2016年2月4日木曜日

20160204 祝200記事達成

A「お陰様で、次に作成する記事により自身の文章および書籍の抜粋のみで200記事となります。また、偶然でしょうが本日(2/3)で私のブログの表示回数が10万に到達しました。
昨年の6月にこのブログをはじめて8ヶ月あまりで、この表示回数とは、多いのか、少ないのかわかりませんが、何れにしましても一つの良い区切りになります。そして、本日記す予定のブログを含め全200記事のうち、自身の作成記事は80以上であり全体の40%以上となりました。今後もできるだけ自身の作成記事の割合を増やしてゆきたいところですが、一方において、書籍の抜粋記事を作成することにより、様々な発想も思い浮かぶようですので、これもまた同様に続けてゆきたいです。ともあれ、次の具体的な目標は、自身の作成記事数を100にすることですね・・。」

B「はあ、次に作成する記事でAさんがキーボードに打ち込んだ投稿記事数が200になるわけですか・・。あと、自分で作成された記事数が80以上とのことですが、これも結構な分量になったのではないですか?私も仕事柄、色々と書きますが、Aさんの作成記事のようなものは書いたことがありません。書いてみたら案外面白いのかもしれません・・(笑)。」

A「ええ、しかしBさんでしたら背景、引き出しが私よりも豊富であると思いますので、もっと面白いものを書くことができるのではないでしょうか?また、こうした試みはこれまでに為されたことがあるかわかりませんが、たとえば、私の作成ブログのような対話形式文章内での発言に対し、さらにツッコミ、注釈を別の人物(複数でも可)が加えてゆくなどというのはどうでしょうか?つまり対談に基づいた別次元での対談とは、あまり聞いたことがありませんので、案外面白いのができるのではないかもしれません・・(笑)。」

B「うーん、どうでしょう・・。それは面白いかもしれませんが、しかし、そうしたことは江戸期の儒学者においても多く見られたことではないでしょうかね?当時彼等が読んでいた中国の思想的な古典とは、多く問答、対話形式であり、その言動の間にある思想を考察、推理するのが彼等の主なアプローチの仕方でした。ですから、彼等の持つ書籍の多くの頁には多く付箋が貼られ、同様に注釈が書き込まれていたそうです。また「古事記」の読解で有名な本居宣長も「古事記」に対して、そのようなアプローチを用いて読解、解釈していったのでしょう・・。ですから後に儒教的な思想を「漢心」(からごころ)として排斥していた本居宣長ではありましたが、日本最古とされる古典「古事記」に対して彼が用いたアプローチの仕方とは、実は「漢心」にかなり由来するものであったのではないかと思います・・。そして、こうした事情から否応無く生じるジレンマとは、おそらく古くから現代に至るまで続いているのではないでしょうか・・?」

A「はあ、なるほど、そういわれますとたしかにそうかもしれませんね・・。また、そうしますと、我が国における何といいますか国粋派、開明派間の対立の背景、原因といったところに関心が向いてゆきますね・・。現代では様々な解釈があるようですが、たとえば6世紀後半における物部氏、蘇我氏の対立、抗争の背景にもそういった要素があるといわれております。また、近代においては19世紀後半、幕末期の攘夷派、開国派間の抗争などもそうであり、明治維新後の神風連の乱、西南戦争などにおいてもそういった背景が少なからずあるのではないかと思います・・。さらに、丁度現在の我が国社会においてもそうした対立はあるのではないでしょうか・・?」

B「・・ははあ、なるほど、それは丁度200回目のブログ記事のネタとして、なかなかふさわしいかもしれませんね・・(笑)。」

A「ええ、ですから、また個人特定の要素を除いて、この会話をブログのネタにさせていただきます(笑)。ともあれ、我が国における国粋派、開明派間の争いとは、他の国々においてはどのような背景によって争われているのでしょうかね?」

B「・・分かり易い例として、戦間期におけるドイツの国民社会主義政党、つまりナチスの勃興、台頭の社会背景みたいなものが挙げられるのではないでしょうか・・?」

A「・・はああ、なるほど、そうしますと、それまでの平穏な社会が、何かしらの外来の要素によって乱されたと社会に広く認識されると、それに反応して、強い凝集性を持つ国粋主義的な傾向を持つ勢力が台頭してくるといったところでしょうか?」

B「ええ、まあ、そうですね、そして偶然であるかもしれませんが、今の発言にあった「凝集性」とは、多くの国粋主義的な勢力が持つ特徴であるとされています。

また、それは戦前の我が国の社会においても同様の傾向があったのではないかと思います。この場合の凝集性とは、御存知であると思いますが、明治維新後に恣意的な政策により、そのような傾向を持つようになったのか、あるいはそれ以前からそうした傾向が社会全般にあったのかわかりません。ともあれ、そうしたことを考える際にヒントとなりそうなものとして、現在も西日本に幾つか残る旧国造家が、その地域社会において、歴史を通じどのような存在として認識されてきたかを考えてみますと、何となく理解に近づくことが出来るのではないかと思います・・。」

A「・・なるほど、そうしますと、元来我が国の社会とは、そこまで凝集性が強くはなかったけれども、一方において恣意的な政策、操作により、そうした傾向らしきものを社会全般に惹起し易い側面も持っているといったところになるのでしょうか・・?」

B「うーん、そこまでは、言い切れませんが、そのような側面も持っているのかもしれません・・。とはいえ、私はそうした凝集性自体は特に悪いものではないと思います・・。
むしろ良い側面も多くあるのではないかと思います。しかしながら、厄介なことは、覇権を狙うある勢力が、そうした傾向を自身の利己的な目的を遂げるために利用しようとすることではないでしょうか・・。」

A「ええ、それはよくわかりますね・・。しかし、そうした考えとは、現在までのところ、あくまでも理想論でしかないところがなかなか残念なところですね・・(苦笑)。」