたものの、以前のように、淡々とブログ記事を作成するのではなく、SNSとの連携により、外向的にならざるを得なかったことから、このような様相での継続に到ったのではないかとも思われるのです。とはいえ、ほかにもまだ述べたいことがありますが、それにつきましては、また次回以降に述べたいと思います。とはいえ、本来、当ブログとは、こうした文章が主たるものであり、それが時々、何らかの契機により、筆(?)が乗り、通常よりも深いこと、面白いことなどを文章化することが出来ていたようなものですので、あるいは、この調子での文章作成であれば、あまり肩肘を張らずに作成出来ると思われますので、もう少し投稿頻度を上げることを試みても良いのではないかと思われましたが、さて、実際のところはどうなるでしょうか?

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2026年3月12日木曜日

20260312 「源泉の感情」の言語化について:地理的勾配と時間遡行との同期化

 先月末、2/27の投稿記事にて述べた内容は、その後、何度か、類似・関連する主題の既投稿ブログ記事をあたったところ、直近(2/27)のそれが、最もその内容を文章として表現出来ていることに気付かされました。とはいえ、こうしたことは、これまでにも度々ありましたが、2/27の投稿記事は、私にとって特に重要な主題であり、そこで述べた地域の歴史に対する認識・理解の仕方こそが、これまでに何度か表現を試みた主題を最も的確に文章化し得たものと云えます。それ故、類似した主題でのブログ記事の作成も決して無意味なものではなく、むしろ、文章としての洗練化の過程で、不可欠なものであるようにも思われるのです。その意味において、自らマンネリ・惰性感をあまり感じることなく、能動的に文章を作成することが出来る分野・題材を持つことは、単に専門分野を持つこと以上に、自らにとって資する何かがあるのではないかとも思われます。そして、そのためには、均衡のためにも、何らかの継続的なインプットも必要であると考えますが、私にとって、このインプットの主なものが読書であると云えます。直近での記事投稿後も、現在に至るまで毎日、何らかの著作や論文などは読み続けており、さらに、当ブログ以外での文章作成も継続的に行っていることから、ここでの記事作成も、躊躇することなく取組めています。とはいえ、これまで述べてきたなかで、やはり重要であるのは、直近の投稿記事にて述べた『紀伊半島西南部を南下し、紀ノ川、有田川などの渡河に伴い、風景の「自然」が優勢になるだけでなく「時代」をも遡行する「地理的勾配(南下)と時間的遡行の同期」の感覚』を、これまでで最も明晰に文章化することが出来たと云う実感であると云えます。おそらく、これこそが当ブログ開始当初の頃から伝えたかった内容の一つであり、また、当ブログの「源泉の感情」の一部であるとも云えます。そして、それを文章化することが出来た実感からか、ある種の安堵感と共に、気の緩みも生じ、くわえて、最近の三寒四温での寒さから、積極的な新規でのブログ記事の作成には至らなかったと云うのが状況の説明として妥当ではないかと思われます...。しかし他方で、ここで斯様に、そのことを題材として、新たにブログ記事を作成してみましたところ「いや、もっと上手く説明することは出来るのではないか?」であるとか「まだ他にも文章化することが出来る関連する題材はあるぞ…」といった思いが反応のように沸々として生じてくるのです…(苦笑)。また実際、私は当ブログでの題材に困りますと「当ブログについて」と「紀州・和歌山ネタ」と、書籍からの引用記事の何れかを選択する傾向があると云えます(笑)。その意味で、これら三つの要素は、私にとって、文章を作成し、掘り下げる度に、新たな考えが生じると云った、なかなか尽きることのない鉱脈であると云い得ます。そして、先述の安堵感からの気の緩みを経て、本格的な春への季節の推移に伴い、また徐々に当ブログでの記事作成も活性化させていきたいとは考えていますが、さて、どうなるものでしょうか?
 ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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Gemini の回答

2026年2月27日金曜日

20260227 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地③

 以前にも述べましたが、当初私は、北海道から南紀白浜への転勤が大変に嫌でしたが、否応なく始まったそこでの生活を通じ、地域の自然風土や歴史文化に興味を持つようになり、それが、かねてよりの大学院進学への希望と歯車が噛み合い、動き出し、そして県北部の和歌山市に在住することになりました。つまり、はじめは、都市からは遠く、南方的な自然が横溢とした南紀に住み、次に、大都市である大阪府にほど近い、県庁所在地の和歌山市に在住したことになります。そして、この在住の順序は、現在考えてみますと、前出、コンラッド著「闇の奥」の記述に惹かれたことにも関連があるように思われるのです。と云いますのも、直近の投稿記事にて「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べましたが、これは、紀伊半島西南部を流れる、北から紀ノ川、有田川、日高川、南部川、会津川、富田川、それぞれの河川流域で歴史の積層の様相が認められ、また、歴史の推移についても、流域毎に類似する点もあれば、異なる点もある様相が認められたからであると云えます。そして、現代でのその様相もまた同様であり、たとえば、紀ノ川であれば地域で最も栄えている和歌山市を流れ、次いで有田川であれば、紀ノ川下流域ほどには栄えてはおらず、川を南北から挟む紀伊山地から延びた山並みには、一面に蜜柑の樹が植えられており、その花が咲く5月頃の有田市や少し上流の有田川町では、以前述べた2月下旬頃のみなべ町の梅の花の薫りのように、さらに規模も大きく、蜜柑の花特有の、あの爽やかで甘い薫りが地域一帯を包み込むのです。つまり、有田川下流域一帯は、紀ノ川のそれと比べ、より自然が多く、他方、建造物が少なくなり、また、それら建造物も紀ノ川下流域と比べ、時代が遡るものが目立ちます。そこから、紀伊半島西南部を流れる各河川流域の景観をも含む様相とは、紀ノ川から有田川そして日高川と南下に伴い、その様相が示す時代も遡り、最南部に位置する富田川まで行き、その河口部に立ちますと「たしかに紀ノ川よりも河川の規模は小さいけれども、こうした景観は、往古、神武東征の頃の紀ノ川河口にも似ているのではないだろうか?」と考えさせられるのです。また、そうした考えは、有田川や日高川などを渡る際にも想起せられます。そうしますと、紀伊半島を和歌山市から南下して、途中、各河川を渡るに伴い、段々と時代が遡っていくような感覚を覚えるのではないかと思われるのです。実際、当時、私はそのように感じられ、その感覚は南紀白浜在住時では得られることはなく、その後、和歌山市在住時に紀ノ川大橋を自転車で渡っている時に、周囲の景色を見て、不図、そのように感じられたのです。そして、そうした感覚を保持しつつ、過日、引用記事として投稿したコンラッド著「闇の奥」導入部の記述、そして、それに触発されて私が作成した当ブログ投稿記事を読んで頂きますと、さきに「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べた、その背景にある感覚をもう少し、ご理解あるいは共感して頂けるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

