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2024年5月19日日曜日

20240519 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」 pp.37-39より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」
pp.37-39より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450

ロシアは自由民主主義の代替モデルを現に提示しているが、このモデルは首尾一貫した政治的イデオロギーではない。むしろそれは、少数の寡頭制支配者が国の富と権力の大半を独占し、それからマスメディアを統制して自らの活動を隠し、支配を強固にする政治的慣行だ。民主主義は、「すべての人を一時、一部の人をつねに騙すことはできるが、すべての人をつねに騙すことはできない」というエイブラハム・リンカーンの原理に基づいている。もし政府が腐敗していて、人々の生活を向上させられなければ、いずれ多くの国民がそれに気づいて、政権を交代させる。だが政府がマスメディアを統制すれば、リンカーンの論理を崩れる。国民が真実に気づけなくなるからだ。寡頭制政権はマスメディアの独占を通して、失態をすべて他者のせいにすることを繰り返し、外部の脅威(それが実在のものであれ架空のものであれ)へと注意を逸らすことができる。

 そのような寡頭制の下で暮らしていると、医療や汚染といった退屈な事柄に優先する、何かしらの危機が絶えず存在するかのように思いこまされる。国家が外部からの侵略や極悪非道な破壊活動に直面していたら、病院の混雑や河川の汚染を気に病む暇がある人などいるだろうか?腐敗した寡頭制政権は、次から次へと危機をでっち上げ、いつまでも支配を続けることができる。

 もっとも、この寡頭性モデルは実際に耐久性があるとはいえ、それに魅力を感じる人はいない。自らのビジョンを誇らしげに詳しく語る他のイデオロギーとは違い、寡頭制の支配者たちは自らの慣行を誇りに思っておらず、他のイデオロギーを隠れ蓑に使う傾向がある。たとえば、ロシアは民主主義国家を装い、指導部は寡頭制ではなくロシアのナショナリズムと東方正教会の価値観への忠誠を公言する。フランスとイギリスの右翼の過激派は、ロシアの支援を仰いでプーチンを礼賛してもおかしくないが、彼らを支持する有権者でさえ、実際にロシアのモデルをコピーしたような国には住みたくないだろうー腐敗が蔓延し、各種のサービスは機能せず、法の支配は絵空事で、信じられないほど不平等な国には。見方によっては、ロシアは世界でも指折りの不平等な国で、富の八七パーセントが一〇パーセントの富裕層の手に集中しているという。フランスの右派の政党「国民連合」を支持する労働者階級の人々のどれだけが、この富の分布のパターンを自国で真似たいと望むだろう?

 人間は足を使って投票する。私は世界を旅して回る間に多くの国で、アメリカやドイツ、カナダ、オーストラリアに移住したいという、おびただしい数の人に出会ってきた。中国や日本に移り住みたいという人も何人かいた。だが、ロシアへの移民を夢見ている人には、まだ一人も会ったためしがない。


2022年3月20日日曜日

20220320 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309227368
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309227368

人々が信じなくなった途端に消滅してしまいかねないのは、貨幣の価値だけではない。同じことが法律や神、さらには一帝国全体にも起りうる。それらは、今、せっせと世界の行方を決めていたかと思えば、次の瞬間にはもはや存在しなくなったりする。ゼウスとヘラはかつて地中海沿岸では絶大な力を誇っていたが、今日では何の権威も持たない。誰も両者を信じていないからだ。ソ連はかつて全人類を滅亡させられるほど強力だったが、いくつかの署名によってその存在に終止符を打たれた。1991年12月8日午後2時、ヴィスクリ近くの国有の別荘で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの指導者がベロヴェーシ合意に署名した。その合意には、「我々、ベラルーシ共和国、ロシア連邦、ウクライナは、1922年に連邦結成条約に署名したソヴィエト社会主義共和国連邦の設立国家として、国際法の対象と地政学的現実としてのソヴィエト社会主義共和国連邦がその存在を終えることを、ここに確定する」とあった。それでお仕舞いだった。ソ連はもはや存在しなくなった。

 貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシャの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしかないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの価値観がただの虚構であることを受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分の人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。とはいえ、じつのところ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。

 意味は、大勢の人が共通の物語のネットワークを織り上げたときに生み出される。教会で結婚式を挙げたり、ラマダーンに断食したり、選挙の日に投票したりといった、特定の行動は、なぜ有意義に思えるのか?それは、親もそれが有意義だと考えているし、兄弟や近所の人、近くの町の人々、さらには遠い異国の住人までそう考えているからだ。では、なぜこれらの人々はみな、それが有意義だと考えるのか?それは、彼らの友人や隣人たちも同じ見方をしているからだ。人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く、互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。

 それでも、何十年、何百年もたつうちに、意味のウェブがほどけ、それに代わって新たなウェブが張られる。歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解することだ。

2021年10月19日火曜日

20211019(20260606加筆) 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.182-184より抜粋

 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」

pp.182-184より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

近代以降の世界で伝統宗教が相変わらず力を持っており、重要であることを示す最適の例は、日本かもしれない。1853年にアメリカの艦隊が近代世界に対して日本の門戸を開かせた。それに応じて、日本は急速な近代化に乗り出し、大成功を収めた。数十年のうちに、科学と資本主義と最新の軍事テクノロジーに依存する強力な官僚国家となり、中国とロシアを打ち負かし、台湾と朝鮮を領土とし、最終的には真珠湾でアメリカ艦隊を撃沈し、極東におけるヨーロッパ人による帝国主義支配を覆した。とはいえ日本は、やみくもに西洋の青写真をなぞったわけではない。日本は独自のアイデンティティを守り、近代の日本人を科学や近代性、あるいは、何らかの漠然としたグローバルなコミュニティではなく祖国に対して確実に忠実たらしめることを固く決意していた。

 その目的を達成するために、日本は固有の宗教である神道を日本のアイデンティティの土台とした。実際には、日本という国は神道を徹底的に作り直した。伝統的な神道は、さまざまな神や霊や魔物を信じるアニミズムの信仰の寄せ集めで、どの村も、お気に入りの霊や地元の風習を持っていた。19世紀後期から20世紀初期にかけて、日本は神道の公式版を創り出し、地方の伝統の数多くを廃止させた。この「国家神道」を、日本のエリート層がヨーロッパの帝国主義から学んだ、国民や民族という非常に近代的な考え方と融合させた。そして、国家への忠誠を強固にするのに役立ちうるものなら、仏教や儒教、封建制度の武士の気風のどんな要素も、そこに加えた。仕上げに、国家神道は至上の原理として天皇崇拝を神聖化した。天皇は太陽の女神である天照大神の直系の子孫で、自身も現人神であると考えられていた。

 一見すると、新旧のこの奇妙な組み合わせは、近代化の速習コースを受けようとしている国にしては、はなはだ不適切な選択に思えた。現人神?アニミズムの霊?封建制度の気風?これは近代の工業大国というよりも新石器時代の族長支配のように聞こえる。

 ところが、これが魔法のように効果を発揮した。日本人は息を呑むような速さで近代化すると同時に、国家に対する熱狂的な忠誠心を育んだ。神道国家の成功の象徴として最も有名なのは、日本が他の大国に先駆けて、精密誘導ミサイルを開発した事実だ。アメリカがスマート爆弾を実戦配備するよりも何十年も前、そして、ナチスドイツがようやく初歩的な慣性誘導式V2ロケットを配備し始めていた頃、日本は精密誘導ミサイルで連合国の艦船を何十隻も沈めた。このミサイルは、「カミカゼ」として知られている。今日の精密誘導兵器はコンピューターが誘導するにに対して、カミカゼは爆弾を積んだ通常の飛行機で、片道の任務に進んで出撃する人間の搭乗員が操縦していた。このような任務に就く意欲は、国家神道に培われた、命知らずの自己犠牲精神の産物だった。このようにカミカゼは、最新のテクノロジーと最新の宗教的教化の組み合わせを拠り所としていたのだった。

