2018年3月8日木曜日

20180308 現在の我が国社会にてどのような高等教育が必要であるのか?(その背景にある思想・哲学の欠如?)

本日の首都圏は終日雨が降り、また気温も上がらず、昨日の予報通りに冬日となりました。また、昨日に引き続き本日も歯科衛生士養成施設をいくつか訪問し、外出時間が比較的長かったことから風邪をひかぬように暖かくしておこうと思います。

さて、これまでにある程度マトモな用件にて首都圏にある歯科衛生士養成施設を訪問しましたが、それら施設での対応とは、昨日述べた施設特徴と同様に様々ではありましたが、概して大変快く対応して頂けたと思います。あるいは悪天候の中わざわざ訪問したことが多少効いたのかもしれませんが・・(笑)。

もとい、それらの中の幾つかは『自身のことを既に知っているのではないか?』とすら感じられましたが、おそらくこれも相変わらずの『自意識過剰』であると思われます・・(苦笑)。しかしその一方で、どうしたわけか、昨日投稿分の記事もまた、思いのほか、かなり多くの方々(200人近く)に読んで頂いていました。

そして、もしも、これを読まれた方々の中に大学関係者がいらっしゃいましたら、是非、記事に述べられている提案を御一考頂ければと思います。近年の医療における看護師と同様、歯科医療における歯科衛生士が一般的に良い職種と認識されれば、歯科医療全体のレベルが向上し、ひいては国民全体のQOLの向上にも寄与するものと思われます。

また、もう少しこのことを強く述べますと、それは大学の文系学部定員を少し減らしてでも、行う価値があるとも考えます。おそらく高度経済成長期の頃にはあまり気が付く必要もなかったのでしょうが、根本において我が国では、より多くの人々が大学にて四年間、文系学問を学ぶ意味はあまりないのではないかと思われます・・(もちろん、そうした学問自体は大変重要であることは重々承知していますが、ただ、それを学ぶ人数が、これまではいくら何でも多すぎた・・。)。

そして、その結果が現今の我が国の社会であると云えますので、さまざまな反論、理由付けなどは出来るのかもしれませんが、本質的には少なくとも、これは間違いではないと考えます。

自身の個人的な見解としては、大学に進学して観光などを学問として学ぶよりも、さきのような看護・歯科衛生などといったある程度即物的・実地に則した知識の体系を学問として大学にて学んだ後、観光など、ある程度、観念的要素が強いと思われる学問を学んだ方が、より多くの知識が吸収され、さらにその応用・展開などが出来るようになるのではないかと思われるのです・・。

あるいは、我々日本人は文系学問に関しては特に、外からやってくるもの(それも結局のところ海外の流行なのですが)の対応に追われて、自身の民俗風土に根差した『人間に関する知恵』(それこそが思想・哲学であると思う。)を学問的基礎を持ちつつ結晶化・体系化しなかった、もしくは、批判をおそれて・安逸に流され発信しなくなったことが大きな問題であるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そして、こうしたことを書いていますと、不図、大岡昇平著『俘虜記』のことが思い出されるのです・・。おそらく現在の方が、かつて我が国が繁栄してきた時期よりも、この著作のテーマを身につまされて考えることが出来るのではないかと思われます・・。以前にも書きましたが、興味のある方は是非御一読をお勧めします・・(多分、読了後気分がしばらく重くなると思いますが・・。)。

ともあれここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨今より現在に至るまでに列島各地において発生した、あるいは発生している地震・大雨・水害・火山噴火(特に3月1日からの新燃岳の噴火)などの大規模自然災害により被害が生じている(いた)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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