2021年1月5日火曜日

20210105【架空の話】・其の60 【其の55の続き】

こうして出会う自然に身に着いた職業的とも云える几帳面さもまた、当時の私にとっては、さきの「とり天」と同様、新鮮なものに感じられた。

さて、こうして思いがけず院長と昼食をご一緒させて頂くことになったが、その献立は思いのほかに質素であり、メインのとり天、そして、ごま塩がかかり、梅干しがのった雑穀入りのご飯と、切り干し大根の煮物、そして削り節が添えられた輪切りのオクラ、それにインスタントのわかめの味噌汁と、温かいお茶といったものであった。

それでも院長は実に美味しそうに弁当を食べつつ、鹿児島はオクラの名産地であることや、とり天につけるポン酢がこだわりの一品であり、学会の支部会にて訪問した博多にある水炊き専門店の特製であることや、もう一つの調味料であるゆず胡椒は、大分県の名産であり、その製造元は作家の野上弥生子の実家であることなどを話してくれた。

このポン酢は私もご相伴にあずかったが、たしかにスーパーに置いてある一般的な市販のポン酢とは、明らかに味の奥行きや、鼻に抜ける柑橘と醤油の合さった食欲を増進するあの独特の薫りなどが異なり、これであれば、淡泊な味わいの「ささみ」のとり天も、美味しく食べられること請け合いであろうと思われた。

とり天は本来「ささみ」だけでなく「もも」や「むね」を用いるのであるが、院長は健康のためとのことで「ささみ」のみで注文しているとのことであった。

とはいえ、それはまだどうにか若者に属する私にとっても十分に味わい深いものであり、あるいは、用いる鶏肉自体の質が異なるのではないかとすら思われた。ちなみにさきのポン酢については、後年、私も博多訪問の折、中洲川端まで出向き、準備中であったお店を訪ね、頼み込んで購入させて頂いたといった後日談がある・・。

近年では多少事情も異なったと云えるかもしれないが、概して関東に比べ西日本の方がポン酢を用いる食文化は発展しているように思われる。また、基本が塩味といえる醤油に果物(柑橘)由来の酸味をかけ合わせて新たな味を創造(止揚)しようとする傾向は、何となく東アジア南方にその起源があるのではないかとも思われた。

まあ、もともと柑橘は、あまり寒いところでは実らないといった植生的な事情もあるのだが・・。

ともあれ、このため、さきに述べた献立からは少し想像できないほどの口福を頂き、食後のお茶を飲んでいると院長が「ときに君は、さきほど話した五代前の我々の共通のご先祖のお墓が「南洲墓地」にあるのを知っているかね?」と訊ねてきた。

私が父から聞いたのは、五代前のご先祖だけがねむる墓でなく、いわば一族の墓であり、その墓については、これまで聞いたことがなかったことから「いいえ、それは知りませんでした・・。それが「南洲墓地」・・というところにあるのですか?」と訊ね返すと「ああ、そうだったのか・・。うん、まあ、それもそうかもしれないな・・。と云って、傍らにあったメモパッドを開いて、思い付いたように、コートハンガーに掛けてある白衣の胸ポケットから、ペリカンの万年筆を取って来て、それを用いて何やら書き始めた。手元を見ていると、どうやら墓域を示したものであるらしく、墓地入口と南洲墓が書かれ、そして、そこを基点として墓のある位置を示したものであると思われた。

書き終わると「これで墓のある大体の場所は分かると思うから、あとは地域の勉強だと思ってご自分で探してみなさい。そして花でも手向けてあげると、泉下のご先祖「***さあ」も喜んでくれるかもしれない。」と云って、年の割には人懐っこく、そしてイタズラっぽい笑顔で、そのメモ紙を私に手渡した。

さて、この経験および、その後の経験も踏まえて思うことは、Kの男性、いや女性も実はそうであるのかもしれないが、こうした見様によれば重いようなことを、敢えて笑顔で冗談のようにして云う傾向があることで、あるいはこれは、本当に辛い歴史を持ち、そして、その記憶を持ち続けようとする人たちの、涙で記憶を曇らせないための或る種の知恵であるのかもしれない・・。

とはいえ、そのようなことを彼等・彼女等に云ってみたところで、これまた冗談にされることは請け合いであるとから、それは、これまで口にしたことはない・・(笑)。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




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