 知ってか知らずか、今日非常に多くの政府が日本の例に倣っている。現代の普遍的な手段や構造を採用する一方で、伝統的な宗教に頼って独自の国家としてのアイデンティティを維持している。日本における国家神道の役割は、程度こそ違うものの、ロシアでは東方正教会のキリスト教が、ポーランドではカトリック教が、イランではシーア派のイスラム教が、サウジアラビアではワッハーブ派のイスラム教が、イスラエルではユダヤ教が担っている。宗教はどれほど古めかしく見えたとしても、少しばかり想像力を働かせて解釈し直してやれば、いつでも最新テクノロジーを使った装置や最も高度な現代の機関と結びつけることができる。

 国家がまったく新しい宗教を創って、独自のアイデンティティの支えとする場合もある。今日、その最も極端な例が、かつて日本の植民地だった北朝鮮だ。北朝鮮の政権は、「チュチェ思想」と呼ばれる狂信的な国教を国民に吹き込んでいる。チュチェ思想は、マルクス・レーニン主義と、いくつかの古い朝鮮の伝統と、朝鮮民族の無比の純粋性に対する人種差別的信仰と、金日成の家系の神格化の混合物だ。金一家が太陽の女神の子孫だと主張する人は誰もいないものの、彼らは歴史上のほとんどどんな神よりも熱烈に崇拝されている。大日本帝国が最終的にどのように打ち負かされたかが念頭にあるからだろうか、北朝鮮のチュチェ思想という混合物は長い間、核兵器も自らに加えると言って聞かず、核兵器の開発を、最大の犠牲を払うだけの価値のある神聖な義務と位置づけてきた。

2021年7月12日月曜日

20210712 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.78-79より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.78-79より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

今日ではオンデマンドのサービスが充実してきたので、無数の作品が提供されている。意見をもとめるのは大仕事になりかねない。あなた自身はSFスリラーが好きだけれど、ジャックはロマンティック・コメディーが好みで、ジルが芸術的なフランス映画に一票を投じる。けっきょく妥協して冴えないB級映画を選び、みんながっかりする羽目になりかねない。

 こんなとき、アルゴリズムがあれば役に立つ。それぞれが、これまで観た映画のうちでどれが本当に気に入ったかを告げれば、そのアルゴリズムは自らの厖大なデータベースに基づいて、全員を満足させるのに打ってつけの作品を見つけることができる。あいにく、そのようなお粗末なアルゴリズムは簡単に欺かれてしまう。周知のとおり、人々の真の好みを判断する上では、自己申告は当てにならないのが最大の理由だ。私たちは大勢の人がある映画を傑作だと褒め称えるのを耳にして、絶対に見逃すわけにはいかないと映画館に出かけたものの、途中で飽きて眠ってしまったときにさえ、美的感覚に欠けていると思われたくないので、すばらしい経験だったと会う人ごとに言うものだ。

 ところがそのような問題は、怪しげな自己申告に頼る代わりに、私たちが実際に映画を観ているときにアルゴリズムがリアルタイムでデータを集めるのを許せば解決できる。第一に、アルゴリズムは私たちがどの映画を最後まで観て、どれを途中までしか観なかったかをモニター出来る。アルゴリズムは、私たちが「風と共に去りぬ」こそ史上最高傑作だと誰彼かまわず言ったとしても、最初の30分で観るのをやめてしまい、アトランタが焼ける場面は本当は目にしなかったことを知っている。

 とはいえ、アルゴリズムはそれよりもずっと深いところまで探れる。技術者たちは現在、目や顔の筋肉の動きに基づいて人間の情動を検知できるソフトウェアを開発している。テレビに高性能のカメラを搭載すれば、そうしたソフトウェアは私たちがどの場面で笑い、どの場面で悲しみ、どの場面で退屈したかを知ることができる。次に、アルゴリズムをバイオメトリックセンサーに接続すれば、アルゴリズムはそれぞれの場面が心拍や血圧や脳活動にどう影響したかを知ることが出来る。たとえば私たちがタランティーノの「パルプ・フィクション」を観ているときに、男性間の性的暴行の場面でほんのかすかな興奮を覚えたことや、ヴィンセントが誤ってマーヴィンの頭部を撃ってしまう場面ではやましそうに笑ったこと、ビッグ・カフナ・バーガーについてのジョークがわからなかったのに、間抜けに思われたくなかったので笑ったことに、アルゴリズムは気づくかもしれない。私たちは無理やり笑うときには、何かが本当に面白くて笑うときとは違う脳海路や筋肉を使う。人間はたいていその違いが感知できない。だがバイオメトリックセンサーならできるだろう。


2021年7月11日日曜日

20210711 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.200-202

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.200-202より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

従来の人種差別は、生物学の理論にしっかりと根差していた。1890年代や1930年代には、イギリスやオーストラリアやアメリカのような国では、アフリカ人や中国人は何らかの遺伝性の生物学的特性のせいで、知能や進取の気性や道徳の面でヨーロッパ人よりも生まれつき劣っていると広く信じられていた。問題は血統にあった。そのような見方は、政治的に尊ばれ、科学的にも広く支持されていた。今日ではそれとは対照的だ。そのような差別的な主張をする人が相変わらず多いとはいえ、人種差別は科学的な支持をすべて失い、政治的にも真っ当だとはほとんど思われなくなったーただし、文化の観点から言換えた場合には別だが。黒人は標準以下の遺伝子を持っているから罪を犯しがちだ、などと言うのはもう時代後れで、彼らは機能不全のサブカルチャーの出身だから罪を犯しがちなのだ、と言うのがとてもはやっている。

 たとえばアメリカでは、差別的な政策を公然と支持し、しばしばアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ系住民やイスラム教徒を侮辱するような発言をする政党や指導者が見られるが、彼らのDNAに何か問題があるとは、まず言わない。問題は彼らの文化にあるという。たとえば、トランプ大統領がハイチやエルサルバドルやアフリカ諸国の一部を「肥溜めのような国々」と呼んだとき、彼は明らかに、これらの国々の人の遺伝子構造ではなく文化についての意見を国民に提供しているのだ。トランプは別の折に、メキシコからアメリカにやって来た移民について、「メキシコが同国の人を送り込むときには、ベストの人は送り込んでこない。たっぷり問題を抱えた人々を送り込むから、彼らはそうした問題を持ってくる。彼らは麻薬も持ってくれば、犯罪も持ってくる。彼らは性的暴行者だが、まあ、なかには善良な人もいるんだろう」。これはひどく侮辱的な主張だが、生物学的ではなく、社会学的に侮辱的な主張だ。トランプは、メキシコ人の血統が善良さへの障害だとは言っていない。ただ、善良なメキシコ人はリオグランデ[訳注テキサス州とメキシコとの境を流れる川]の南側にとどまる傾向にあると言っているのだ。

 人間の体(ラテンアメリカ系住民の体、アフリカ人の体、中国人の体)が依然として議論の中心にある。肌の色は重要だ。肌にメラニン色素がたくさんある人がニューヨークの通りを歩いていれば、どちらに向っていようと、警察は特別に疑い深い目で眺めるかもしれない。だが、トランプ大統領とオバマ前大統領のどちらに属する人も、肌の色の重要性を文化や歴史の観点から説明するだろう。警察が濃い肌の色を疑わしい目で見るのは、生物学的な理由からではなく、歴史のせいなのだ。たぶんオバマの陣営は、警察の偏見は奴隷制度のような歴史的犯罪の不幸な遺産だと説明し、一方、トランプの陣営は、黒人の犯罪は白人の自由主義者と黒人のコミュニティが犯した歴史的な過ちの不幸な遺産と説明するだろう。いずれにしても、仮にあなたが、じつはアメリカの歴史について何も知らないデリーからの観光客だったとしても、その歴史の結果に対処せざるをえないだろう。

 生物学から文化への移り変わりは、専門用語の無意味な変更にすぎないわけではない。それは、良いものも悪いものも含め、広く影響の及ぶ実際的な結果を伴う、根本的な変化だ。まず、文化は生物学よりも順応性がある。つまり、一方では今日の文化差別主義者は従来の人種差別主義者よりも寛容かもしれない。「他の人々」が私たちの文化を採用しさえすれば、対等の人間として受け容れる、というわけだ。その一方で、同化するようにという、はるかに強い圧力を「他の人々」にかける結果や、もし同化できなければ彼らに対して、はるかに厳しい批判を浴びせるという結果にもなりうる。


