かねてより、何やら面白そうな場面に私を呼んでくださる方々がいらっしゃることは、大変ありがたいことであり、また、その場での経験を通じ「ははあ、世の中は今、こう動いているのか・・。」といったことが体感を通じて理解出来るようになると云えますが、他方で、おそらく私はビジネスセンスといったものはなく、取柄といえば、こうして自身の感覚にて文章として残すことぐらいではないかと思われます・・(苦笑)。
また、呼んでくださる方々は、それも先刻ご承知であるように思われるのですが、それでも呼んでくださっているのは「あるいは他にも深い意味があるのかもしれない・・?」と私としては少し深読みしてみたくもなります・・。いや、実際、深い意味はないのかもしれませんが・・(苦笑)。
また、私は宮仕えは至極向いていない方であると認識していますが、他面において、何か新しく面白いことを考える、また、それを実現させるような方々は、実際にお目に掛かり、お話しを伺っていると、大体は分かるようにも感じられます・・。
私自身はそうしたイノベーター型の人間ではありませんが、そうした方々が話される内容は、そのビジョンが「ああ、なるほど・・。」といった感じで可視化出来る(腑に落ちやすい)といった共通する特徴があると云えます・・。
それは、コトバの強さや、身振り手振りの派手さといった演技・技巧的なものではなく、ご自身が話される内容の世界観をどれだけ精確に把握しているか、といったことであるように思われます。
つまり、演技でなく「本当に確信がある」ということであると思われますが、それでも、その世界観(ビジョン)が実際に具現化するかどうかは分かりませんが、少なくとも、具現化するビジョンと、その方法についての現実的な筋道を立てておられる方が、そうでないものと比べ、具現化はし易いように思われます。
ともあれ、そのように考えてみますと、自身には何やら「狂言回し」的な「その周囲で何やらコトが進んだり、繋がっていく」といったところがあるようにも思われてきます・・。
また、ここからは多少突飛な意見にはなりますが、諸産業による実社会において、人文社会科学もしくは、そうした教養の持つ重要な意味とは、様々な要素が散らばる中で「何と何が合うか」をまさに「何となく適切に」判断出来ることであり、そうした感覚とは、映画であれ、音楽であれ、あるいは哲学などの思想であっても、その基層には「共通するマトリックスのような感覚」があり、それが所謂「教養」と称されるものであるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?
そして、また、こうした「教養」とは、我が国古来からの「巫女的予言」と本質的に対立するものであることから、なかなか社会において認められないのかもしれません・・(笑)。
~勉強会の御案内~
tsurukiclinic2001@gmail.com