株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」
pp.163‐165より抜粋
ISBN-10 : 4309407811
ISBN-13 : 978-4309407814
三島 それで僕はね、こないだ自衛隊なんかにも行って軍人によく言ったんだよ。「きみたちいまのうちにうんと一流の芸術を読んでおくれ。どれが一流で、どれが三流かということをよく読んでおいてくれ。いまだに吉川英治を一流の文学と思っているようじゃだめだぞ。
それできみらはね、僕らはきみらの将来におそれているけど、もしきみらが権力を持って、言論統制なんか始める時代がきてみろ。君らのまわりに集まってくるのは二流か三流の文士で、自分の原稿を載せてくれなかった総合雑誌をつぶして、自分をいい気な顔して見下していた流行作家を密告してやる。あいつは女のおっぱいの話を書いたから、あの本は出しちゃいかんぞ、というように密告して歩く。きみたちが判断がつかなきゃ、そういうやつの言うことをほんとだと思うだろう。おんなじばかなことを繰り返すんだよ。僕は、きみたちが、あの時代と同じにバカだと思わないけど、いまのうちに目をみがいておいてくれなきゃしょうがないじゃないか。そして一流のものだけ残して、二流から五流のものはきみたちがたたきつぶせばいいんだ」そこは言い過ぎ(笑)。
福田 いや、そのくらい言い過ぎた方がいいよ。文武両道というのは、日本の何か美徳のように言ってたけどね、これは少なくとも明治以後は離れる一方だね。
三島 これがどうしてもくっつかなきゃいけないんですよ。絶対くっつかなきゃいけない。つまり全然原理の違うものというのを見ないで、くっつけようとするでしょう。それは政治と芸術論、政治と文学論の左翼の連中の一番甘いとこ。くっつけようとする。くっつけないために両方持ってなきゃいかん。両方の原理を自分がしっかり握っていなくてはいけないと思いますね。武の原理って危険ですからね。そのために死ぬことだってあるかもわからない。文のために死ぬことはあまりないけれども、武のほうはそのためにいつか死ぬか解らないんだ。それでも両方持っていなきゃいけない。僕は絶対そう思うね。
福田 だけど、ある意味で言うと、明治以後もそうだけれども、日本というのは、平和・安定の時代に入るとね、どうしても離れるという傾向があるんだな。
三島 あるね。元禄時代もそうだ。
福田 平安時代もそうでしょう。だからそれはある意味で、明治以後の近代化、西洋化によって起った現象だけじゃなくてね、日本はもともとそういう要素があるんだよ。ところが、昔はそれでいいですよ。いまは夷狄とつき合っているんでしょう。西洋人みたいな。それなのに、日本の文化は、ことにそういうふうに文武を分けて育てたもろさを持っていますから、なおのこと武を片手に持たなきゃだめだということを感ずるんだよ。
三島 全く同感だ。ソヴィエトがこのくらい理解してくれていると思わなかった(笑)。
福田 あんた中共じゃないんですか(笑)。これは日ソ会談じゃなくて、中ソ会談らしいぞ。
三島 やっぱり話し合いは必要だ。だけど、文武両道なんということは、いまの一般インテリに言うと、フフンてなもんだね。
福田 そうだね。
三島 あの中にどういう原理が入っているか、ああいう考えの中にどういう現代の知識人の根本的な問題が入っているかということは、みんな本当に考えていないと僕は思うな。
福田 いま三島さんが自衛隊の人に説いたのとおなじことを、やっぱりいまの政治家や官僚にも説きたいよ。