2021年5月7日金曜日

20210506 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」下巻 pp.142-146より抜粋

 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳

「ホモ・デウス」下巻 pp.142-146より抜粋

ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

医師でさえアルゴリズムの恰好の標的になっている。ほとんどの医師にとって、第一の、そして主要な仕事は、病気を正しく診断し、それから実行可能な治療法のうちで最善のものを推薦することだ。私が医療機関を訪れて、発熱と下痢という症状を訴えたら、私は食中毒を起こしていると診断されるかもしれない。だがその症状は、ウィルス性胃炎やコレラ、赤痢、マラリア、癌あるいは未知の新しい病気が原因である可能性もある。私のかかりつけの医師は、ほんの数分で正しい診断を下さなければならない。

 私の医療保険は、それぐらいの時間の分しか保険金を支払わないからだ。そのため、医師はいくつか質問して、場合によっては手早く診察するのがせいぜいだ。それからこの乏しい情報や病歴や、人間の病気の広大な世界と照らし合わせる。悲しいかな、どれほど勤勉な医師でも、これまで私がかかった病気や、受けた健康診断の結果すべてを覚えてはいない。同様に、病気や薬を一つ残らず熟知している医師や、ありとあらゆる医学専門誌に発表されたありとあらゆる新論文を読んでいる医師もいない。そのうえ、医師もときには疲れていたり、お腹が減っていたりするし、ひょっとしたら病気のことさえあるから、それが判断力に響く、医師がときおり診断を誤ったり、最適とは言えない治療法を推薦したりするのも無理はない。

 今度はIBMの有名なワトソンのことを考えてほしい。二〇一一年に過去のチャンピオン二人を破ってテレビのクイズ番組「ジャパディ!」で優勝したAIシステムだ。ワトソンは現在、もっとも重要な仕事、とくに病気の診断をするために準備を重ねている。ワトソンのようなAIには、人間の医師をはるかに凌ぐ潜在能力がある。第一に、AIには自分のデータバンクに、歴史上知られているすべての病気と薬についての情報を保存しておける。そうしておいて、新しい研究の成果だけでなく、接続している世界中のありとあらゆるクリニックや病院から集めた医学的統計を組み込み、このデータバンクを毎日アップデートできる。

 第二に、ワトソンは私のゲノム全体と日々の健康状態や病歴を詳しく知っているだけでなく、私の親や兄弟姉妹、親戚、隣人、友人のゲノムと健康状態や病歴も知り尽くしている。ワトソンは私が最近、熱帯の国を訪れたかどうかや、再発性のウィルス性胃炎にかかっているかどうか、身内に大腸や小腸の癌になった人がいるかどうか、町中の人が今朝、下痢の症状を訴えているかどうかを瞬時に知る。

 第三に、ワトソンはけっして疲れたり。お腹を空かせたり、病気になったりしないし、私のためにいくらでも時間を使える。私は自宅で自分のソファに心地良く座り、ワトソンを相手に、何百という質問に答え、自分がどんな具合なのか詳しく語ることができる。これはほとんどの患者(自分の健康状態を気にし過ぎる人は例外かもしれない)にとって、ありがたい話だ。だが、もしあなたが今日、二〇年後も家庭医の仕事があることを期待してメディカルスクールに入ろうとしているのなら、考え直したほうがいいかもしれない。ワトソンのようなAIが普及すれば、シャーロック・ホームズのような鋭い観察眼を持った人でさえ、あまり必要とされないだろうから。

 この脅威にさらされているのは一般開業医だけではなく、専門医も同様だ。それどころか、癌診断のように比較的狭い領域を専門にしている医師のほうが、Aiに取って代わられやすいかもしれない。最近のある実験では、コンピュータアルゴリズムが、示された肺癌の症例のうち九割を正しく判断したのに対して、人間の医師の成功率は五割にすぎなかった。実際、未来はすでに到来している。CTスキャンや乳房X線撮影(マンモグラフィ)の結果は専門アルゴリズムが日常的に調べており、医師にセカンドオピニオンを提供し、ときには医師が見落とした腫瘍を発見する。

 ワトソンやその同類は技術的な難問をもあだ多く抱えているので、明日の朝になったらほとんどの医師に取って代わっているという状況にあなりそうにない。とはいえ、そうした技術的問題は、どれほそ難しいものであっても、一度解決するだけで済む。人間の医師を育てるのは、何年もの月日と多額の費用がかかる複雑な過程だ。しかも、一〇年ほどの学習と研修を経てその過程が完了したときの成果は、たった一人の医師にすぎない。もし医師がもう一人必要なら、同じ過程をすべて最初から繰り返さなければならない。それに対して、ワトソンの導入を妨げている技術的な問題が解決できた暁には、一人ではなく数限りない医師が、世界各地で一年三六五日、二四時間体制で患者に対応できる。だからワトソンをうまく機能させるためにたとえ一〇〇〇億ドルかかるとしても、長い目で見れば、人間の医師を養成するよりもはるかに安上がりだろう。

 もちろん、人間の医師が全員消えてしまうわけではない。ありふれた診断よりも高いレベルの創造性を必要とする仕事は、当分は人間の手に委ねられたままになるだろう。二一世紀の軍隊が精鋭の特殊部隊を増強しているのとちょうど同じで、未来の医療サービスでは、アメリカ陸軍のアーミー・レンジャーや海軍のシールズに相当する医療チームのために、新たな職が多く生まれるかもしれない。とはいえ、軍隊が何百万もの兵士をもう必要としないのと同様、未来の医療サービスも何百万もの一般開業医は必要としない。

 医師に当てはまることは、薬剤師にはなおさらよく当てはまる。二〇一一年、ロボットがたった一台で応対する調剤薬局がサンフランシスコで開業した。人間がその薬局にやって来ると、数秒のうちにロボットが処方箋を全部受け取るとともに、その人が服用している他の薬や、抱えているかもしれないアレルギーについての詳しい情報も入手する。ロボットは、服用中の他のどの薬との組み合わせでも新しい薬が悪い影響を及ぼすことなく、アレルギーも引き起こさないことをたしかめた上で、必要な薬を調合する。開業から一年で、このロボット薬剤師は処方箋に従って二〇〇万回の調剤を行ったが、一度としてミスは犯さなかった。生身の人間の薬剤師は平均するとすべての調剤のうち一・七パーセントで間違える。これはアメリカだけでも、なんと毎年五〇〇〇万回の調剤ミスに相当する。

 たとえアルゴリズムが仕事の技術的な面で医師や薬剤師よりも優るとしても、人間味あふれた対応までは提供できないと主張する人もいる。もしCTスキャンであなたが癌であることが判明したら、あなたはその結果を思いやりのかけらもない機械から聞きたいか、それとも、あなたの情動の状態にも気を配ってくれる人間の医師から聞きたいか?では、注意深くて、あなたの気持ちや性格タイプに合うように言葉を選ぶ機械にその結果を知らされるというのはどうだろう?思い出してほしい、生き物にはアルゴリズムであり、ワトソンはあなたの腫瘍を見つけるのと同じ精度であなたの情動も検知できるのだ。

2020年11月24日火曜日

20201124 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21Lessonsー21世紀の人類のための21の思考」 pp.17-19より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21Lessonsー21世紀の人類のための21の思考」

ISBN:978-4-309-22788-7

pp.17-19より抜粋

人間は、事実や数値や方程式ではなく物語の形で物事を考える。そして、その物語は単純であればあるほど良い。どんな人も集団も、独自の物語や神話を持っている。だが20世紀には、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、モスクワのグローバルなエリート層が、過去をそっくり説明するとともに全世界の将来を予言するという触れ込みの、三つの壮大な物語を考え出した。ファシズムの物語と、共産主義の物語と、自由主義の物語だ。

 ファシズムの物語は、異なる国家間の闘争として歴史を説明し、他のあらゆる人間の集団を力づくで征服する一つの集団によって支配される世界を思い描いた。共産主義の物語は、異なる階級間の闘争として歴史を説明し、たとえ自由を犠牲にしても平等を確保する。中央集権化された社会制度によって、あらゆる集団が統一される世界を思い描いた。自由主義の物語は、自由と圧制との闘争として歴史を説明し、あらゆる人が自由に平和的に協力し、たとえ平等はある程度犠牲にしても中央の統制を最小限にとどめる世界を思い描いた。

