二日ぶりの記事投稿であったためか、昨日投稿分記事は思いのほか多くの方々(41)に読んで頂くことが出来ました。
さて、先日出席させて頂いた勉強会での記憶に基づいて考えてみますと、やはり私の性質の基層部とは文系学問分野への親和性が強く、中でも歴史、そして地域学・民俗学といった分野に対しての興味が有意に強いのではないかと思われます・・。
そして、その淵源を考えてみますと、幼少期からの読書であったり、二十代の頃にいくつか異郷の地に住んだ経験であるものと考えます。
とはいえ、おそらく、もしも就職および転勤により(半ば)否応なく首都圏を離れるといったことがなければ、私は自身の希望によって首都圏から離れることはありませんでした。
しかしながら、現実の今の私とは、内心において必ずしも、この首都圏での生活を心地よく、快適に思っているわけでももないのです・・。
そして、そのことを先日出席させて頂いた勉強会後の懇親会において指摘を受けたことは自身にとって驚くべきことであり、それまで自身はどのような行動を(半ば)無意識ながらにとっていたのかとは、我がことながら、興味深く思われました・・(苦笑)。
とはいうものの、その一方において現在自身がここ首都圏にて動いているいくつかのことは、多少誇大妄想気味であるかもしれませんが、自身が動かなければ進展しないことであり、またおそらく、それはそれで多少なりとも意味のあることであると思われるのです・・。
それ故、もうしばらく経て事態が収束、落ち着きましたら、あらためてこのことを考えてみようと思います・・。
・・そういえば、先日来より読んでいる著作は上巻の三分の二程度まで至りました。
まだ先は長いですが、ここ最近は文体に慣れてきたのか、割合スムーズに読み進み、さらに面白いことに、つい先日読んでいた箇所とは、昨日・本日作成分ブログ記事の主題とも何やら関連すると思しき主題であり、先を読み進めることが楽しみです・・(笑)。
そして、その関連すると思われる箇所を以下に抜粋引用してみます。
河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳
「サピエンス全史」上巻 pp.149-150より抜粋引用
ISBN-10: 430922671X
ISBN-13: 978-4309226712
『ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない、と私たちに命じる。自らの束縛を解いて多種多様な感情を味わい、さまざまな人間関係を試し、慣れ親しんだものとは異なるものを食べ、違う様式の音楽を鑑賞できるようにならなくてはならないのだ。これらすべてを一挙に行うには、決まりきった日常生活から脱出して、お馴染みの状況を後にし、遠方の土地を旅するのが一番で、そうした土地では、他の人々の文化や匂い、味、規範を「経験」することができる。「新しい経験によって目を開かれ、人生が変わった」というロマン主義の神話を私たちは何度となく耳にする。
消費主義は、幸せになるためにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならない、と私たちに命じる。何かが欠けている、あるいはしっくりかないと感じたら、おそらく私たちは製品(自動車、新しい服、自然食品)あるいはサービス(家事、対人関係療法、ヨガのクラス)を買ったり受けたりする必要がある。どのテレビのコマーシャルも、何らかの製品あるいはサービスを消費すれば人生が良くなるという、小さな神話なのだ。』
上に抜粋引用した文章だけを読んでみますとラッセル著「幸福論」内にもありそうな感じを受けますが、同時に自身としては興味深いことが書かれているのではないかと思われます。
興味を持たれた方は是非御一読をおススメします。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域におけるインフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。」