pp.85-89より抜粋
ISBN-10 : 4861100585
ISBN-13 : 978-4861100581
古代には土地はそれぞれの魂をもつと信じられていた。これを国魂と呼んでいる。国魂は国の生命であって、それを身につけたものが、その国の支配者になることができる。どのような権力者であっても、国魂を身につけないと戦いに勝てないし、国魂から見放されれば、その国を支配することもできない。諸国に国魂を祀った神社があるのはそうした考えに基づいている。
琉球の最古の歌謡集「おもろそうし」巻十一には、
島が命
国が命 みおやせ
という言葉が出てくる。これは島や国に命があって、それを奉れ(みおやせ)という意味である。島や国を献上するというのではなく、島の命、国の命を献上するというのであって、明らかに服属のしるしである。島の命を島魂、国の命を国魂と置きかえることができる。島も国も生命をもっていたことは生国とか生島という名を冠した神社があることではっきりしている。
大嘗祭では悠紀・主基の両国から天皇を賛美する風俗歌が献上されたが、その歌には必ず地名が詠みこまれている。それは国の魂を奉ることをあらわに示しているのである。その中で最も古い記録は「古今和歌集」巻二十に見られる仁明天皇の和歌で、「古今和歌集」には五百種入集している。
地名を入れた歌は風俗歌であるが、この風俗歌が勅撰和歌集にとりあげられると、そこで詠みこまれた地名が歌枕になっていく、歌枕の枕は動詞の「まく」と関連があり、神霊の寓する所という意味である、というのが折口説である。ここにおいて歌が地名と切っても切れない由縁をもつことが分かる。
風俗歌はもともと国風(くにぶり)を指している。「風」というのは、「雅」に対してであり、「雅」は宮中の歌、「風」は地方の民謡というのが「詩経」の分類であるが、それはわが国では宮中の大歌、民間の歌の小歌の分類にもあてはまる。
しかし風をフリと詠ませるには別の理由がある。フリはタマフリのフリであって、フリはタマシイを相手に付着させることであると折口は言う。タマフリの歌が省略されて、フリとなった。それを「記紀」では振とか曲という。自分の支配する国の魂を天皇に差し出して身につけて貰うのが国風である。それを歌にしたものが、大嘗祭の風俗歌である。平安以降の大嘗祭でそれを詠むのは宮廷の歌人であったが、古い大嘗祭で風俗歌を奉献するのは土地の人々であった。
タマフリの歌であるクニブリの最後は「万葉集」に見られる東歌である。東国はさいごまで宮廷に抵抗していたから、それの服従を誓うためには国のタマシイをささげねばならなかったと折口は言う。そうであれば東歌に地名がかず多く登場することも、そのそもそもの背景が推察できるのである。東歌の特徴は民謡の色彩が濃厚であり、その表現は直截的である。その率直な歌の中で地名は大きな役割を果たしている。つまり地名はその土地の精霊として登場している。
折口は歌枕の地名を「ライフ・インデキス(生命の指標)」と称している。地名が歌に詠みこまれているということは、「生命の指標」をその歌に活していることになる。とも折口は言っている。
これは枕詞についても言える。枕詞には地名を冠したものが多いが、それは歌の一部になっていて、土地の霊を喚起する重要な役割をもっている。「葦が散る難波」と言えば、そこを訪ねたことのない人間にも昔の難波の情景が思い浮かぶのである。枕詞の枕も歌枕の枕と同断で精霊がよりつき、国魂が寓する。折口によれば、はじめは本縁譚があったのが、だんだん省略されて枕詞だけになったというのである。枕詞も歌枕と同様に「生命の指標」である。
ライフ・インデキスという言葉は折口の発明ではない。バーンの「民俗学概論」に出てくる語で、民族学者の岡正雄は「生命指標」と訳出している。たとえば、ある人の運命が樹木に結びつけられていて、もし樹木が凋むと、それに関係する人は病気にかかる。もしそれを切り倒すと、人は横死するという信仰がインド、西アフリカ、太平洋諸島に見られる。
折口はこの考えを枕詞や歌枕に適用したのである。「文章の中心になって、その生命を握っている単語、あるいは句」とみずから解説しているが、歌枕や枕詞の地名がそうであったということは、その歌と地名との不可分な関係を強調していることでもある。それをさかのぼれば、それぞれの国には国魂があり、それを密着させることがクニブリであり、それには地名が詠みこまれなければならなかったのである。
クニブリには二通りあった。一つはクニブリの歌であり、もう一つはクニブリの諺であった。諺は上から下へ宜り下す呪文である。それに対して、歌は下の者が上の者への愁訴哀願する内容をもつ。前にも述べたように「うたう」と「うったう」は同根の語である。
折口の呪言の「詞」から諺が発生し、叙事詩の「詞」の部分から歌が発生したと考える。つまり諺と歌は形式も内容も対照的である。諺は最小の偶数形式である二句型式であるが、歌は片歌にせよ短歌にせよ奇数形式であった。偶数形式の言辞が命令を内容とするのに対して、奇数形式はうったえる内容をもったと折口は言う。
風俗歌はクニブリウタと訓み、風俗諺はクニブリノコトワザである。後者は長い地名起源を説く詞章の後に、それを集約するような形であらわれる。クニブリノコトワザが最小になると、枕詞と地名という二句になる。つまり地名の本縁譚は枕詞の中に凝縮されるということから、そこには国魂が寓すると見られるのである。
枕詞や歌枕に見られる地名の重要性を見れば分かるとおり、地名は「うた」にとってはたんなる情景ではなく、その核心の生命を把握している。