 これら三つの物語の間の争いは、第二次世界大戦で最初の山場を迎え、この戦争によってファシズムが打ち負かされた。1940年代後期から80年代後期にかけて、世界は共産主義と自由主義という、残る二つの物語の間の戦場と化した。やがて共産主義の物語が破綻し、自由主義の物語が、人間の過去への主要なガイド兼、世界の将来への不可欠の手引きとして後に残されたーいや、グローバルなエリート層にはそう思えた。

 自由主義の物語は自由の価値と力を賛美し、次のように語る。人類は何千年にもわたって暴虐な政治体制の下で暮らしてきた。そうした体制は、政治的な権利や経済的な機会や個人の自由を人々にほとんど許さず、個人やアイデアや財の移動を厳しく制限した。だが人々は自由のために戦い、自由は着実に地歩を固めていった。民主的な政治体制が独裁政権を押しのけた。自由企業制が経済的制約に打ち勝った。人々は、偏狭な聖職者や旧弊な伝統にやみくもに従う代わりに、自分で考え、自らの心に従うことを学んだ。公道や頑丈な橋や活気に満ちた空港が、壁や堀や有刺鉄線のついた柵に取って代わった。

 自由主義の物語は、世の中では万事が順調であるわけではないことや、まだ乗り越えなければならない障害が多々あることを認める。地球上の多くが圧制者に支配されており、非常に自由主義的な国々でも、多くの国民が貧困や暴力や迫害に苦しんでいる。だが少なくとも、これらの問題を克服するために何をする必要があるかはわかっている。より多くの自由を人々に与えればいいのだ。私たちは人権を擁護し、全員に選挙権を与え、自由市場を確立し、個人やアイデアや財が世界中をできるだけ容易に移動できるようにする必要がある。この自由主義的な万能の解決法【わずかな違いこそあれ、ジョージ・W・ブッシュもバラク・オバマも受け容れている)によれば、私たちの政治制度と経済制度を自由主義化・グローバル化し続けさえすれば、万人のために平和と繁栄を生み出せるという。

 とどまる所を知らないこの進歩の大行進に加わる国々は、より早く平和と繁栄で報われる。この必然的な展開に逆らおうとする国々は、苦しむ羽目になるー彼等も目を覚まし、国境を開放し、社会と政治と市場を自由主義化するまでは。時間はかかるかもしれないが、北朝鮮やイラクやエルサルバドルさえもが、デンマークあるいはアイオワ州のように見えるようになるだろう。

 1990年代と2000年代には、この物語は繰り返し語られるグローバルな信条になった。ブラジルからインドまで多くの国の政府が、容赦ないこの歴史の進展に加わろうとして、自由主義の処方箋を採用した。そうしそこなった国は、太古の化石のように見えた。1997年、アメリカのビル・クリントン大統領は、中国が政治を自由主義化するのを拒めば、「歴史の流れに逆行する」ことになると、自信たっぷりに中国政府を批判した。

 ところが、2008年のグローバルな金融危機以来、世界中の人々が自由主義の物語にしだいに幻滅するようになった。壁やファイアウォールの人気が回復した。移民や貿易協定への抵抗が強まっている。表向きは民主主義の政府が、司法制度の独立性を損なったり、報道の自由を制限したり、いかなる反政府運動も叛逆呼ばわりしたりしている。トルコやロシアのような国の独裁者は、新しい種類の非自由主義的民主主義やあからさまな独裁制を試している。今日、中国共産党が歴史の流れに逆行していると自信を持って言い切れる人はほとんどいないだろう。

2020年7月19日日曜日

20200719 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.335‐338

「人類は前代未聞の革命に直面しており、私たちの昔ながらの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところ一つも現れていない。このような史上空前の変化と根源的な不確実性を伴う世界に対して、私たちはどう備え、次の世代にはどんな準備をさせておけるのか?

今日生まれた赤ん坊は、2050年には30代に入っている。万事が順調にいけば、その子供は2100年にも生きていて、22世紀に入っても溌剌と暮らしてさえいるかもしれない。

2050年あるいは22世紀の世界で生き延び、活躍するのに役立ててもらうためには、その子供に何を教えるべきなのか?その子は、仕事を得たり、周りで起こってることを理解したり、人生の迷路をうまく通り抜けていったりするためには、どんな技能を必要とするのか?

あいにく、2100年は言うまでもなく、2050年の世界がどうなっているかは誰にもわからないので、このような疑問の答えを私たちは知らない。もちろん、これまでも人間は未来を正確に予測することはできなかった。だが今日、未来の予想はかつてないほど難しくなっている。なぜなら、テクノロジーのおかげでいったん体と脳と心を作り変えられるようになってしまえば、もう何一つ確かに思えるものがなくなるからで、それには、これまで不変で永遠のように見えていたものも含まれる。

 今から1000年まえの1018年には、人々は未来についてわからないことはたくさんあったが、それでも人間社会の基本的特徴が変わることはないと確信していた。もしあなたが1018年に中国に住んでいたら、1050年までに宋王朝が崩壊したり、契丹が北から侵入してきたり、疫病で何百万もの人が亡くなったりしうることは承知していた。とはいえ、1050年にもほとんどの人が依然として農民や職工として働き、支配者たちが依然として軍隊や官僚制を人間で賄い、男性が依然として女性の上に立ち、平均寿命が依然としておよそ40年で、人間の体はまったく同じままであるだろうことは明白だった。したがって、1018年には中国の貧しい親は、子供たちに田植えの仕方や絹織物の織り方を教え、豊かな親は、息子たちに儒教の古典の読み方や書道、馬に乗っての戦い方を、娘たちには慎みのある従順な家庭婦人になることを教えた。こうした技能が1050年にも必要とされることは明らかだった。

 それに対して、今日私たちは、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。人々が何をして暮らしを立てているかも、軍隊や官僚制がどのように機能するかも、ジェンダー関係がどうなっているかも、まったくわからない。今よりもはるかに長く生きる人もおそらくいるだろうし、生物工学や、脳とコンピューターを直接つなぐブレイン・コンピューター・インターフェイスのおかげで、人間の殻らそのものが空前の革命を経ているかもしれない。したがって、今日子供たちが学ぶことの多くは、2050年までに時代遅れになっている可能性が高い。

 現在、情報を詰め込むことに重点を置いている学校が多過ぎる。過去にはそれは道理に適っていた。なぜなら、情報は乏しかったし、既存の情報の緩慢で、か細い流れさえ、検閲によって繰り返し堰き止められたからだ。たとえばあなたが1800年にメキシコの田舎の小さな町に住んでいたら、広い世界について多くを知ることは難しかっただろう。ラジオもテレビも日刊紙も公共図書館もなかったからだ。仮にあなたが字を読め、個人の書庫に出入りできたとしても、小説と宗教の小冊子以外には、ほとんど読むものなかっただろう。スペイン帝国は、各地で印刷される文書はすべて厳しく検閲し、外部からは念入りに検査した出版物がわずかに持ち込まれるのを許すだけだった。あなたがロシアやインド、トルコ、中国の田舎町に暮らしていても、状況はほとんど同じだった。近代的な学校が設立され、子供たち全員に読み書きを教え、チリや歴史た生物学の基本的事実を知らせるようになったのは、途方もない進化だった。

 それに対して21世紀の今、私たちは膨大な量の情報にさらされ、検閲官たちでさえ、それを遮断しようとはしない。むしろ彼らは、せっせと偽情報を広げたり、無関係な情報で私たちの気を散らしたりしている。もしあなたがメキシコの田舎町に住んでいて、スマートフォンを持っていたら、一生かけてさえとても足りないほど、ウィキペディアを読んだり、TEDの講演を観たり、無料のオンライン講座を受講したりできる。どんな政府も、気に入らない情報すべて隠すことは望めない。その一方で、相容れない報道や、人の気を逸らす情報を世間に氾濫させるのは、驚くほど易しい。世界中の人が一回マウスをクリックするだけで、シリアのアレッポの爆撃や、北極圏の氷の融解について、最新情報を手に入れられるが、矛盾する話があまりにも多いため、何を信じていいか困ってしまう。そのうえ、たった一回クリックするだけでアクセスできるものは他にも無数にあるので、的を絞るのが難しく、政治や科学があまりにも複雑に見えるときには、愉快な猫の動画や、有名人のゴシップや、ポルノに、ついつい切り替えたくもなる。

