A「本日も若干帰宅が遅かったのですが、とりあえず何か書いてみようと思い、現在またブログ記事を書きはじめました・・。
昨日は一年前の丁度今頃書かれたブログ記事との比較について記しておりましたが、記事内容に関していえば、当時(一年前)の方が現在に比べ、かつて住んでいた西日本、九州でのことを身近な記憶として保持していたように思います・・。
しかしながら、これはかつての自身が記した記事について自身が思ったことでありますので、おそらく他の方がこれらを読まれた場合は若干事情が異なるのではないかとも思いますが・・(苦笑)。
また、それと同時に不図した契機に西日本、九州のことが想起されることがあります・・。
こういったものは不思議なものであるとは思いますが、一面において、現在の私とは、良くも悪くもこれら記憶の存在によって生かされている感じを多々受けます。
それ故、これら記憶が現在の私を存立せしめている大きな要素ではあるのですが、同時にそれらが、現在の私の「普通ではない」、「少しおかしい」(苦笑)部分とも強い関連性があるのではないかとも考えさせられるのです・・(苦笑)。
無論こうしたことは、それらの地域が直接、普遍的にヒトに対してそのような影響を与えるといったものではなく、あくまでも個人的なことであることを付記しておきますが・・。
そして、その私の考える「少しおかしい」部分とは、具体的には何かしら感情的な面での「過剰性」ではないだろうかと思います・・(苦笑)。
また、さらにいいますと、この「過剰性」らしきものが、さきのブログ記事にて記した「モヤモヤとた苦しさ」そして「(どうにか)現在までにブログ記事を書き続けている」双方に共通する要因ではないかと思われます・・。
しかしながら、この「過剰性」に関し言い訳じみたことを書かせていただきますと、この「過剰性」とは、何も私のみに認められる「特に異常」なものではなく、彼の地(西日本、九州)在住時の私の周囲にも私以上にそうした傾向を有している方々が少なからずいらっしゃったのではないかと思いますが如何でしょうか・・(笑)?
とはいえ、こうした「過剰性」が文章を書き続けるための必須の要素というわけではないとも思われますが・・。
その一方において、かつて文章がよく湧いて、またそれを容易に著すことが出来ていた時期(現在に比べ)においては、さきほどの「過剰性」とは異なった層にある『何か』が作用していたのではないかと思います・・。
とはいうものの、同時に、このことは漠然としていて、今現在においては明瞭に表現、言語化出来ないことが多少歯がゆいのではありますが・・(苦笑)。
さきの九州、熊本における大地震にて被災された地域における早急な復旧そして復興を祈念します。
また、ここまで興味を持って読んでいただき、どうもありがとうございます。」