pp.124-127より抜粋
ISBN-10 : 4309407811
ISBN-13 : 978-4309407814
それで、あなたの占領時代についての考えを聞きたいと思うんだ。年はいくつだった?
野坂:戦争が終わったときは十四でした。そのときは、ごく卑俗な意味でいって、価値が全部ひっくりかえってしまった。それをまざまざとみてきたんです。だいたい僕は満州事変のころに生まれて、ずっと戦争のなかで育ってきたんです。新聞の第一面はいつも戦争の記事だったし、戦争は日常茶飯事のことだったわけです。戦争がなくなるという状態は、まず考えられなかった。それが突如、昭和二十年になくなっちゃった。そして進駐軍が日本にやってきて、最初にかちんときたのは、キューキューと日米親善。 ーサンキューとエクスキューズ・ミーで親善だというんで、そんな新聞記事をみて、こんなばかばかしいことがあるか。この前まで鬼畜米英といってたのが、すっかりがっかりしちゃって、それが僕の原体験に近いようなものになった。それからあとは、一切何も信じない、自分自身さえうまく生きてゆけばいいんで、他人を裏切っても、嘘をついても、首吊りの足を引っ張ることをやってもかまわないという気持でしたね。それに、戦争で全部ひっくりかえったところでも、大人のようにはなりきれなくて、やっぱりアメリカ人には強い憎しみをもっていた。パリなんかで、自分の目の前で親父がナチスに銃殺されたとかいう実際的な感じではなくて、僕らの場合には、空襲で雲の上から爆弾、焼夷弾がどこかまわず落ちてきた、相手がさっぱりわからない。そこでは具体的にちっとも憎しみを感じなかったけど、実際問題として進駐軍がやってきて、ホッペタの赤い奴が町を歩いてるのをみると、こんなでかい、強そうなやつと、なんで喧嘩をしたんだろうという気持はあった。ただ、こいつたちがおれたちをひどい目にあわせたんだ、この野郎という気持だった。だから横浜の裏通りで、五、六人でアメリカ兵をぶんなぐって溜飲を下げていた。そして昭和二十七、八年までは、アメリカ人をみると、なんとかうまくごまかして生きてやろうという気持がずいぶんありましたね。
三島:それは政治家だって、あの時代はそうだと思う。吉田茂がそうでしょう。僕は今でも吉田茂は偉い人だと思うけど、明治以後の日本の歴史で、あんなに日本人の欺瞞をうまく成功させたのは、あの人だけでしょう。それはどこから学んだかというと、イギリスですね。 日本の政治家は少なくとも正義、真実あるいは誠実という顔をしていなければならなかった のに、吉田茂の時代には国民全体が欺瞞の精神に味方をした。あんなにアメリカ人をもてあ そんだ人はいないよ。それにまたみごとに乗せることができたのは、イギリス的な教養が彼 にあったからだけど、イギリス的な教養は日本の昭和の歴史のなかでは、いつも無力だった。 いつも国家主義者の怨嗟の的であり、日和見主義、無力の標識、不決断の象徴であった。ところが吉田茂は、そのイギリス的な教養を逆に使って、欺瞞にうまく役立てた。これは近代史のなかで、面白い時代だと思う。あんなに日本人のなかで、 欺瞞がうまくいった時代はなかったと思う。それからあとはだめです。政治家がどんな欺瞞をやっても、国民がついてゆかない。国民の考えていることと、欺瞞とがみごとに一致した時代はもうこないでしょう。 今はただ欺瞞と腐敗があるだけで、国民だれもが味方をしていない。あなたも、そして僕も怒っているのは、それですよ。欺瞞のまま、これからどこへゆくかということは心配でしょう。
野坂:あまり心配じゃないんです。今まで一所懸命、日本はもっとりっぱに、男らしくな らなければいけないと思ってきたけど、考えてみると、むしろ日本の男はもっとフニャフニ ャになった方が、そして社会全体の組織も完全に植民地化して、僕らフィリピンの男が女たらしで、ジャズばかり歌って、何もできない、とてもあいつらには戦争なんかできないと思ったけど、それと同じように日本人もなったほうがいいのかもしれない、落ちるところまで 落ちちゃってね。
三島:学習院のころの友だちで、まだ戦争の激しかった昭和十七年ごろ、日本も早くフィリピンみたいにならないかな、と言っていた奴がいましたよ。でも、かなり今までにあったんじゃないかな、そういうことは。
野坂:今までにあったけど、まだアメリカの日本に対するイメージは、硫黄島、サイパン とか、日本は強い国だというほうが多いでしょう。そして今の日本人は憎しみも悔いも、あまりもっていない。人種差別もないし、共産主義に対しても、たとえば小汀利得がアカはいかぬと言っても、なぜ悪いのかわからない、若い連中はとくにそうだと思う。だれに対しても憎しみをもてない。自分の生命、財産を脅かすはっきりした形をとってくれば別だけど、 それよりもむしろ妥協して、ニコニコ笑いながら話して、なんでも解っちゃうみたいでしょ う。それなら、むしろそれを助長して、いっそ完全な植民地化しちゃったほうがいいんじゃ ないかと思う。