 そのような世界では、教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない。生徒はすでに、とんでもないほどの情報を持っているからだ。人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。」
株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

2020年7月10日金曜日

20200710 現在読み進めている著作から思ったこと

ここ数日間は、新たな記事作成を行わずに過ごしました。また、その間に以前から読み進めていた複数著作も大分頁が進みました。

その中の一冊がジャレド・ダイアモンド著「危機と人類」上巻ですが、当著作にて述べられているさまざまな事例は、これまで、あまり知らなかったものが多く、興味深く読みましたが、同時に当著作の全体的なテーマは、同著者が編著にあたった「歴史は実験できるのか」とも通じるものであると思われました。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766425192/

とりわけ、後著作の第5章にて述べられいる「奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか」は、自身として初めて読む歴史上の出来事についての考察であり、また、こうした題材がそこまで学術的とも云えない、一般的な書店にて購入可能な著作にて扱われた意味や反響は思いのほかに大きく、あるいは、現今のコロナ禍最中、主に欧米にて生じている大きな動き、思想的な潮流にも影響を与えたのではないかと思われます・・。

とはいえ、こうした考え自体は決して新しいものではなく、特に同著者は、こうした問題(世界規模における文明の発展段階の地域毎の相違、およびその原因について)を著作の主題として多く扱ってきたと云えます。

それに加えて他の現在読み進めているユヴァル・ノア・ハラリ著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」もまた、こうした歴史的な事例の考察の上に組み立てられた著作であると云え、その意味で、当著作は、同著者による前著の「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」といった、歴史的事例が少なからず書かれている著作とは毛色が異なり、より抽象的あるいは観念的色彩と強いと云えます。

それ故、同著は読み進めるのに多少苦労するのでしょうが、また同時に、読書としては面白いと云えるのかもしれません・・。

ともあれ、こうしたことを書いていて、いささか不思議に思うことは「危機と人類」そして「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」などは、まさに現在の我々人類全体に生じている出来事、動きをある意味、予見しているとも考えられる著作でありながら、あまり、そうしたこと、そしてまた、その「意味」を、それぞれの著作を基軸として議論されていないということです。

こうしたことは他の国々においても同様であるのかもしれませんが、我が国においては、言語が違うということもあってか、そうした傾向がいくらか顕著であるように思われ、それが良くも悪くも我が国の通例である「ガラパゴス化」といった現象を生み出しているのかもしれませんが、さきのジャレド・ダイアモンド氏による我が国について扱った記述には「ガラパゴス化」というコトバは我が国に対しては用いられていなかったように記憶しています・・(笑)。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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2020年5月20日水曜日

20200520 河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46

河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

「同様に、もし世界医療保健期間(WHO)が新しい疾病を認定したり、研究所が新薬を開発したりしたら、こうした進展を世界中の人間の医師全員に知らせることは不可能に近い。

それに対して、たとえ世界中に100億のAI医師が存在し、それぞれが一人の人間の健康状態をモニターしていたとしても、そのすべてを瞬く間にアップデートでき、それらAI医師はみな、新しい疾病や薬についての自分のフィードバックを伝い合える。

このような接続性と更新可能性の潜在的な恩恵はあまりに大きいので、少なくとも一部の職種では、すべての人間をコンピューターに取って代わらせることが理に適っているかもしれないーたとえ個別には、機械よりも腕の良い人間がいくらかいたとしても。

個々の人間をコンピューターネットワークに切り替えたら、個別性の利点が失われるとして、異論を唱える人がいるかもしれない。たとえば、一人の人間の医師が判断を誤まっても、世界中の患者を殺すこともなければ、すべての新薬の開発を妨げることもない。それに対して、もし医師全員が本当は単一のシステムにすぎず、そのシステムが間違いを犯せば、大惨事になりかねない。とはいえ実際には、統合されたコンピューターシステムは、個別性の恩恵を失わずに接続性の利点を最大化しうる。同じネットワークで多くの代替アルゴリズムを作動させることが可能だ。だから、辺鄙な密林の中の村にいる患者は、自分のスマートフォンを使って、単一の権威ある医師ではなく、実際には100の異なるAI医師にアクセスできる。それらのAI医師の相対的な実績は、絶えず比較されている。IBMの医師に言われたことが気に入らなかった?大丈夫。たとえあなたがキリマンジャロの斜面のどこかで立ち往生していたとしても、いとも簡単に百度(バイドゥ)の医師と連絡を取って、セカンドオピニオンが聞けるから。

 おそらく、人間社会が受ける恩恵は計り知れない。AI医師は何十億もの人に、これまでよりもはるかに優れた医療をはるかに安く提供できるだろう。とくに、現在は何の医療も受けていない人々には。学習アルゴリズムと生体センサーのおかげで、発展途上国の貧しい村人さえもが、現在、世界で最も裕福な人が最も進んだ都会の病院で得るものよりもはるかに優れた医療を、スマートフォンを通して享受できるようになるかもしれない。

 同様に、自動運転車はこれまでのものをはるかに凌ぐ輸送サービスを人々に提供できるのではないか。とくに、交通事故の死亡率を下げられるだろう。現在、交通事故で毎年125万人近くが亡くなっている(訳注 世界保健機関によると、2016年の交通事故の死者数は135万人)(これは、戦争と犯罪とテロで死亡する人の合計を上回る)。これら事故の九割以上は、いかにも人間らしい過失が原因だ)。飲酒運転をする人もいれば、運転しながら電子メールを送っている人や、居眠り運転する人、道路に注意を向ける代わりにぼんやりと空想に耽っている人もいる。31パーセントにアルコール濫用、30パーセントにスピードの出し過ぎ、21パーセントに運転者の注意散漫が絡んでいたという。自動運転車なら、こういうことはいっさいない。もちろん自動運転車特有の問題や制約はあるし、避けられない事故もあるが、人間の運転者をすべてコンピューターに替えれば、交通事故による死者数の数がおよそ九割減ることが見込まれている。言い換えると、自動運転車に切り替えれば、おそらく毎年100万人の命が救われる。

 したがって、人間の仕事を守るためだけに、交通や医療のような分野での自動化を妨げるのは愚行だろう。なにしろ、最終的に守るべきなのは、職ではなく人間なのだから。余剰になった運転者や医師は、何か他にすることを見つけるしかない。

モーツァルトと機械
 少なくとも短期的には、AIとロボット工学がさまざまな産業をそっくり排除することはなさそうだ。狭い範囲での定型化された業務を専門とする職は、自動化されるだろう。だが、幅広い技能を必要とし、予期できない筋書きに対処するような、あまり定型化されていない職で、機械が人間に取って代わるのは、はるかにむつかしい。医療を例に取ろう。多くの医師は、情報の処理にほぼ専念している。医療データを取り込み、分析し、診断を下す。それに対して看護師は、痛みを伴なう注射を打ったり、包帯を取り換えたり、暴れる患者を拘束するために、優れた運動技能や情動的な技能をも必要とする。したがってAIの家庭医をスマートフォンで持てるようになってからも、信頼できる看護ロボットが手に入るまでには何十年もかかるだろう。病人や幼児や高齢者などの世話をする対人ケア産業は、ずっと先まで人間の独擅場であり続ける可能性が強い。それどころか、人間の寿命が延び、少子化が進むにつれ、高齢者の介護は人間の雇用のうちでも、著しい成長を見せる部門の一つとなるだろう。」

2020年4月5日日曜日

20200405 最近の引越しで思ったこと 徳島県の立地について

昨年暮あたりから、千葉県市川市の実家に戻ることを検討しはじめ、今年度からは丁度空きがあるとのことから、実家家業に入らせて頂くことにしました。そのため、ここ一週間ほどは引越し等の作業で慌ただしく、また、ブログ作成を行っているPCも早々に引越し荷物として梱包していたことから、ブログの更新を行うことが出来ていませんでした。これまで読んで頂いる方々におかれましては、申し訳ありませんでしたが、また本日から再開していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。【この間にご連絡頂いた皆様、どうもありがとうございます。明日から、出来るだけ早急に対応させて頂きたく思います。】

