さて、おかげさまで昨日投稿分の記事も比較的多くの方々に読んで頂けたことから『記事作成を継続していますと、閲覧者数も少しづつ増えてくるものなのだろうか?』とも思われるのですが、それでも現在の閲覧者数の平均は以前、首都圏在住時に比べますと、有意に減少しております。
一方、これまた以前に聞いたハナシにて『引越し・転居をするとブログ閲覧者数が増加する傾向がある。』といったものがありましたが、これはどうしたわけか、自身に関しては当て嵌まらないようです。あるいは今後、記事作成を継続していきますと、また持ち直し、増加してくるものなのでしょうか?しかし、それもこれも、とりあえずは記事作成を継続しないことには始まりませんので、本日もまた記事作成を行うことは良いことなのでしょう・・(笑)。
しかし他方で『もう十分に書いたから、もう記事作成を止めてもいいだろう・・』といった内心の声もないではなく、特に、本日のようにあまり記事作成に乗り気でない日などは、内心での葛藤を抱きつつ、時折貧乏ゆすりをしながら記事作成を行っています・・(苦笑)。とはいえ、こうして葛藤をしつつ作成した記事であっても、投稿してしまえば、それは一つの自身のログとなり、記事数としてカウントされるものとなるのです・・。
これは当たり前と云えば当たり前のことではありますが、こうした当たり前のことを続けることが思いのほかに難しく、その多くは、途中何処かで挫折して止めてしまうのです・・。こうしたことは、これまでの自身の人生で少なからずあったことから、そこからの反省の意味も込めて、このブログ記事の作成はもうしばらく、自身が深く納得するまで継続してみたいと思うのです・・。
また、それは『そこにどんな意味があるのか?』と問われたならば、究極的には返答には窮してしまうような不合理な衝動によって為されていると云えるのですが、我々を取り囲むさまざまな機器の進化発展により、合理性が重視・評価され、良いものとされる昨今のご時世ではありますが、その根源に横たわる我々の能動性の本質とは不合理なものであるように思われるのですが、これに対して一体どのような合理的な解釈が為されるのでしょうか?
しかしながら、おそらく、この我々の内部に抱える不合理ともいえる能動性こそが、さまざまな文明・文化におけるキー・ストーン・要石のような役割を持っているのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか?