2016年8月21日日曜日

20160821 創造性と怪獣・大魔神

本日も特に日中は気温が上がり、蒸し暑い一日でした・・。
また、おかげさまで昨日もまたブログ記事の閲覧者数が1000人に到達しました。

さて、ここ最近の閲覧者の傾向にて多少面白いことは、当ブログとは、これまで主にアメリカ合衆国、日本から閲覧されている傾向がありました。そして、その傾向には大きな変化は見られないものの、ただ、それに加え、西欧からの閲覧者が以前に比べ徐々に増加してきたことです。

ここには如何なる原因が存在するのであるか判然としませんが、あるいは最近共有した動画サイトの動画が原因ではなかろうかとも思われます・・。

また、昨今は、投稿した記事数も今回の投稿にて390代の半ばに達し、400記事への到達も(これまでの道程からすれば)まあ、目前と評しても良い状況になるのではないかと思います・・。

とはいえ、今後もし無事に400記事に到達した場合、その次は一体どうするのでしょうか・・?


とはいえ、おそらく、その後も何かしら記事を書き続けるとは思われますが・・。また、それにくわえて行いたいことは、これまでに投稿した記事の加筆修正です。

これら既投稿記事の中には現在読んでみますと、不適切、言葉足らずとも思われる部分が少なからず見受けられますので、こうした作業とは(多少は)有意義なものであると思われます。

しかし、その際において問題であると思われることは、既存の投稿記事の状態をどうするかということであり、新たに加筆修正した記事に置き換えることが、もしかしたら自然であるのかもしれませんが、同時にそうしたことを(少なからず)行うと、目的は異なるのかもしれませんが、ジョージ・オーウェル著「1984年」での新聞記事作成および修正における記述を思い起こさせるため、どうもあまりいい気持がしません・・・(苦笑)。

そのため、もし既投稿記事の加筆修正を行った場合、オリジナルの記事はそのままにして、加筆修正が為された記事は(201****加筆修正分)と名付け、新たな記事として投稿するのが良いのではないかと考えております。

しかし、そうしますと、今度は「その方法を採ることにより、投稿記事数のより安直なカサ増しを狙っているのではなかろうか?」といった疑念もまた読んで頂いている方々に生じるのではないかと思われます(杞憂であるかもしれませんが)。

しかし、それ(既存記事の加筆修正)ばかりであれば、たしかに問題視される可能性もあると思われますが、それと並行し、新たな記事をも継続して作成するのであれば、そこまで問題視されることもないと考えます・・。

やはり自身としても、何かしら創造性の維持発展は図りたいと考えておりますので・・(笑)。

また「創造性」にて思い起こしましたが、最近は1950年代半ばに第一作が製作された我が国の代表的な怪獣映画の何度目かの改作が公開され話題になっているようですが、個人としては、あの怪獣よりもむしろ「大魔神」の改作を現代の我が国を舞台にして為された方が余程インパクトがあるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

これら怪獣、大魔神に共通する要素として、よく分からない強大な力を持つ何か過去のものが、何らかの契機により目覚め、それが(映画の)舞台となる時代、地域を蹂躙、大暴れするといったことが挙げられます。

一方、異なる要素として、怪獣は本来自然が生み出した「生物」であり、大魔神は古代の人為的な「意図」に基づいて製作された「もの」であることが挙げられます。

そして、もしかすると我々日本人とは、このような恐怖の対象となる存在を何らかの生物として具現化したがるといった特徴、指向性があるのかもしれません・・。(地震のなまず絵等々)

その場合、大魔神とは、元々人為的な製作物(おそらく観念的背景も強い)であるため、それが目覚め、暴れるためには、その起因となる出来事も、必然的にある程度限定された人為的、観念的なものとなるのではないかと思われます・・。

そして、そうであれば、そこから受けるインパクト、恐怖もより限定され、映画作品として観る立場からは一層、第三者的となり、あまり感情移入をする(怖がる)ことが出来ないものになってしまうのかもしれない・・。

また、それに加えて、我が国の戦後より、その傾向がより一層顕著となった自国の歴史(古代を含む)についての無関心といった要素もまた強く存在するのではないかとも考えさせられます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念します。」





20160820 下書きノートにて作成・・

A「本日は所用のため外出した先にて若干空き時間が出来たため、近くの喫茶店に入り久しぶりに本日分のブログ記事の下書きをノートに記すことにしました。

以前は概ね、このノートに下書きを記す方法にてブログ記事を作成しておりましたが、昨今は主に時間的な制限によりPCへの直接入力にて作成しております。

こうしたブログ記事の作成方法の変化により、記された記事の文体、内容に変化は生じるのでしょうか・・?

しかしながら、こうしたことは、ある程度継続してみないと判然としてこないのではないかと思われます。

そして、ある程度継続してみた結果として、その間(下書き・直接入力)に顕著、有意な差異が見受けられないであれば、それはそれで(私としては)新たな発見となり、少なくとも退屈なことではないものといえます・・(笑)。

しかし、その際において重要なことは、結果そのものではなく、そうした現象が判然とするまでの過程、経緯をどのように解釈、理解し、さらにそれを適切に表現することではないかと思われます。
このように記しておりますと、これは思いのほか重要なことではないかと思いはじめました・・(笑)。

また、私がこうしたことを考えるに至ったのは、本格的に実験というものに取り組んだ在鹿児島の頃でした。

一般的に実験を行うに際し、事前に、あるいは並行して類似、関連する他の実験について記された国内外諸文献(先行文献)をあたり、それらの実験、観察結果において、どのようにそこで生じた現象が解釈され、記述されているかを知ることが必須になります。

そして、それを自身の行った実験の過程、結果と比較検討するのですが、実際に実験の全過程を手掛けていますと、概ね、先行文献の解釈、記述に対し多少なりとも疑問が生じてきます。

それは、たとえ実験結果データが示す傾向が類似したものであったとしてもです。

そうしますと、次のステップ、つまり更なる検証の方向、方法が異なってきますので、これ(実験結果の解釈、記述)とは、大変重要な要素であるといえます。

また、次の方向性、更なるステップの方法の検討といったところでまさしく、実験、研究に従事する人のセンス、学識といった背景が顕現あるいは問われるのではないかと思われます・・。

その意味で私が行った実験とは、特にその方向、方法の検討、結果の解釈などにおいては、お師匠からの御意見を多く参考にさせて頂いたものであったため、その際に何といいますか(私としては)異次元的な学識の深さを感じさせられることが多々ありました・・(笑)。

また、それに関連して思い起こすことは、この師匠を含め、これまでに私が見知った物理、理工学系の(おそらく)突出しているであろう研究者の方々とは、概ね一般的な意味で決して(「かつての」をも含む)美男子(ばかり)というわけではなく、また体型も特にスリムといったわけではないのですが、ジブリ映画の「紅の豚」にて主人公が決闘前夜にランプの灯りで機関銃の弾丸を点検しているところを偶然見かけると、何だかカッコよく(豚が人間に)見えたというような感じ、あるいは根源的に、生物の雄(オス)としてカッコいいと感じさせる何かがあるのではないかと思われます・・。

しかしながら、こうしたことの実証とは(少なくとも現在においては)科学的に困難であることから、信ぴょう性がなく、うさん臭く思われがちですが、それでも個人の全体像に付随する「よくわからない何か」とは実際に存在するのではないかと思っております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」