さて、本日の市川市周辺は、気温も低く、天気もあまり良くなく、また、かねてからの状況から、あまり出歩く人々もいませんでしたが、私の方は、生活必需品などの購入のため、何度か近所のスーパーに出向きました。そこでも、あまり客の入りは多くなく、どちらかといえば閑散とした様子ではありましたが、所望の品々を買い求め、早々に家に戻りました。こうした状況が何時まで続くのか分かりませんが、夏になるまでには、ある程度は収束していることを願う次第です・・。

書籍については、先日購入したユヴァル・ノア・ハラリ著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」そして近藤義郎著「前方後円墳の時代」を読み進めていますが、先日来の引越しの慌ただしさから、あまり頁は進んでいません。また、私の場合、引越し直後の時期は、落ち着いて書籍を読むことが困難になる傾向があり、他方で、そこでも読み続けないと、さらに読むことが困難になることから、様子を見ながら読み進め、徐々に読書と自分の精神の歯車が合うように調整していきたいと思います。

また、以前に読了した横溝正史による「八つ墓村」「獄門島」そして山本七平著「私の中の日本軍」上下巻は、手荷物の中に入れ、移動中の電車、バスそして宿泊先のホテルで読んでいましたが、久しぶりということもあり、大変興味深く読むことが出来ました。とりわけ「私の中の日本軍」下巻に書かれている日本刀(軍刀)についての考察は、日本刀が静かなブームとなっている現今の我が国社会を考えるうえで示唆するものが少なからずあるように思われますので、こうしたことに興味のある方は、ご一読をお勧めします。

そういえば、さきほどの移動手段にて「バス」と書きましたが、徳島から関西方面の本州に渡る場合、最も手頃で便利な手段が高速バスを含めた自動車であり、一時間ほどかけて、市内から鳴門を経由し、そして淡路島を縦断しますと、神戸市の舞子に着きます。そして、ここからはJR山陽本線の舞子駅あるいは山陽電鉄の舞子公園駅から乗車しますと、神戸三宮、大阪など関西方面に割と気軽に出向くことが出来ます。【ちなみに私はこの舞子の高速バス乗り場、その周辺が大変印象的であると思います。他方、古来より舞子は淡路島を臨む風光明媚な土地でもあり、日清戦争の直後、当時外務大臣であった陸奥宗光が静養していた場所が、この舞子であり、三国干渉の報もここで受けました。】


これが徳島県の北隣の香川県になりますと、徳島県よりも西にスライドした位置にあることから、神戸まで出るのには、おそらく、どの経路を用いても二時間程度はかかり、それよりも瀬戸内海の対岸にある岡山までは電車にて一時間程度で着くことから、自然、高松は、さまざまな面において、関西圏とは異なる瀬戸内文化圏の方に親和性を持っているように感じられました。

その意味において、徳島県は神戸・高松双方へ高速バスを用いて一時間程度で着くことが出来るという、比較的恵まれた立地から、四国内においても、一種特殊な性質があると云え、文化全般などはどちらかというと、関西圏のそれに近いのではないかと思われました。

こうした性質は、三重県が関西圏あるいは東海圏の何れかに含まれるのかと、多少似たようなところがあると思われます。しかし、三重県の場合、双方圏域に対して陸続きであることから微妙であるのに対し、徳島県の場合、陸地では四国各県(香川・愛媛・高知)と繋がっていながら、周辺の海から臨むと、神戸、大阪、和歌山と比較的容易に往来が可能であることから、そうした性質を持っていると云えますので、これまたやはり特殊であると云えます。くわえて、こうしたことは、地域における遺跡や出土品の系統などから考えてみますと、その時代毎の変遷を理解することが出来ます。そして、徳島の場合、その視座においては、吉野川の存在が、かなり大きいと云えます。(河川や瀬戸内海のような内海は文化・物流の流通路となるのです・・。これは地中海でも同様のことが云えます。)

とはいえ、このようなことは、かつての和歌山在住時にはあまり考えず、また当時は実際に徳島に渡ろうとも考えませんでしたので、このたびの徳島在住期間において、何度か原付にてフェリーに乗り約二時間半かけて徳島から和歌山に訪問したことは、私としてはなかなか新鮮な経験であったと云えます。ちなみに徳島から大阪梅田までも、高速バスを用いると、概ねさきと同様、二時間半程度で着くことが出来ます。

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。








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2020年2月26日水曜日

20200226 時代精神・地域性と人工知能

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1250に到達します。そして、今月中、新規にて2記事投稿出来れば、以前に述べた目標をクリアすることになります。そうしますと、残り3日の今月のうち、2日間投稿(1日1記事として)すれば良いということになりますが、果たしてコトはそこまで上手く運ぶのでしょうか・・。

さて、先日来から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、その後頁が進まず今に至っておりますので、出来れば近日中に読了し、新たな著作を読み始めたいと考えています。

新たな著作として現在考えているのはユヴァル・ノア・ハラリによる「21lessons 21世紀の人類のための21の思考」ですが、ここに来て、折角であれば、もうしばらく近現代史について扱った著作を読んでみてはどうかとも考え始めています・・(苦笑)。

さきにも述べました通り、近現代史、特に我が国の昭和初期のそれは大変に痛ましいものがあり、おそらく、どの頁を開いてみても眉間に皴が寄るような感じがあると云えます・・。

しかしながら、これもさきに述べました通り、我が国のこの時期の歴史に対し、ある程度クリアな認識を持っておくことが、さきの時代を考える上で極めて重要であるように思われるのです・・。

これは、あまり云われることは少ないのですが、ある時代・地域に生み出されたさまざまな事物は、それを生んだ時代精神を象徴するものと云えます。その意味において、昭和初期、特に昭和6年(1931年)あたりからのそれは、全体的に不自然であり、何と云いますか、のびのびとしたところが少ないように見受けられます。異言しますと、桎梏に喘ぐ人々が、そこから逃れ得ず、また、そこで苦しんでいるということを外に云えないような状況にある時に表現されたものであるといった感じを受けるのです・・。

とはいえ、こうしたことは後知恵であると評されても仕方がありませんが、それでも、この時代の事物には、感覚的に何かしら嘔吐感を催すものがあると感じられます・・。

そして、それと同じような感覚を最近の広告やテレビ番組を見ていますと、不図、感じることがありますが、これは「私が疲れているからなのであろうか・・?」とも思うのですが、他方で「そこには何らかの共通性があるのではないか?」と考えてしまう私もまたいるのです・・(苦笑)。

このような各時代・地域におけるさまざまな事物から、それぞれの時代精神や地域性を考えようとすることは、もっと広く行われても良さそうに思われるのですが、私の見聞きするところ、現今の我が国では、そうした試みは、あまり為されていないように見受けられます。

あるいはまた、こうした時代・地域毎のさまざまな事物と、それぞれの時代・地域に当て嵌まると思われる言語表現を、人工知能に学ばせていくことにより、ある程度の確率で、未だ評価が定まっていない時代・地域に対する時代精神・地域性の仮説のようなものを提示することが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。

そして、今後、こうした人工知能ソフトが出来ましたら、現在の我が国社会に対しては、どのような評価の仮説が提示されるのでしょうか・・(笑)?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





2020年2月16日日曜日

20200216 最近の読書から「大掛かりな歴史の皮肉」

本日の徳島市は気温はそこまで低くなかったものの、終日風の強い一日でした。報道によりますと、今年の徳島での春一番は数日前に吹いたとのことであり、そこから、本日の強風についても、おそらく同様の気象状況から発生したのではないかと思われます。

また、当ブログにつきましては、その後、おかげさまで順調に記事の更新が為され、あと55記事の投稿により1300記事に到達する状況となりました。この55記事とは決して少ない数ではありませんが、これまでの記事作成経緯から考えてみますと、そこまで困難とは云えないことから、来る6月22日に迎えるブログ開始から丸5年までに、どうにか達成したいと考えています。

