A「先日来より記してきた記事にて用いた硬質な文体とは、記した後の疲労感が、そうでない文体にて記した場合と比べ、多少大きいと思われることから、一旦この文体にて記すことを止め、以前からの文体にて記してみようと思います。
また、それと同時に、自身の記す文体とは、その同時期に読んでいる書籍の文体からの影響をも少なからず受けるのではないかと思われます。
それ故、英語の書籍を読んでおりますと、その時に記す日本語の文体とは、英文和訳のような、いささかぎこちないともいえる文体となるのではないかと思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、直近まで用いてきました硬質な文体とは、現在の私にとって、その出だしにおいては調子が良いのかもしれませんが、どうもその継続が困難であり、且つ、この文体においては、文章の記述方法(内容ではない)における創造、あるいは良い意味での脱線が生じにくくなるのではないかと思われます。
それ故、私見ではありますが、おそらく論文などで多く見られる硬質な文体とは、このブログ記事のような即興的な散文に適したものではなく、時間をかけ、推敲に推敲を重ね、内容に矛盾、論旨に破綻が生じないように作成するカチッとした論文にこそ相応しいのではないかと思われます。
また、読み手側としても、硬質な文体にて記されたものは、そうでないものと比べた場合、若干読む際の疲労の具合が異なるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
さて、ブログ記事の文体については、このあたりにします。
今回投稿する記事により総投稿記事数が460となります。
先日の450記事到達から考えますと、これは早いのか、遅いのかよく分かりませんが、何れにせよ、お蔭様でまた一つの里程標を目にすることが出来ました。どうもありがとうございます。
また、そうしますと、残り40記事にて500記事に到達する次第ですが、今年が残りあと70日未満ですので、現在のペース(1日1記事)にて記事を作成し続けることにより、特に無理なく、年内に500記事に至ることが出来ると思われます。
そして、この500記事に至りましたら、ブログ記事の作成を一旦、意識的に止めてみようと思います。
そして、そうすることにより、自身の内外に何かしら多少の変化が生じ、それを感じ取ることが出来るのでしょうか・・?
これは正直なところ自身のことではありますが、苦労して作製した試料を試験機にかけ、さらにそれ(試験機にかけた試料)を電子顕微鏡にて観察する時のような好奇心が惹起することが認められます・・(笑)。
また、ここまで記しており不図思い起こしたことは、かつての鹿児島在住時、ミクシィというSNSにて、こうした文章、記事らしきものを作成していたのですが、その際は記事も現在投稿しているブログ記事よりも全般的に短く、また週1回程度の更新であったことです。
その時から比べますと、現在のブログ記事更新の頻度とは、劇的に増加しており、またそれが私が鹿児島在住の期間において進化発展した能力の一端ではないかと考えられます・・(笑)。
また、こうしたことは、当然ではあるかもしれませんが、おそらく外観からの認識、判別が困難ではないかと思われます。
とはいえ、作成者自身からしますと、この間には明らかに何かしらの内面での少なからぬ変化が生じたのではないかとも思われるのです・・。
こうした変化を的確(しかも、この場合の的確とは何か?)に言語化、文章化することは果たして可能なのでしょうか・・(笑)。
そしてまた不図思ったことは、おそらくこうしたことは、これまでいくつか過去の出来事をブログ記事として言語化、文章化することにより、はじめて思い起こし、考えのようなものとして、述べる、記すことが出来るようになったのではないかということです・・。
そうしますと今度はゲーテの
「歴史を書くのは過去を脱却する一つの方法である。」
あるいは同じく
「人間の最大の値打ちは、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、できるだけこれを左右するところにある。世界の一切は、建築家の前にある大きな石切場と同じように、われわれの前に横たわっている。建築家の本領は、この偶然自然の石塊から、できるだけ経済的に、目的にかなうように、しっかりと、自分の心の中に生じた原型を作り上げるところにある。われわれの外部にある一切のものは要素に過ぎない。否、われわれにくっついている一切のものも要素に過ぎないと言ってよいだろう。しかし、われわれの奥深くには、あるべきものを創りだすことのできる創造力がある。その力は、われわれが、あるべきものを、われわれの外部に、あるいはわれわれの身辺に、何らかの方法で現すまでは、われわれを安らかにさせない。」
といったコトバを思い起こさせます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震における被災地の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」