B「はあ、そうですか、しかしAさんが使っているボールペンはリフィルがなかなか売っていないような特殊なものなのですか?」
A「いえ、特に高価なものではないのですが、現在では製造中止となっており、多少入手が困難なものなのです。
これはロットリングというドイツの会社のものなのですが、黒塗りの金属削り出しでして、その重さにどうも慣れてしまったようです。
さらに所々塗装が剥げて、下地の金属色が見えるのがまた、いかにも使い慣れた道具のようで愛着が湧くのです・・(笑)。
B「ああ、ロットリングは工学系の方々は馴染みがあるようですね。
あの会社はたしか元々製図用のペンなどを作っていたところですよね?」
A「ええ、そうです・・以前、実験のデータやそのまとめなどに何気なく用いていたところ、どうもその流れで自然に偏重するようになってしまったようです・・。」
B「私はあまり筆記具をはじめ、道具にこだわりはありませんが、かつてのロットリングのいかにもドイツ製らしい武骨な感じは嫌いではないですね(笑)。
また、そういったAさんの道具への愛着、こだわりとは、もしかしたらブログ下書きの進行具合、ひいてはその内容にもある程度影響を与えている要素であるのかもしれませんね・・。
あるいは、ただの思い込みであるのかもしれませんが(笑)。」
A「・・なるほど、それはたしかにどちらともいえませんね・・。
また、諺に曰く「弘法筆を選ばず。」などともいいますが、一方において、むかしの剣豪などは決闘、いくさでの生死を分かつものとして、道具としての刀剣などにはずいぶんこだわっていたようですが・・。
しかし、まあ、いずれにしてもある程度の道具に対するこだわり、愛着といったものは特に悪いものであるとは思いませんが・・。」
B「はあ、そうしますとAさんのボールペンに対するこだわりとは、現在のところ特に悪いものではないということになるのでしょうか?」
A「ええ、どの程度が最適なこだわり、愛着であるかは分かりませんが、ただ、自分に合った道具を用いることにより、自身の最高、最良のパフォーマンス、アウトプットが出来るという一種の思い込みとは、いわゆる自信というものと密接な関係があるのではないかと思います・・。
しかしながら、そうした考えが暴走してしまいますと、より良い、高価な道具を用いることにより、それまで以上のパフォーマンス、アウトプットが出来るのではないかと考えはじめ、その考えに囚われてしまうのでしょう・・。
そして、そういった考えに囚われることにより、周囲がよく見えなくなってしまうのではないかと思います・・。
ただ、そういった状態とは往々にして、躁状態に近いものであり、何といいますか、勢いはあるので時として上手くいってしまうこともあるのです。
そしてまた、世の中では、そういった状態においてでしか出来ないようなこともあるということもまた事実であると思います・・。
その意味においては現在の完全に意気消沈とはいわないまでもデプレッション気味の私とは、躁状態に近い、軽躁状態ぐらいにはなってみたいとは思いますけれどもね・・(苦笑)。」
B「・・なるほど、たしかに周囲にあまり迷惑をかけない軽躁状態くらいですと色々なことがはかどるかもしれませんね・・(笑)。
それでAさんは実際にそういった状態を経験したことがあるのですか?」
A「ええ、多分これまでに何度かそのような時期があったのではないかと思います・・。
また、北杜夫著の「どくとるマンボウ医局記」には「ゲーテ躁病7年周期説」ということが書かれておりまして、ゲーテは大体7年周期で躁病にかかり、その間に多量の著作、恋愛をして、それが数年間続くということでしたが、こういったことをよくよく考えてみますと、多くの人にも適応可能なのではないかと思います・・たとえ躁病とまではいかなくとも(笑)。」
B「はあ、そういった説があるのですか・・。
そう考えてみますと、たしかに人によるかもしれませんが、時期によって創造的、多産な時期とそうでない時期があるのかもしれませんね・・。
ただ、そういったことはいわゆるバイオリズムと違うものなのでしょうか?」
A「ああ!たしかに仰るとおり、そうしたことはバイオリズムと何かしら大きな関係があるかもしれません・・。
しかし、そうなると今度は段々と話が非科学的な方向に大きくずれてゆくような気がします・・そういったことはあくまでも個別的なことであり普遍化することは出来ないと思いますので・・。」
B「ううむ、まあ、たしかにそうですね・・。
逆に個々人のバイオリズムが普遍化出来るならば、人間も工場で作られる機械などとあまり変らなくなってしまいますから・・(笑)。
ですから私としては、そういった考えが科学としてまかり通る世の中はどちらかというと遠慮申し上げたいですね・・(苦笑)。
しかし一方、これに限らず普遍化を前提、目的とする科学、理系学問分野においては、その目的を追うことにより、図らずもそういった普遍化された考えに組み込まれてしまうこともあるのかもしれません・・いや、これは文系であってもそうであるかもしれません・・。
ともあれ、そうした考えとは、人間の頭脳、知恵の発達によるものであるのだろうけれども、同時にチャーチルがその著作で述べたことをも想起してしまいますね・・。」
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。