また、さきに述べましたように、ブロガーでの記事投稿は、順調に為されていますが、それらのアメーバ・ブログへの再投稿は、あまり順調に行われておらず、今後、機会を見つけて徐々にそれら記事を移し替えていきたいと思います。

さて、現在読み進めている岡義武著「国際政治史」は、ようやく200頁過ぎにまで至り、第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議の開催そして大戦中に生じたロシア革命による欧州全土における緊張、そして、その一応の安定化といった状況が描かれていますが、この大戦後の敗戦国ドイツへのフランスを主とした周辺諸国の戦後処理には、なかなか峻烈なものがあり、ある意味、こうした事情があったことから、その後のナチス党の台頭さらには政権掌握も為し得たと云えます。

こうした歴史の流れからも、ある種「大掛かりな歴史の皮肉」といったものを看取することが出来ますが、しかしながら同時に、当時の当事者達としては、どうしてもそのような選択しか採り得ない経緯・背景もまた、あったのだと云えます・・。

そして、そのように考えてみますと「たとえ過去の歴史を詳細に知ったとしても、未来は変えることが出来ない。」といった、ある種の無力感・絶望感を覚えるわけですが、そうであっても、そうした歴史を知る人々が社会で徐々に増え、そして、何らかのカタチで発信し続けることにより、わずかではあれ、未来の方向性に対して影響を与えることが出来るのではないかとも思われるのです・・。

その意味で、インター・ネットを基盤とする現代の情報社会は、悪いものであるとは考えません。ただ、ここで大事になると思われることは、金銭・経済的なもの以前にある「何に価値があるか」を各々で考え、そしてお仕着せでない、能動的な議論を通じ、その相違点や共通項を見出していくことであるように思われます・・。

ともあれ、今後も当著作を読み進めていこうと考えていますが、250頁あたりにまで至りましたら、過日投稿のブログ記事にも書きましたユヴァル・ノア・ハラリによる「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を購入し、読んでみようと思います。












2020年2月2日日曜日

20200202 ブログへの反応から思ったこと、および最近の読書から

これまで、ある程度の期間、ブログ記事の作成を行ってきましたが、当初の2年ほどは、しばしば直接・間接にて当ブログのことをくさすようなご意見を頂くことがありました。また、これは現在においても、なくはないと云えますが、それでも、当初の時期と比べますと、どうしたわけか減っているように感じられます。

他方で、当ブログに対し、褒めるとまでは行かなくとも、肯定的なご意見を頂くといったことも滅多になく、これまで1、2度ほど、そうしたことがあったと記憶しています。これは、当ブログを読んで頂いている方々が減少したことから、それに伴い、反応も少なくなってきたとも考えられますが、当ブログの閲覧者数は、開始後3年目がもっとも多く、その後、徐々に減少し、現在の水準にて落ち着いてきていますので、その考えは精確には当て嵌まらないと思われます。

ともあれ、記事閲覧者数の多寡ではなく、否定・肯定のいずれであれ、記事に対して少なからず反応があるということは、必ずしも、記事作成の継続のために、そこまで重要ではないと思われますので、端的に、あと70記事程度を今年の6月後半あたりまでに、どうにか投稿出来ればと考えています。

さて、つい先日から読み始めました岡義武著「国際政治史」は、その後も頁が進み、本日までで、全体の4分の1程度まで読み進みました。この時代のくだりもまた大変面白く、具体的には、19世紀前半のナポレオン戦争後の欧州を主とした世界情勢については、これまであまり概説的な著述を読んでいなかったことから、かなり新鮮な感じを受け、また同時に、トーマス・マンによる「魔の山」の社会背景様相がさらに深化して理解出来たようにも思われました。

その一方で、昨年暮れに購入した梶田昭著「医学の歴史」を少し手に取って読んでみたところ、これもまた興味深く、とりわけ、同著11章の「西欧医学と日本人」の、我が国における西欧医学萌芽期(江戸時代後期~)の記述が大変新鮮であり、今後、機会を見つけて、これに類する他の著作をあたってみようと思います・・(苦笑)。

とはいえ、経験上、あまり手を広げすぎるのも良くないと考えることから、とりあえずは、さきのブログにて述べましたように岡義武著「国際政治史」を半分程度まで読み進め、次いでユヴァル・ノア・ハラリによる新著「21 lessons :21世紀の人類のための21の思考」を並行して読んでみようと思います。しかし、さきにとり挙げましたあまり意図せずに読み始めた面白い著作も大事にし、そして機会を見つけてある程度集中的に読んでみたいと考えています。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
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20200202 最近の読書から思ったこと・内容と著者の文体から

先日来から読み進めていました岡義武著「転換期の大正」を、つい先日、移動中の電車内にて読了しました。次いで同著者による「国際政治史」を新たに読み始めましたが、こちらは扱っている時代が以前に読んだポール・ケネディ著「大国の興亡」と概ね同様であることから、時折、意味が分からない言葉が出ては来るものの、それらの意味を調べつつ、比較的スムーズに読み進めることが出来ていると思われます・・。

また、当著作も、先日読了の「明治政治史」上下巻、「転換期の大正」同様、大変興味深く、特に著者である岡義武氏のテクニックであるのか、あるいは癖であるのか分かりませんが、著述にしばしば、そこに記されている人物についてのエピソードが挙げられているのですが、これが大変にセンスが良いと云いますか、秀逸であるように思われます。

後日、興味深いと思われた、こうした記述を当ブログに抜粋引用してみようと思いますが、その前にとりあえず、現在読み進めている「国際政治史」をもう少し読み進めたいと思います・・(苦笑)。また、ここまで書いていて不意に思い出されたことは、以前に、当ブログにてユヴァル・ノア・ハラリの新著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」を次に読んでみたいと述べていたことです・・(苦笑)。

おそらく、自分からの読み易さとしては、後者の方が優れていると思われますが、折角ようやく「国際政治史」の著述の間(ま)・文体に乗ることが出来るようになってきたと感じられることから、当著作を半分程度まで読み進みましたら、様子を見て、後者の方に手を出してみようと思います・・(笑)。

つい先日、日本近現代史についての著作を読み終え、そこから間を置かず主に16世紀以降の欧州を舞台とする国際政治・歴史についての著作を読み始めますと、やはり当初は相当に面食らうと云えますが、同時に両著とも、同じ著者によって書かれていることから、用いられている言葉・タームは、それなりに違うものの、その歴史著述の運びなどは、当然と云えば当然であるのかもしれませんが類似しており、そこから、何とか日本近現代からウェストファリア条約以降の欧州社会に飛び移ることが出来ているのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、こうしたことは書籍を読み進める上ではそれなりに重要であり、専門書はもとより、それは小説などの所謂「物語を読ませる」性質のものであれば、より一層重要であると云え、あるいは、こうしたことを人々に感じさせることの出来る文体を、どうにか体得することが出来るのであれば、それなりに苦労をしてみるのも悪くはないのかもしれません・・(笑)。

また、そこから思ったことですが、ここ数日は以前に投稿したブログ記事の加筆を行い再度投稿してきましたが、これはこれでやってみますと、色々と考えさせられて面白く、また、過去の自分(の文体)を、ある程度まで客観視することが出来るようにも思われることから、今後も継続して行きたいと思います。そして、案外、こうした過去の投稿記事への加筆作業の過程において、また、新たな記事作成の契機ともなるような、ひらめきを得ることが出来るのではないかとも思われるのです・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2020年1月19日日曜日

20200118 最近書店に行き思ったこと、歴史の理解・認識について

所用のため、今年に入り既に何度か首都圏を訪問していますが、その度に時間を見つけ大型書店に足を運んでいます。こうした書店に行き、多くの書籍が並んでいる書棚を徘徊し、背表紙や表紙を眺めていますと、さまざまな記憶が惹起され、そしてまた同時に「自分はこれら書籍に書かれている殆どのことを知らない・・。」といった挫折感あるいは圧迫感のようなものをも感じさせます。「書店に行くとお腹が痛くなる」といった割合よく聞く現象は、あるいはこうしたところにも原因があるように思われます・・(笑)。