ISBN-13 : 978-4861100581
古代には土地はそれぞれの魂をもつと信じられていた。これを国魂と呼んでいる。国魂は国の生命であって、それを身につけたものが、その国の支配者になることができる。どのような権力者であっても、国魂を身につけないと戦いに勝てないし、国魂から見放されれば、その国を支配することもできない。諸国に国魂を祀った神社があるのはそうした考えに基づいている。
琉球の最古の歌謡集「おもろそうし」巻十一には、
島が命
国が命 みおやせ
という言葉が出てくる。これは島や国に命があって、それを奉れ(みおやせ)という意味である。島や国を献上するというのではなく、島の命、国の命を献上するというのであって、明らかに服属のしるしである。島の命を島魂、国の命を国魂と置きかえることができる。島も国も生命をもっていたことは生国とか生島という名を冠した神社があることではっきりしている。
大嘗祭では悠紀・主基の両国から天皇を賛美する風俗歌が献上されたが、その歌には必ず地名が詠みこまれている。それは国の魂を奉ることをあらわに示しているのである。その中で最も古い記録は「古今和歌集」巻二十に見られる仁明天皇の和歌で、「古今和歌集」には五百種入集している。
地名を入れた歌は風俗歌であるが、この風俗歌が勅撰和歌集にとりあげられると、そこで詠みこまれた地名が歌枕になっていく、歌枕の枕は動詞の「まく」と関連があり、神霊の寓する所という意味である、というのが折口説である。ここにおいて歌が地名と切っても切れない由縁をもつことが分かる。
風俗歌はもともと国風(くにぶり)を指している。「風」というのは、「雅」に対してであり、「雅」は宮中の歌、「風」は地方の民謡というのが「詩経」の分類であるが、それはわが国では宮中の大歌、民間の歌の小歌の分類にもあてはまる。
しかし風をフリと詠ませるには別の理由がある。フリはタマフリのフリであって、フリはタマシイを相手に付着させることであると折口は言う。タマフリの歌が省略されて、フリとなった。それを「記紀」では振とか曲という。自分の支配する国の魂を天皇に差し出して身につけて貰うのが国風である。それを歌にしたものが、大嘗祭の風俗歌である。平安以降の大嘗祭でそれを詠むのは宮廷の歌人であったが、古い大嘗祭で風俗歌を奉献するのは土地の人々であった。
タマフリの歌であるクニブリの最後は「万葉集」に見られる東歌である。東国はさいごまで宮廷に抵抗していたから、それの服従を誓うためには国のタマシイをささげねばならなかったと折口は言う。そうであれば東歌に地名がかず多く登場することも、そのそもそもの背景が推察できるのである。東歌の特徴は民謡の色彩が濃厚であり、その表現は直截的である。その率直な歌の中で地名は大きな役割を果たしている。つまり地名はその土地の精霊として登場している。
折口は歌枕の地名を「ライフ・インデキス(生命の指標)」と称している。地名が歌に詠みこまれているということは、「生命の指標」をその歌に活していることになる。とも折口は言っている。
これは枕詞についても言える。枕詞には地名を冠したものが多いが、それは歌の一部になっていて、土地の霊を喚起する重要な役割をもっている。「葦が散る難波」と言えば、そこを訪ねたことのない人間にも昔の難波の情景が思い浮かぶのである。枕詞の枕も歌枕の枕と同断で精霊がよりつき、国魂が寓する。折口によれば、はじめは本縁譚があったのが、だんだん省略されて枕詞だけになったというのである。枕詞も歌枕と同様に「生命の指標」である。
ライフ・インデキスという言葉は折口の発明ではない。バーンの「民俗学概論」に出てくる語で、民族学者の岡正雄は「生命指標」と訳出している。たとえば、ある人の運命が樹木に結びつけられていて、もし樹木が凋むと、それに関係する人は病気にかかる。もしそれを切り倒すと、人は横死するという信仰がインド、西アフリカ、太平洋諸島に見られる。
折口はこの考えを枕詞や歌枕に適用したのである。「文章の中心になって、その生命を握っている単語、あるいは句」とみずから解説しているが、歌枕や枕詞の地名がそうであったということは、その歌と地名との不可分な関係を強調していることでもある。それをさかのぼれば、それぞれの国には国魂があり、それを密着させることがクニブリであり、それには地名が詠みこまれなければならなかったのである。
クニブリには二通りあった。一つはクニブリの歌であり、もう一つはクニブリの諺であった。諺は上から下へ宜り下す呪文である。それに対して、歌は下の者が上の者への愁訴哀願する内容をもつ。前にも述べたように「うたう」と「うったう」は同根の語である。
折口の呪言の「詞」から諺が発生し、叙事詩の「詞」の部分から歌が発生したと考える。つまり諺と歌は形式も内容も対照的である。諺は最小の偶数形式である二句型式であるが、歌は片歌にせよ短歌にせよ奇数形式であった。偶数形式の言辞が命令を内容とするのに対して、奇数形式はうったえる内容をもったと折口は言う。
風俗歌はクニブリウタと訓み、風俗諺はクニブリノコトワザである。後者は長い地名起源を説く詞章の後に、それを集約するような形であらわれる。クニブリノコトワザが最小になると、枕詞と地名という二句になる。つまり地名の本縁譚は枕詞の中に凝縮されるということから、そこには国魂が寓すると見られるのである。
枕詞や歌枕に見られる地名の重要性を見れば分かるとおり、地名は「うた」にとってはたんなる情景ではなく、その核心の生命を把握している。