とはいえ、今更1000記事達成とは書いてみましても、あまり現実味どころか高揚感らしきものも殆どないのが現状と云えます(苦笑)。そうした状況の中で記事作成が出来ているのは、これまで継続してきたことからくる惰性らしきものと、読んでくださっている皆さまの存在に因ると云えます。
また、それにも多少関連して昨日投稿分の記事は、ここ数日間の投稿記事内容を関連させたものとなりましたが、思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。また、そこで述べた内容は、特に銘記するまでもなく、あるいは意識の有無に関わらず、我が国の歴史の基層部に組み込まれている、流れているものであると思われます。
それは、欧米由来の近代学問がもたらした普遍的な歴史の発展様式とは異なった土俗的、情念的なものであり、また同時にそれは我が国の歴史の流れ、渦といったものを惹起させる作用をも持ち、端的に、それ抜きにして我が国の歴史は語れないと考えます(あまり声高に主張すべきことでもないのでしょうが、そこに民俗学の価値があるのではないでしょうか?)。
ともあれ、それは父権的な強さ、あるいは母性的な慈愛を備えた啓的宗教といったものを好まず、持たない我が国においては、浮遊し易い良心に対して錨のような効果を持ってきたのではないかと考えます。しかし他方で、時代が経過すると、そうした存在に対し、実在性の認識に由来する共感を抱くことが困難になり、新たなそうした存在を半ば無意識のうちに要請するようになるのではないでしょうか?
その意味において今年の大河ドラマが近代日本最大の悲劇の英雄とも云える西郷隆盛であることには、あるいは深い意味合いがあるのかもしれません・・。
しかし、これまでにも述べてきたことではありますが、そうした都会(概ね東京)発のメディアが発するコンテンツは、昨日分の投稿記事に挙げた歴史上の悲劇の英雄を扱う場合、その活動において最も特徴的であり、且つ注力すべきである悲劇の様相の徹底的な描写を意図的であるのか避けているように思われるのです。
何故ならば、多くの場合、そこには都会対地域といった構図が見え隠れしているからではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
あるいは地方が叛乱を起す程度にまで元気になられると国家
としては困るのかもしれません。そして、その意味での現在の地方創生・再活性化などは都会(概ね東京)発のメディアなどが牽引するのは、いくらか長い目で考えてみますと、あまり良い効果はもたらさないようにも思われるのですが。さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年とり現在までに列島各地において発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。
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著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
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