2017年9月17日日曜日

20170916 主に現在読んでいる書籍からの抜粋引用 叛乱・蜂起と歴史の流れそして判官贔屓?

先日から読み進めているユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』上巻は残り二十頁ほどになりました。
おそらく本日中に読了に至るのではないかと思われます。

そしてまた、気のせいであるのかもしれませんが、巻末に近づくにつれ文章が読み易くなっているように感じられます。

これは自身がその文体に慣れてきた為であるのか、あるいは実際に書かれている文章がそのように変化しているのか、あるいは文章の日本語訳文がそのように変化しているのか分かりませんが、何れにしてもこれは自身としては特に都合の悪いことではありません(笑)。

また、現在読み進めている上巻最終章においても新たに面白い記述を見つけましたので以下に抜粋引用します。

河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳
『サピエンス全史』上巻
pp.233-235より抜粋引用
ISBN-10: 430922671X
ISBN-13: 978-4309226712

古代ローマ人は負けることに慣れていた。
歴史上の大帝国の支配者たちはみなそうなのだが、ローマ人も次から次へと戦いで敗北しながら、それでも戦争には勝つことができた。
打撃に耐え、倒れずにいられないような帝国は、本物の帝国とは言えない。
だがそのローマ人でさえ、紀元前二世紀半ばにイベリア半島北部から届いた知らせは腹に据えかねた。
半島土着のケルト族の住む、ヌマンティアという小さな取るに足りない山の町が、ローマの支配下から抜け出そうとしたのだ。
当時のローマは地中海沿岸全域の紛れもない覇者で、すでにマケドニアとセレウコスの両帝国を打ち破り、誇り高いギリシャの都市国家を残らず征服し、カルタゴを焦土に変えていた。ヌマンティアが当てにできるものといえば、自由を熱烈に愛する気持ちと険峻な地形ぐらいのものだったが、彼らは、次々に襲いかかるローマの軍団をすべて降伏や不面目な撤退に追い込んだ。
紀元前一三四年、ついにローマの堪忍袋の緒が切れた。
元老院は、ローマ随一の将軍で、カルタゴを倒したスキピオ・アエミリアヌスに、ヌマンティア人たちを始末させることに決めた、彼は三万から成る大軍を与えられた。
ヌマンティア人の闘志と戦闘技能に一目置いていたスキピオは、無用の戦いで兵士の命を無駄にしたくなかった。
そこで一連の砦でヌマンティアを取り囲み、外界との接触を断った。後は住民たちが飢えるのを待つばかりだった。
一年以上が過ぎ、糧食が尽きた。
あらゆる希望が絶たれたことをさとったヌマンティア人は、自らの町に火を放った。ローマの記録によれば、住民のほとんどがローマの奴隷になるのを嫌って自ら死を選んだという。
後にヌマンティアはスペインの独立と勇敢さの象徴となった。「ドン・キホーテ」(牛島信明訳、岩波文庫、2001年、他)の著者ミゲル・デ・セルバンテスは、「ヌマンティアの包囲戦」(「スペイン黄金世紀演劇集」、牛島信明編訳、名古屋大学出版会、2003年所収。邦訳のタイトルは「ヌマンシアの包囲」)という悲劇を書いた。
この作品は、ヌマンティアの町の破壊で幕を閉じるが、そこにはスペインの未来の繁栄のビジョンが描かれている。
詩人たちは、この町の猛々しい守護者たちを称える賛歌を書き、画家たちは、包囲戦の壮大な光景をキャンバスに描き出した。
1882年、ヌマンティアの廃墟は「国家史跡」に指定され、スペインの愛国者たちの巡礼地となった。
1950年代と60年代にスペインで最も人気のあった漫画本は、スーパーマンやスパイダーマンについてのものではなく、ローマの圧制者と戦った古代イベリアの架空の英雄エル・ハバトの冒険を語るものだった。
今日に至るまで、古代ヌマンティア人たちは、スペインの武勇と愛国心の鑑であり、この国の若者の手本とされている。
だが、スペインの愛国者たちがヌマンティア人を褒めそやすときに使うのは、スキピオの母語であるラテン語に由来するスペイン語だ。
ヌマンティア人たちは、今や失われてしまったケルト族の言語で話した。
セルバンテスも「ヌマンティアの包囲戦」をラテン語で書き、この戯曲はギリシャ・ローマ人の武勇を称賛するスペインの愛国者は、ローマカトリック教会の忠実な信奉者であることが多いーそう、ローマカトリック教会の。この教会に、現代スペインの法律は、古代ローマの法律に由来する。
スペインの政治は、古代ローマの基礎の上に確立されている。そしてスペインの料理や建築は、イベリア半島のケルト族の遺産よりもローマの遺産に、はるかに多くを負っている。
ヌマンティアのもので残っているのは、この町の廃墟ぐらいだ。この町の物語でさえ、ローマの歴史家の著述があったからこそ私たちに伝わっている。
そしてそれは、自由を愛する野蛮人の物語を好むローマの聴衆の嗜好に合わせてあった。ヌマンティアに対するローマの勝利が完璧であったため、勝者たちは敗者の記憶までも取り込んだのだった。
これは私たちが好む類の物語ではない。
私たちは勝ち目の薄い者が勝つのを見るのが好きだ。
だが、歴史に正義はない。
過去の文化の大半は、遅かれ早かれどこかの無慈悲な帝国の餌食になった。
そしてその帝国は、打ち破った文化を忘却の彼方に追いやった。
帝国もまた、最終的には倒れるのだが、豊かで不朽の文化の痕跡を残すことが多い。二一世紀の人々のほぼ全員が、いずれかの帝国の子孫なのだ。』

こうした文章を読みますと、おそらく判官贔屓とは、我が国のみに見受けられる傾向ではないものと考え得ます。

くわえて、おそらく別件ではありますが、面白いことに、上掲の抜粋引用部を読む数日前に読んだ小説が河出書房新社刊 尾崎士郎「私学校蜂起」小説・西南戦争であったことは自身としては、なかなか面白い偶然ではないかと思われました・・(笑)。

ちなみにこの小説の最後の章の題名が「波荒し玄洋社」であることから、やはり以前ブログ記事に書いたように西南戦争と玄洋社には何らの深い関連性、あるいは巨視的に見て同じ系譜に位置付けられるものではないかと思われた次第です。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域でのインフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。