2023年5月4日木曜日

20230504 東京堂出版刊 マラート・ガビドゥリン 著 中市和孝訳 小泉 悠監訳「ワグネル プーチンの秘密軍隊」 pp.293-295より抜粋

東京堂出版刊 マラート・ガビドゥリン 著 中市和孝訳 小泉 悠監訳「ワグネル プーチンの秘密軍隊」
pp.293-295より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4490210787
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4490210781

この本は一人の傭兵とその仲間たちの武勇譚というよりも、むしろ、ロシアが傭兵制度をいかに利用しているかに光を投げかけたものである。傭兵とは西側諸国に特有の現象で、傭兵制度は資本主義の怪物が生み出したものであると教え込まれているが、われわれもまた、海外で自国の権益を拡大するために傭兵を利用している。我が国の政治家は、ロシアの民間軍事会社については控え目に口を閉ざし、そういう民兵組織を利用しているという噂をまるごと否定するとともに、国民に対して集中的プロパガンダを展開し、ロシアにはロシア独自の外交政策があるという考えを叩き込み、傭兵部隊に関する疑問については直接的な答えを避けている。

 こういう現状は誰の利益になっているのか?まずは国民に食わせてもらっていて、自分たちがその国民の役に立っていると思い込ませようとしている者たちに。例えば、シリアに駐留しているロシア軍の将軍たちは「誰もいない」キャンペーンを巧みに駆使して、兵士の犠牲はたいしてないという錯覚を生み出した。だが、イスラム国との戦争で命を落としたロシア市民の実際の数は、公式データと食い違っている。シリアで戦死したロシア人傭兵の数は、正規軍兵士の死者数をはるかに上回っているのだが、流血のない戦争という神話を維持するため、民間軍事会社の介入そのものが国民に隠されている。シリアに駐留するロシア軍人はみな、イスラム国に勝利するために本当は誰が体を張ったのかを知らない国民からちやほやされ、誇らしさに浸っている。

 政治指導者たちもまた、「きわめて道徳的な我が国の価値観にそぐわない現象」と高言する傭兵制度から恩恵を得ている。アサド政権を救ったことで、ロシアは世界各地のあらゆる犯罪者どもの庇護者かつ救済者としての地位を確立した。ロシア外交と政治の裏でうごめく人間にとって、アフリカ大陸は有望な新天地となることだろう。アフリカで権力を握った指導者どもは、シリア政府に対するロシアの支援に目をつけ、自国の豊かな金やダイアモンドや石油などの鉱物資源をロシアの手に渡してもよいという素振りを見せている。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
この本は、一人の傭兵と彼の仲間たちの勇敢な物語というよりも、むしろロシアが傭兵制度をどのように利用しているかを明らかにしたものです。傭兵というのは西側諸国に特有の現象であり、傭兵制度は資本主義の悪例が生んだものだと考えられていますが、ロシアも自国の権益を海外で拡大するために傭兵を使用しているのです。我々の政治家たちは、ロシアの民間軍事会社については口を閉ざし、その存在を否定して、ただ、ロシアに独自の外交政策があるというイメージを国民に植え付けて、傭兵部隊に関する疑問には直接答えずに避けています。
しかし、このような現状は誰のためになっているのでしょうか?それは、国民に食わせてもらっている政治家や軍人たちにとって都合がよく、自分たちが国民の役に立っているという錯覚を生み出しているのです。例えば、ロシア軍の政治家や将軍たちはシリアに駐留している間、兵士たちが犠牲になっている印象を与えないようにしています。しかし、実際には、ロシア市民のシリアでの死者数は公式データとは異なり、ロシア人傭兵の死者数は正規軍兵士の死者数をはるかに上回っています。つまり、民間軍事会社の介入が国民に隠され、流血のない戦争という神話を維持するために、ロシア政府はこの事実を隠しているのです。ロシア軍人たちは、誰が犠牲になったかを知らずにイスラム国に勝利し、国民から称賛を受け、誇らしく思っているのです。政治指導者たちも、傭兵制度が我が国の道徳的な価値観にそぐわないという言葉を口にしながらも、実際には傭兵制度から利益を得ています。ロシアはアサド政権を支援することで、世界中の犯罪者たちを庇護し、救済する立場を確立しました。ロシア外交や政治の裏で活動する人々にとっては、アフリカ大陸が有望な新天地となるでしょう。アフリカの指導者たちは、ロシアがシリア政府を支援していることに注目し、自国の豊かな鉱物資源(金、ダイアモンド、石油など)をロシアに売却する意向を示しています。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです②☟
この本は、一人の傭兵と彼の仲間たちの勇敢な物語というよりも、むしろロシアが傭兵制度をどのように利用しているかを明らかにしたものです。ロシアは自国の権益を海外で拡大するために傭兵を使用しており、政治家たちはその存在を否定し、ロシアに独自の外交政策があるというイメージを国民に植え付けています。しかし、実際には、ロシア市民のシリアでの死者数は公式データとは異なり、ロシア人傭兵の死者数は正規軍兵士の死者数をはるかに上回っています。これは、民間軍事会社の介入が国民に隠され、流血のない戦争という神話を維持するために、ロシア政府がこの事実を隠しているためです。政治指導者たちは、傭兵制度が我が国の道徳的な価値観にそぐわないという言葉を口にしながらも、実際には傭兵制度から利益を得ており、アフリカ大陸での鉱物資源の取引に注目しています。ロシアはアサド政権を支援することで、世界中の犯罪者たちを庇護し、救済する立場を確立しました。