*三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」
pp.19-21より抜粋
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625

「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。
 そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。
 だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。
 しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。
 急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。
 物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。
 さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。
 ―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
 兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
 彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。
もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。
 あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。
まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。
 そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。
ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。
 嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ」

*ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで…M2病の妄想?

「この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。

ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガフレイザーバタイユコンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・

『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』」

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年2月25日水曜日

20260226 株式会社文藝春秋刊 池田俊彦著「生きている二・二六」 pp.31-33より抜粋

株式会社文藝春秋刊 池田俊彦著「生きている二・二六」
pp.31-33より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4163413502
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163413501

 全員集結が終ったところで、栗原中尉は、かねてから話しておいた通り今日は愈々昭和維新を決行すると述べ、次いで蹶起の趣意書を読み上げた。

 謹ンデ惟ルニ我神洲タル所以ハ、万世一系タル、天皇陛下ノ下ニ、挙国一体生成化育ヲ遂ゲ、終ニ八紘一宇ヲ完フスルノ国体ニ存ス。此ノ国体ノ尊厳秀絶ハ天祖肇国、神武建国ヨリ明治維新ヲ経テ益々体制ヲ整ヘ、今ヤ方ニ万邦ニ向ツテ開顕進展ヲ遂グベキノ秋ナリ
 然ルニ頃来遂ニ不逞凶悪ノ徒簇出シテ、私心我慾ヲ恣ニシ、至尊絶対ノ尊厳ヲ藐視シ僭上之レ働キ、万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、従ツテ外侮外患日ヲ逐フテ激化ス
 所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等ハコノ国体破壊ノ元兇ナリ、倫敦海軍軍縮条約、並ニ教育総監更迭ニ於ケル統帥権干犯、至尊兵馬大権ノ僭窃ヲ図リタル三月事件或ハ学匪共匪大逆教団等ノ利害相結ンデ陰謀至ラザルナキ等ハ最モ著シキ事例ニシテ其ノ滔天ノ罪悪ハ流血憤怒真ニ譬ヘ難キ所ナリ。中岡、佐郷屋、血盟団ノ先駆捨身、五・一五事件ノ噴騰、相沢中佐ノ閃発トナル、寔ニ故ナキニ非ズ
 而モ幾度カ頸血ヲ濺ギ来ツテ今尚些カモ懺悔反省ナク、然モ依然トシテ私権自慾ニ居ツテ苟且偸安ヲ事トセリ。露支英米トノ間一触即発シテ祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲ一擲破滅ニ堕ラシムルハ火ヲ睹ルヨリモ明カナリ
 内外真ニ重大危急、今ニシテ国体破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ、稜威ヲ遮リ御維新ヲ阻止シ来レル奸賊ヲ芟除スルニ非ズンバ、皇謨ヲ一空セン。恰モ第一師団出動ノ大命渙発セラレ、年来御維新翼賛ヲ誓ヒ殉死捨身ノ奉公ヲ期シ来リシ帝都衛戍ノ我等同志ハ、将ニ万里征途ニ上ラントシテ而モ省ミテ内ノ亡状ニ憂心転々禁ズル能ハズ。君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中枢ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能ク為スベシ。臣子タリ股肱タルノ絶対道ヲ今ニシテ尽サズンバ破滅沈淪ヲ飜スニ由ナシ
 茲ニ同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、奸賊ヲ誅滅シテ大義ヲ正シ、国体ノ擁護開顕ニ肝脳ヲ竭シ、以テ神洲赤子ノ微衷ヲ献ゼントス
 皇神皇宗ノ神霊冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ

昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
外同志一同

 次いで部隊の編制を下達し、進行順序は第一小隊、第三小隊、第二小隊、機関銃隊とした。なお合言葉として「尊王、斬奸」の四字を決めた。「尊王討奸」という合言葉を使用した部隊もあったが、我が機関銃隊は「尊王斬奸」であった。また栗原中尉は三銭切手を出して「これは我々同志の印である」と軍帽の裏側に貼ってある個所を示した。