碩学舎発行 中央経済社発売 クレイトン・M・クリステンセン ジェローム・H・グロスマン ジェイソン・ホワン 著 山本雄士 的場匡亮 訳「医療イノベーションの本質」
pp.394-396より抜粋
ISBN-10 : 4502125911
ISBN-13 : 978-4502125911
以下の記述についてよく考えてほしい。虫歯は予防可能だという事実があるにもかかわらず、歯を失う理由の一番に挙がる慢性疾患であり、2歳から5歳の子供の4分の1以上、12歳から15歳の子供の半数以上、40歳以上の成人の90%以上が虫歯を持つ。虫歯は全世界の50億人を苦しめ、特に低所得世帯に影響を与えている。世界の公衆衛生における関心事に対応する、破壊的イノベーションの機会が存在すべきである。
1つの事例がある。しかし、患者のためにやっているせいで、それを必要とする人々になかなか届けられないでいる。既存の提供者が直接攻撃を受けたときに、規制が患者保護から提供者保護へと、どのように形を変えるかを表した事例として、マサチューセッツ州で起きていることを良く考えてほしい。
歯科衛生士が法律を制定しようと働きかけている。その法律では、特別に訓練された衛生士が歯科医師の直接の監督下になくても歯をきれいにし、フッ素塗布ができるようになる。マサチューセッツ歯科医師会は住民の安全を引き合いに出して、声高にこれに反対した。さらに、医師会は代替案を出したー歯科医の直接の監督下で、歯をきれいにし、詰め物さえできる特別に訓練された歯科補助者という異なる階級の創設である。マサチューセッツ歯科衛生士協会(MDHA)は、歯科補助者の誕生によって”資格のある歯科衛生士を締め出し”かねないと反対声明を出した。どう見ても、マサチューセッツ州は破壊的イノベーションからの直接的な攻撃を巡る長い闘いに向っている。予想通り、組織や専門家は自らの食い扶持を守るために闘うのである。
しかし、着目する人々が少ない場所では歯科診療は破壊されている。アラスカ先住民族保健コンソーシアム(ANTHC)は2000年に、郊外の歯科サービスの欠如に対応するため、州を説得し歯科保健補助療法士(DHAT)という新種の歯科職種を創設させた。モデルは90年以上前にニュージーランドで導入され、明白な成功を収めたもので、同様のプログラムはカナダやイギリスを含むその他42の国に存在している。実際、歯科治療の教育を受けた最初のアラスカの学生は、米国にそのようなプログラムがないためニュージーランドのオタゴ大学歯学部に通った。DHATの教育期間は歯科医教育の最低4年間に対して2年間であり、給与は年間6万ドルで一般的な歯科医の3分の1程度である。
2003年以降、アラスカ農村地域のDHATは定期的な症例検討という間接的な監督のみでクリーニング、削る、詰める、抜歯などのサービスを提供している。現在、10人のDHATがアラスカの20の村で役目を果たしているー以前は訪問歯科医による歯科診療が毎年1週間か2週間のみ存在した地域である。ワシントン大学歯学部教授による2005年の質評価報告は以下のとおりである。
私はベセル、バックランド、シャングナックの歯科診療所に対する4日間の査察で、2005年初頭からアラスカ原住民にプライマリケアを提供している4人の歯科保健補助療法士の臨床成績を評価した。彼らの成績はあらゆる点で私の定めた診療の基準に合致したものであった。基礎教育と、それに続く研修によって有能な医療提供者が生み出されている。各人が基本的な予防サービスだけでなく、詰め物や抜歯など不可逆の歯科処置を含む簡易な治療を提供する実力を備えている。彼らの患者マネジメントスキルは標準的な診療を上回っている。彼らは診療範囲の限界を熟知しており、それを越えようという素振りは見せなかった。彼らは患者の安全を脅かす可能性のある臨床状況を認識し、それを避ける能力があることを複数の場面で見せてくれた。私は現地調査を通じて、アラスカ原住民に有能で安全なプライマリケアを提供できるような歯科療法士を教育するのは不可能であるとした歯科医や歯科学会の主張は大げさだと確信した。
米国歯科医師会やアラスカ歯科学会は、DHATの侵入を阻止しようと2006年にアラスカ上級裁判所に差し止めを要求し、監督下にない歯科サービスを提供する許可を彼らに与えることに予想通り反対している。判事はANTHCを支持し、"アラスカ州試験委員が農村地域のアラスカ原住民を対象とした歯の健康を担当した場合、多数の健康目標で・・(中略)未達成が続くだろう”と評価した。歯科医師による十分なサービスを住民が享受していない残り48州の郊外でもDHATがすぐに許可されるようになるだろう。最終的に破壊的イノベーションはマサチューセッツ州にもたどり着くだろう。しかし、2つを結ぶ最短距離は直線ではないのだ。