さて、とはいうものの、書店に行く度に、こうした挫折感・圧迫感を軽減するため、興味を持った書籍を購入していますと、さまざまな面で大変になりますので、昨今は自分なりに選んで購入しているつもりではありますが、それでもやはり徐々に増える一方であることから今後、近いうちに機会を見つけて書籍の断捨離・整理をした方が良いのかもしれません・・(苦笑)。

また、先日来から読み進めている岡議武著「転換期の大正」はさらに頁が進み、300頁少し手前まで読み進みました。ここに記されている時代は、1918年に第一次世界大戦が休戦にて終わり、パリ講和会議・ワシントン海軍軍縮会議の開催となり、国内では第一次世界大戦の極東地域における事象と云えるシベリア出兵、米騒動、寺内正毅内閣の総辞職、尼港事件、(立憲)政友会の原敬を首班とする内閣の成立そして、その暗殺、他方で、元老・藩閥など維新エスタブリッシュメント等による影響力の低下と、時代潮流が大きく変化し、また、その意味においてこの大正期は、表題の通り、明治以降、近現代日本の転換期あったと云えます・・。

これまで当著作を読むことにより、また少し我が国の近現代史についての理解・認識が深まったように思われ、また、同時にそれは、これまでに読んだ北杜夫著「楡家の人びと」前半部、そして石光真清著・石光真人編「石光真清の手記・誰のために」とも時代が被ることから、今後、これら著作再読の際は、以前よりもいくらか深く読むことが出来るのではないかと思われました。

そして、通常、目に見えるカタチでの表現を採らない歴史への理解・認識といったものは、おそらく、こうした比較的長い期間をかけた反復的な活動を通じ、油絵の重ね塗りのようにして、自分なりの、その時代に対する理解・認識のカタチといったものが形成され、そして、深化していくのではないかと思われます。

しかし、その一方で、歴史認識においては、さきに述べた方法と同程度に重要であり、そしてまた、その方法との補完関係にあると云える方法が、歴史上に登場するさまざまな具体的存在のカタチ・機能そしてその背景にある意味を理解することであると考えます。

おそらく、前者のいわゆる文字によって著された歴史と、後者の具体的な存在によって表される歴史の双方が関連し合い、まさしく適切に配されることにより、ピントが合い、明瞭な歴史像に対しての視野を得ることが出来るのではないかと思われます・・。

そういえば、先日立ち読みした、ユヴァル・ノア・ハラリの新著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」はかなり興味深く感じられ、現在読み進めている著作を読了しましましたら、次はこれを読んでみようと考えています・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
日本福祉大学
オープンキャンパス

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祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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2020年1月3日金曜日

20200103 2020年はじめての投稿・年末年始の読書から

今回が2020年に入って初めての記事投稿になります。昨年末は30日の投稿が最後となり、そこから年末年始の期間は、思いのほか多くの方々に読んで頂きました。これらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。そしてまた、今年2020年の6月22日まで記事作成を続けますと、5年間ブログ運営を行ってきたことになりますので、そこまでは継続してみたいと考えています。とはいえ、考えてみますと、4年以上にわたり公表する記事・文章の作成を継続出来たことは、それらの中のいくらかが、書籍からの抜粋引用であっても、以前の自身では為し得なかったことであると云えますので、年初めの現在のような時期に振り返ってみますと、多少、感慨深いものを感じさせられます。そして、大分前に読んだサン・テグジュペリによる「星の王子さま」内の、星の王子さまが自分の育てたバラについての意見が想起せられます・・(笑)。

さて、先日来から読み進めていました岡 義武著「明治政治史」下巻は、一昨日の元日に読了し、その後、続編とも云える同著者による「転換期の大正」を読み始めました。このいわば近現代日本前期の歴史については、これまで戦争・争乱などを通じての認識が主たるものでしたが、今回の読書によって多少視野が広がったように思われます。あるいは現在において問題とされている、さまざまな事象に繋がるものも少なからずあるように思われました。その意味において当著作は名著であり、また当著作を読むに至る原因となった陸奥 宗光著「蹇蹇録」もやはり優れた著作と云えるのではないかと考えます。

ともあれ、今年の読書は「明治政治史」下巻、そして「転換期の大正」からはじまった次第となりましたが、同時に少し前から気になっていましたユヴァル・ノア・ハラリの新著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」とジャレド・ダイアモンドによる「危機と人類」上下巻も読み進めていきたいと考えています・・。

他方で、ここ最近気になった著作は、以前にも読んだことがあるジョルジュ・バタイユ著「呪われた部分」です。この著作では経済活動を含む我々人間の諸活動について、その起源から考察し、特に合理化された思考を持つ現代人からは忌諱されがちな「消費・蕩尽」の意味を重要視しているところに特徴があると云えます。

当著作は修士院生当時、地域にて古代から続く雨乞い祭祀の背景、あるいはその始源にある考えを理解するため、ジェームズ・フレイザー著「金枝篇」などと同時期に読んだ記憶がありますが、現在、我が国近現代史について扱った著作を読み進めているのと同時期に当著作をあらためて読んでみたいと思うところには、何らかの理由があるのだろうか・・。

また、こうした思いの惹起には、最近の読み進めている(た)著作内に、さきのジョルジュ・バタイユ著「呪われた部分」ついての記述があるからではないのですが、こうした一見したところ無関係にも思われるいくつかの著作について、何らかの関係性、そして、その理由を見つけようとするところにも、我々の持つ創造性といったものが、少なからず関与しているようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
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2018年12月21日金曜日

20181220 日帰りの東京出張にて思ったこと・・【書籍の読了から】

本日は徳島へ移り住んでから初めて日帰りにて東京に行きました。徳島を発ち、羽田に着き、そこから本日の用務先に比較的近い実家クリニック分院に立ち寄りましたが、本日は休診日であることから誰もおらず、そこで一休みした後、早々に出立しました。

また、本日移動中の電車内にて徳島在住以降初めて購入した書籍であるユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社刊『ホモ・デウス』上下巻を読了しました。この書籍は今後も折を見て読み直してみようと考えており、また同著者によるさきの著作『サピエンス全史』同様、興味深いと思われた記述をブログ記事として抜粋引用しようと思います。

以前にも触れましたが、本日読了した『ホモ・デウス』は前作『サピエンス全史』と比べ、具体的な歴史上の事物に即して述べるというよりも、より思想的・観念的色彩が強いと思われ、それにより前作に比べ、理解しながら読み進めるのに多少苦労しましたが、前作を既に読んでいることから、何と云いますか、記述の流れのようなものがどうにか分かり、そして読み進めるにつれて徐々に面白さが増していきました。それ故、こうした著作に興味がある、あるいは今後の人類の進む方向についての参考となる考え・意見を知りたい方々にとっては大変面白く読むことが出来ると思われます。

ちなみに自身はこの後、出来ればジャレド・ダイアモンド著 草思社刊『文明崩壊』上下巻あるいは同著 慶應義塾大学出版会刊『歴史は実験できるのか』を読んでみたいと考えています。くわえて、こうした歴史全般を扱う書籍でなく、具体的な歴史に関する書籍であれば、平安時代末期の治承寿永の乱【源平合戦】の頃を扱った所謂『平家物語』に関係する書籍を読んでみたいと考えています。徳島も含めて四国そしてさらに西の九州【鎮西】もまた、この時代の歴史の進行方向を大きく左右したことは大変興味深い史実であり、当時のそれぞれ地域勢力の源平の戦いに対する反応、対応の仕方を、これら書籍を通じて知ることにより、その地域が辿った歴史、さらには現代にまで貫かれる普遍的な地域性の発露のようなものをも見出すことが出来るのではないかと思われます。

たとえば、もしものハナシになりますが、屋島を根拠としている平家を追い討つため、摂津の渡辺津を船出した源義経率いる軍勢が、阿波の勝浦【現小松島市】に上陸した際、この地の土着勢力が平家方である阿波民部こと田口成良によって名実ともに統一されていたならば、源義経率いる軍勢の上陸は困難であり、あるいは神武東征の浪速 白肩之津での上陸戦のようになっていたことも考えられます・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


~書籍のご案内~


ISBN978-4-263-46420-5
医歯薬出版株式会社刊

~勉強会の御案内~
前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本・九州にて発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しています。
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