さて、ここ最近は人と話していても、その人がどちらかといえば保守的な考え方であったとしても、社会におけるさまざまな価値が混乱していると認めることが多いように思われます・・(まだまだNは少ないですが・・)。
あるいは、こうしたことは通常であっても都市部において、より顕著に認められることである(価値の新陳代謝が激しい)と思われますので、現状とは、それに拍車が掛かってきているということになるのかもしれません・・。
そして、その原因の一つであったのか、あるいは結果であったのか分かりませんが『とりあえず表層さえ良ければいい』といった野狐禅的ともいえる考えが(特に都市部、首都圏において)普通、自然となっているように思われます・・。
無論、自身においても、そのことに無縁ではなく、正直なところこの記事を書いていても、多少身につまされるものがあるのですが・・(苦笑)。
また、おそらく社会のある部分においては、変わることなく、脈々と続いている文化といったものも少なからずあるのでしょうが、一方、大々的な宣伝、広告活動が為される都市部、首都圏においてはマスメディアと、そうした広告主企業が連携協力(結託)して、さきに述べたような価値の混乱、そして『表層さえ良ければ・・』といった、見方によれば活気はあるものの、いささか上滑りな一連の文化を惹起、助長しているようにも思われるのです・・。
とはいえ、昨今こうしたことは各方面においても見受けられることであり、あるいはこうした各方面での一連の現象とは聊か短絡的であるかもしれませんが、スマートフォンの普及と何かしら関連があるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・?
つまり、スマートフォンの普及した国の社会において周辺国際情勢が緊張すると『より速い速度にて』国内社会における国粋的、排外的傾向の増大、凝集といった現象が認められるようになるのではないでしょうか・・?
そして、それはスマートフォンの普及により増大、凝集といった『我々の内面における動的要素』は早くなるものの、同時にそれは活気はあるものの、いささか上滑りなものとなってしまうのではないかとも思われるのです・・。
そして、ここまで書いており不図想起した文章がありましたので、以下にそれを示します・・。
筑摩書房刊 丸山眞男著 「忠誠と反逆」pp.110-111より抜粋引用
ISBN-10: 4480083987
ISBN-13: 978-4480083982
『内面的な被縛感およびそれと不可分に結びついた忠誠の自発性が、忠君愛国象徴の普遍化に比例して弛緩し、体制への大量的なコンフォーミティが造出されるようになった日露戦争頃を境として、青年層とくに知識青年層の「遼陽の大激戦よりも寧ろ壮士芝居の評判に多く心を動かす」気風(徳富蘇峰)、「国家よりも個人を重んじ、政治家よりも俳優を志望する」傾向(三宅雪嶺)がいたるところで語られるようになった。
蘇峰が「憂ふべきは非戦論者にあらず無戦論者なり」として、「吾人は今日生噛りのトルストイ論を受け売りする輩に与せずと雖も、彼等は少なくとも眼中国家あり。
・・聊か与に談ずるに足るを認む。
但だその国家存亡の大事を余所に見て、何等の喜憂を覚えざる、無頓着の輩に至りては、殆ど済度の途に窮せざるをず。
・・・知らず、現在の青年に果たして此の無戦論者無きを証言し得る者ある乎」(「青年の風気」明治三十七年九月)といっているように、こうしたアパシイはまぎれもなく忠誠と反逆との双方からの隠退にほかならなかった。
しかしその由って来るところがどこにあるかは、自由民権的発想の「旧時代性」を指摘し否定することからその「平民主義」を発足させ「将来の日本」を展望した蘇峰によってではなく、かえって三宅雪嶺などの「伝統主義者」によって鋭く認識されている。
すなわち雪嶺は、「国家を無視するの思想の蔓延」憂慮する者が「大抵防止の方法として愈々益々教育勅語を普及すべしと」いうけれども「事実に於いて、勅語の奉読の、徒に形式に流るる」点を衝き、むしろそうした「冷国家」「熱個人」(蘇峰の表現ー前掲論文)の傾向こそ、明治政府が数十年前に、「民権運動の頓に興隆し、之に気勢を添ふるの青年になるより、苟も学校に奉職し又は在学する者は、決して斯かる運動に加はるべからざる旨を訓令し、尚ほ自由民権に類する思想を教科書より除かしめ」るといった教育方針が漸く結実したものである、「権力者は教育の心得のある凡物を使用するの便利を覚え、権威を仮して教育家を支配せしめ、予期の如く平穏無事なるを得たるも」結局「ニ三十年を経て予想以上の結果」をもたらすことになったと指摘した(「国民思想の頽唐を防ぐの便法」『想痕』大正四年、所収)。
今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」