たしかに源義経は我が国歴史でのヒーローの一人ですが、この地に他所から移り住んだ人間としては『何故、同時代の土着勢力の誰かすぐれた働きをした人物を、たとえ知名度が全国規模でなくとも、顕彰しようとする方向に行かなかったのだろうか?』といった疑問もまた湧いてくるのです。
他の例を挙げるならば、6世紀に九州北部にてヤマト朝廷に対して反旗を翻した筑紫君磐井あるいは19世紀以降の南九州における西郷隆盛などは、行った行為は、それぞれ時の中央権力に対する反逆・反抗ではありましたが、そうであっても、少なくとも、それぞれの地元・在地においては現在においても郷土の英雄とされています。
これと同じ図式をかりそめに四国東部に用いますと、たとえば、田口成良をあまり全国的な知名度が高くなくとも福原【神戸】造営の【知られざる】立役者として顕彰することなどは、少なくとも地域にとっては意義があるのではないかとも思われるのです・・。
その点、鹿児島市は幕末から明治初期にかけては特に、多くの人々が、この地より雄飛していきましたが、それら方々の顕彰碑・生家跡の碑などは西南戦争にて官軍・西郷軍の何れかに与したかは関係なく、に少なからず市内にありました。
このように考えてみますと、地域毎の地元から出た『すぐれた働きをした人』に対する考え方の違いがあるように思われてきます。
そして、その『考え方の違い』は『どのような考え方、枠組みを用いるのが適当であろうか?』と、しばし考えてみますと、それは先日読了した著作『ホモ・デウス』の影響によるものでしょうか主知・主意・主情主義といった考え方・枠組みが想起されます。つまり、地域における『すぐれた働きをした人』を判断する基準が主知であれば理性・知識にて、主意であればその精神性・意志にて、そして主情であれば感情・情緒にて判断する傾向があるといった感じにて考えていきますと、ある程度、地域におけるその判断基準の傾向のようなものを見出すことが出来るのではないかと思われます。
この視点から、さきの鹿児島について考えてみますと、こうしたことに関しては比較的開放的であり、そして主意と主情主義が混淆する判断基準の傾向があるように思われます。また、徳島については、さきの小松島市の源義経像から考えてみますと、地域よりも全国規模にて知名度のある人物を銅像のモデルとしたことから、主知・主意主義が混淆する判断基準の傾向があり、さらに、そこから地域における実際の生活・価値基準と、外向きに用いる諸価値基準の二つ【ダブル・スタンダード】があるように思われ、何と云いますか、若干閉鎖的な主知主義といった感じがあるように思われます。【それを極端にしたものが『面従腹背』ではないでしょうか?】
しかし、もう少し考えてみますと、徳島に限らず、この『閉鎖的な主知主義』【ちなみに我が国のこの主知の『知』においては、人文社会科学的要素は希薄であり、ナチスドイツの強制収容所における人間をも実験試料のように扱うといったヒューマニズムの欠如といった性質が(無自覚のままで)あるように思われます。】は、我が国のさまざまな組織に普通一般に見られるものであり、また、それは良くも悪くも我が国社会における、さまざまな事物のガラパゴス化を招来させ、あるいはブラック企業蔓延の主たる要因であるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?
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ISBN978-4-263-46420-5
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