2023年1月3日火曜日

20220102 「議論」と「口論・口喧嘩」の違いについて・・

 2023(令和5)年、新年明けましておめでとうございます。今回の投稿記事にて総投稿記事数が1920に到達します。かねてよりの目標であれば、昨年内での到達としていましたが、この程度の誤差であれば、特に問題はなく、また今後も、引続き2000記事到達を目指して記事作成を続けたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、去る2022年ですが、世界的に見て大変な年になりました。同年2月末、ロシアがウクライナに侵攻して始まったこの戦争は、今年には如何なる形であれ、終結に至るのでしょうか?そしてまた、かねてより続いている台湾と中国との軍事的緊張も、どのような方向で進展するのでしょうか?さらに、それが昨年のロシアによるウクライナ侵攻のような形で進展した場合、その影響はどのような形で我が国に生じてくるのでしょうか?

これらは全く予断を許さず、また、これらすべてが我が国にとって都合の良い方向で進み、片が付くといった蓋然性はかなり低いと思われます・・。他方、国内においては、去る2022年に元首相が暗殺され、そして、そこから徐々に明らかになってきた政権与党一部と某宗教団体との関係性が問題視されるようになってきました。そして、これら国内外での出来事から、何と云いますか、以前にも増して社会全体に「価値観の混乱」のようなものが生じているように思われるのです。

そして、こうした時にこそ「議論」が必要であると私には思われるのですが、しかし以前にも述べました通り、我が国社会の組織全般では古来より「議論」の習慣が乏しく、また同時に、議論によって決定を積み重ね、何らかの取組みを進めて行くといった習慣も乏しいと云えます。とはいえ「議論」は形としては、さまざまなレベルの会議などで為されているはずであるのですが、それが実質として「議論」であるかどうかは別問題であり、その意味において、我が国では古来より「議論」の習慣が乏しいと思われるのです。

そして「議論」の習慣が乏しい組織・社会にあって、どのようにして物事が決まっていくのかと考えてみますと、その決定を行う主体の考えが如何なるものであれ、その経緯においては、権威主義的なものに近い様相を持つに至るのではないかと思われるのです。

こうした決定の経緯は、急速な発展を要する状況であれば、効果的であると思われますが、ある程度以上に近代化が為され、欧米先進国と似通った政治システムが機能している社会であれば、そこには自然と議論の習慣も根付いているとされ、さきのような権威主義的な物事の決め方は、適切でないと考えられるのですが、我が国においては、おそらく、その経緯を仔細に眺めれば、紆余曲折があったのでしょうが、端的には「議論」のような活動は面倒なものと考え、あるいは「口論・口喧嘩」と同様のものであると認識されているフシがあるのではないかと思われます。

そして、そこから「そのようなもの(議論)に価値などあるのか?」と考えるのだと思われますが、そうしますと、「議論」と「口論・口喧嘩」との違いが気になります。おそらく、それらは、たしかに一見すると同じに見えることもあるのかもしれませんが、その目的が決定的に異なると思われます。端的に「議論」は互いの合意形成に向けて為され、そして「口論・口喧嘩」は相手の主張を挫くことが目的であると云えます。

この違いを認識せずに、議論に参加したり、あるいはそれを見ていても、おそらくあまり楽しくないと思われますが、実際のところ、我が国の社会全般においては、さきの違いを認識することなく、「議論」とは、何やら「調和を乱す悪いもの」として認識されているように思われるのです。くわえて、こうした認識がさらに批判的認識によって深化されることなく、ただ、そのようなものとして、広く漠然と認識されている点が、さらに問題を根深いものにしているといった感があるように思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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