2022年12月4日日曜日

20221204 先日連携投稿した二記事の関連性から思ったこと

おかげさまで先日投稿した千葉雅也による「現代思想入門」の引用記事は、比較的多くの方々に読んで頂き、また、それと連携投稿をした2016年1月の引用記事である照屋佳男著「コンラッドの小説」pp.117-119もまた随分以前の投稿記事としては伸びました。これらを読んで頂いた皆さまどうもありあとうございます。引続き私事を述べますと、こうした思想関連の書籍にて述べられている、ある主旨の類似性などの関係性を認識出来た時は、現在となってもやはり嬉しいものであり、また歴史などの過ぎ去った時代を扱う歴史学などの諸分野おいては、こうした背景の類似性などの関係を見出し、それらを比較検討して、その結果をさらに大きな次元にて検討や考察をすることにより、何と云いますか、その時代の「時代精神」といったものを見出していくことが出来るではないかと思われるのです。その意味において、歴史学などの人文系諸分野は、どれほど優れた既存のテキストがあっても、自らの手を用いて課題である個別の各々の対象を認識していかなければならない、いわば帰納的な方法が為されない限り、年数を経る毎に上からの演繹的なものとなっていき、遂には思想教育的なものになってしまうのではないかと思われます。

そして、そうしたいわば硬直化を防ぐための効果を持つのが「議論」ではないかと思われるのです。議論での論争により、その論旨が徐々に明らかなものとなり、また論点を理解するためには、当然といえば当然ですが、それまでの過程、文脈を(音声・記述問わず)言語にて記録したものが必要となります。あるいは異言しますと、現代を生きる我々が、古代の人々が述べたさまざまなことを知り、理解することが出来るのは、こうした記録があることによると云えます。

つまり、これは先日の引用記事の内容とも関連するのでしょうが、古今東西を問わず、そこで記録・遺されたもの(事物)の内容を、それぞれを認識しつつ比較検討をくわえ、さらに他の分野での知見や考え方を視座として、それら事物について考えてみますと、またそれまでとは異なった新たな見解、考えなども生じるのではないかとも思われるのです。

そしてそこで、ハナシは冒頭の二引用記事に戻り、こうした異なった意見、見解などでの議論が行われるからこそ、広く世の中にて生じている時代の推移が社会全体に感知され、そして、それを原動力として徐々に、より大きな時代の相(フェーズ)のようなものが変化していくのではないかと思われるのです・・。

その意味から現在の我々の社会はどのような状況にあると云えるのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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