2018年1月28日日曜日

20180128 19世紀末~20世紀初頭の我が国について・・

欧米列強を手本として所謂近代国家となった我が国はその後、幾つかの対外戦争を経験した。
そのなかでも近代国家となった我が国が最初に経験した本格的な対外戦争である日清戦争とは、当時においては危険な賭けでもあった。

何故ならば当時の我が国とは国際的に孤立していたからである。しかし、戦端が開かれてみると陸海双方において清王朝の軍隊は脆く、あっけないほどに近代化以降間もない我が国の軍隊は快勝を重ね、戦争に勝利した。

この勝利により、我が国は益々欧米列強流の近代化への確信を強め、更なる富国強兵への道を進むこととなった。

しかし、この傾向に付随して、徐々に我が国国民の多くは自らがアジアの一国であることを忘れ、白人あるいは準白人待遇を求めるようになり、そしてそれは後の日露戦争以降においてもより一層助長されるようになった【また、現在においてもその影響は色濃く我が国の社会にあると云える(良い悪いは抜きにして)】。

そしてその後の日露戦争とは、日清戦争に比べ、苦心惨憺の結果どうにか勝利に至った戦争ではあるものの、それと同時に、この戦争においては国際社会にて我が国の同盟国もあり、また同情を示す国も少なくなかった。そうした事情から、国際市場における戦費の借り入れも為され、またキリの良い潮時での国際社会、アメリカ合衆国からの調停も得られ、結果的に我が国はどうにか勝利することが出来たと云える。

また一方で、この勝利とは、結果的に極東におけるロシア帝国の南下政策を快く思わない他の列強諸国の勢力範囲・権益を益々安泰としたものであり、見方によれば、この戦争において我が国は、終始それら諸国の利益に奉仕させられたとも評し得る。

もとより、さきの同盟国とは、極東にある我が国に対し、そのような役回りを期待していたと云え、またそれは主人と従僕の間のような同盟関係ではあったのだが、従僕は従僕なりに、その役回りに飽き足らなくなり、その数十年の後、極東地域はかなり面倒な事態へ至ったと云える。

日露戦争にて我が国とロシア帝国間の調停を申し出たアメリカが戦争により我が国が権益を得た南満州鉄道の共同経営を申し出たが、我が国はその申し出を一蹴し、その後から急に日米関係が冷却・悪化していった。

とはいえ、当時の我が国もまた、多大なる犠牲によって獲得した南満州の権益を少しでも減ずるような行為とは出来かねる状況であったこともまた理解出来、当時としては無理からぬことであったようにも思われる・・。

また、明治近代化以降、軍備、とりわけ海軍力の増強とは大英帝国に依存するものであり、日露戦争期における我が国海軍の主要な艦船とは、概ね英国製であった。つまり、一面において、日露戦争における我が国海軍の勝利とは、大英帝国重工業の勝利をも意味するものであったとも云える。そしてその後、我が国においても重工業が興ると、国産の軍艦を用いるようになった結果、英国に発注しなくなり、これが英国を怒らせる結果となった。

その後1914年に欧州にて第一次世界大戦が勃発すると、我が国は日露戦争前に締結された日英同盟に基づき、ドイツ帝国に対し宣戦布告し、極東におけるその根拠地であった青島半島南側の膠州湾ドイツ租借地を攻略した。また地中海の機雷除去のため、我が国海軍艦船が派遣されるということもあった。

ともあれ、こうした富国強兵の流れとは、新興国家が一度は通過しなければならない民族主義の一つの現れであると云え、我が国の場合、それは明治・大正期に概ね為されたのであるが、同時にそれは危険な後遺症をも伴った。

それは軍事優先・他民族の蔑視・絶対不敗の信念の普遍化などであるが、これらもまた戦争勝利の後に生じる現象ではあるのだが、こうした考え、否、信仰とは、一度成立すると、現実に国家が戦争に負けるまでは続くことから大変に厄介なものであると云える・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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