20230504 筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」 pp.165-167より抜粋

筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」
pp.165-167より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480073957
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480073952

2015年に入ると、彼らはシリアにも派遣された。ロシア航空宇宙軍の空爆開始に先立ち、潰滅的な状況にあったアサド政権のテコ入れを図るのがその目的であったと見られている。実際、元軍人を中心に構成され、戦車などの重装備も与えられたワグネルはKSSOの特殊作戦部隊と並んで有力な戦力となり、パルミラやデリゾールの奪還では中心的な役割を果たしたとされる。

 だが、彼らが完全にロシア政府のコントロール下にあるのかどうか、疑われるような事態も発生している。2018年2月7日深夜から翌8日にかけて、アサド政権側の1個大隊がクルド人勢力の支配下にあるユーフラテス川東岸に侵入し、米軍の猛烈な空爆で撃退された事件がそれである。この地域は米露の仲介で合意された非戦闘地域に当たっていたことから、アサド政権側の停戦合意違反とされ、ロシア側も表向きはこれを非難する側に回った。

 しかし「コメルサント」(2018年2月14日)によると、この侵攻作戦にはワグネルのコントラクター600人が加わっており、ロシア政府の許可を得ずにデリゾールの石油精製施設を占拠することを目的としていたという。

 これに先立つ2017年12月12日、AP7通信は、ワグネルの活動にはプリゴジン氏の個人的な経済的利権が関連していると指摘していた。ワグネルのフロント企業であるエヴロポリス社はワグネルのコントラクターがISから奪取し、警備する施設から得られる石油・ガス収入の25%を得る約束になっていたという。デリゾールにおける出来事は、こうした利権獲得を目指す軍事活動であった可能性がある。

 さらに2017年以降には、ワグネルはアフリカでの資源利権確保のためにも投入されているという情報が見られるようになった。知られている限りでは、スーダンの金鉱山警備や中央アフリカの金。ダイアモンド鉱山警備などが主なところで、そのいずれもがプリゴジン氏の関連企業が開発利権を得ている場所であった。(Marten 2019)。ちなみに中央アフリカでは2018年7月、ワグネルの活動を追っていたドキュメンタリー番組の撮影チーム3人が何者かに殺害されているが、ロシアの民間団体「ドシヨー・センター」は携帯電話の通話記録などを独自に調査した結果、プリゴジン氏の周辺が殺害を命じた可能性が高いと結論づけている(Meduza 2019.1.10.)。

 こうした動きを見る限り、ロシア政府のために戦闘任務を担う見返りとして外国の資源利権を獲得する権利を与えられる。というのがワグネルの「事業モデル」であるようだ。




 


 


 

