2024年3月2日土曜日

20240302 株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」 pp.150-151より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」
pp.150-151より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106039044
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106039041

 戦後資本主義は社会福祉を制度内に組み込んで、以前にも増して強固になりました。だが、問題がないでもない。今の社会が民主主義ならば、国民の力は強いはずです。しかし、別のものが大きくなっていないでしょうか。

五〇年前を思い出せば、町役場、市役所、区役所は規模が今の五分の一くらいでした。古い役所と新しい役所、有楽町の旧都庁と新宿の東京都庁を比べれば、庁舎がいかに大きくなかがわかります。そして、その分、行政権力も強大になっている。一方、当の住民の力が強くなったとはいえない。「みんな」と言いながら、本当のところ役所が大きくなっているのです。

 そのように、政治機能がとてつもなく大きくなり、政治家がやらなければいけない仕事は桁外れに増えました。今の政治家は気の毒です。私は年に二回くらい永田町に行く用事があるので知っていますが、朝七時五〇分の自民党本部前、日本中であそこほど、人が頻繁に出入りしている場所ではありません。他は警察と自衛隊関連の施設くらいでしょうか。八時前から勉強会、会議に出て、宴会の後帰るのが一〇時、一一時。

議会の審議でときどき居眠りでもしなければ身がもたない。彼らが特に優秀になったという話も聞きません。私は固い信念がありまして、人間の頭が動くのは一日に四時間が限度です。それ以上の頭脳労働は絶対無理です。仕事は増えて、時間は足りないので、オーバーワークで、頭がズタズタの綿みたいになっているはずです。寝る暇もないようなオーバーワークをぜざるをえない理由は、政治機能の肥大化にあるのです。

 福祉国家と民主主義の両立、資本主義の将来性には、依然としてそのような問題が残っていますが、共産主義が潰れたので、資本主義が手放しにいい、ということになってしまいました。

その点については、私が敬愛するケインズによる「自由放任の思想がここまで人々に信用されてきたのは、それを攻撃した社会主義や共産主義の人たちがよほど出来が悪かったからだ」という誰も引用しない名言があります。半世紀前によくこんな傲慢でありながら鋭い指摘をしたと感心させられますが、今の時代、この意味をもう一度噛み締めるべきでしょう。

ケインズは経済学者ですが、難解な理論は専門家にまかせておいて、彼の素晴らしいのは人物評伝であり、ちょっとした発言であり、さらにその中の批判や悪口です。「自由放任の思想がこれまでのさばってきたのは、資本主義と自由放任を批判する思想があまりにもくだらなかったから」と一刀両断です。共産主義との対抗関係があったから、自分たちのシステムが本当にいいのか悪いのか考えてくるのを怠ってきた。その点を今こそ考えるべきではないでしょうか。