20230503 視覚による認識の違いと「耳」から「眼」への感覚の変化について:銅鐸の変遷から

GWとはいえ旅行などに出かけることもなく過ごしていますが、久々に数本の映画作品をDVDで視聴しました。ここ最近は映画作品を最初から最後まで視聴することはなかったことから、これはなかなか新鮮に感じられました。また、書籍も何冊か読み進めていますが、ここ最近で気が付いたことは、スマートフォンをしばらく使用すると、その後の書籍など紙の文章を読み進めることが、とても辛くなるということです。これは以前から感じていたことですが、年齢のためであるのか、以前よりも顕著になってきたと感じられました。そして私としては、今しばらくは紙の書籍を読みたいと考えていますので、今後は以前よりもスマートフォンの使用時間を出来るだけ減らしたいと考えています。他方、PCの画面であれば、それ以前から用いていて慣れているためであるのか、読書との相性が悪いとは感じたことがありませんでしたので、スマートフォンとPCでは、眼に与える影響が異なるのかもしれません。あるいは、スマートフォンも継続的に使用して慣れてきますと、そこまで苦痛を感じなくなるのかもしれません・・。

そして、これもまた先日の投稿記事にて述べました「同じ視覚による認識であっても文字による文章を目で読み認識する」ものと「マンガなどの画像を見て感覚的に認識する」ものとでは性質が異なるのではないか?とも何か関連があるのかもしれません。また、こうしたことを書いていますと、これまでに何度か当ブログにて述べました、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸の我が国での伝播、およびその発達の様相での特徴が想起されてきます・・。

朝鮮半島・中国東北部から北部九州に齎されてからごく初期の銅鐸は、概して小型で装飾性に乏しく、これは本来の用途である「鐸」から逸脱せずに「鳴らす」機能を重視していたと推察されることから、これら初期的な特徴を持つ銅鐸は「聞く銅鐸」として分類されます。

これらの銅鐸は当時の祭祀でどのように用いられていたのか分かりませんが、ああしたベル型の金属器は、後世の寺の釣鐘ほどではないでしょうが、叩くと特有の金属音がして、それが金属器自体が乏しかった当時の人々としては、神秘的に感じられたことは感覚的にも納得出来ます。

そしてまた、この初期型・比較的小型の「聞く銅鐸」は、主に西日本にて比較的早い段階から集落として栄えた地域での出土が多く、その典型は奈良や香川であると云えます。これを異言しますと、弥生時代の西日本にて、相対的に早い段階から水稲耕作を生産手段として栄えた地域にて多く出土するのが前出の比較的小型の「聞く銅鐸」であると云うことになります。くわえて、その出土数は当時の耕地面積から推測される社会規模と比べて相対的に少なく、おそらくは社会規模が大きくなる以前から、代々、それらの銅鐸が音を鳴らす祭器として認識されていたのだと推察されます。

やがて、それらの社会(ムラ)がさらに発展して大規模になってきますと、そこから比較的近い水稲耕作に適した他の土地に移住して、新たなムラが営まれるようにになりますが、こうしていわば分村して成立した社会においても銅鐸を用いた祭祀は行われ、あるいは、そうした新たなムラに、もとのムラから祭器として新たな銅鐸が授けられるような仕組みがあったのではないかとも思われます。

ともあれ、こうして分村により成立した新たなムラにおける銅鐸祭祀は、当初からの特徴的な金属音よりも、銅鐸自体の見た目の壮麗さなどが重視されるようになる傾向があると云え、そこから、大型・高装飾化した比較的後期からの銅鐸は、さきの「聞く銅鐸」に対して「見る銅鐸」として分類されます。

もちろん、この銅鐸の大型・高装飾化の背景には、鋳造技術の進歩により、作成可能になったのですが、しかし、それと同時に、やはり「聞く」から「見る」を重視する感覚の変化といったものが少なからず関与しているのではないかとも思われるのです。そして、当時の我が国では文字・漢字は(殆ど)入ってきていませんので、さきに述べました「文章と画像の視覚認識の違い」と同じではありませんが、この銅鐸に関する、いわば「耳」から「眼」への感覚の変化の背景には、一体何があり、そしてまた、そうした現象は、その後の歴史の推移においても看取出来るのであろうかと考えてみますと、それはそれでまた興味深いものがあるように思われるのですが、さて、これも実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。