トリリングはフレーザーの「金枝篇」(The Golden Bough)程に現代文学に決定的に重要な影響を及ぼした本はないという事、つまるところフレーザーは現代文学の特徴をなす「日常的事実といふ絆からの解放」の手助けをしたといふ事、この解放の延長線上でニーチェの「悲劇の誕生」(Die Geburt der Trogodie)の受け取り方が決定されるに至つたといふ事を語つてゐる。
ニーチェは理性と秩序を旨とするアポロ的なものの理解のためにも、ディオニュソス的なもの、即ち原初の無秩序なエネルギーを理解する必要があると説いたのだが、現代の文学者は「ソクラテス(アポロ的なものの体現者)は英雄ではなくて悪党である」といふ理解の仕方に走り、「アリストテレスから突然解放されたといふ興奮」に駆られて、「人間の本質的な形而上学的活動を構成するのは道徳ではなくて芸術である」といふニーチェの発言に殊のほか共鳴し、ニーチェが明示した弁証法、即ちディオニュソスとアポロとの間にただならぬ弁証法などは滅却し、ディオニュソス的なもののみを真理として認知したとトリリングは述べる。
「金枝篇」と「悲劇の誕生」の現代における受け取り方を評して、トリリングは言つたのである、「原初の非道徳的エネルギーの発見とその神聖化程に現代文学の中で際立つてゐる所以を、マーロウが密林の原始林的な生を高貴なもの、或いは魅力あるもの、それどころか自由なもの、などと見做さず、寧ろ卑しいもの、むさくるしいものと看破すところに見出してゐる。(勿論トリリングは、原初の生が、むさくるしいがゆゑにマーロウを惹きつける面のある事を見逃してはならない)そしてトリリングがマーロウとクルツの相違を「普通人と精神の英雄との違ひ」と捉へる事は、「精神の英雄」に共鳴する現代の芸術家に関して、次のやうな注目すべき発言を行ふ機縁となる。
「芸術家、即ち人間の魂の歴史的原初、決して脱却される事など無く、我々がいま知つてゐるがままの人間性の中にしつかり据ゑられるに至つた原初といふ名のあの地獄に降りて行く者、そしてこの地獄の上にかぶせられた文明の味気ない嘘よりも地獄の実在性を好む者、さういふ現代が芸術家に関して抱いてゐる信仰の本質を成すのではないか」。
「日常的事実といふ絆からの解放」を欲しないマーロウと対立関係にあるのは、「大地を蹴つて大地から離脱した」(144)クルツに限らないといふのは注目していい事である。
勿論クルツがマーロウの最大の〈アンチテーゼ〉である事に変りはないが、「信仰無き巡礼達」も「白く塗りたる墓」の如き街の住人達も、日常的事実の意義を解しない点ではマーロウの敵対者であり、前者が噂話と中傷と陰謀とに明け暮れてゐるとすれば、後者は「金儲けと飲食と愚劣な夢を見る事」(152)に明け暮れ、「全き安全を信じ切つて」(152)「一つの危険に直面してゐながらこれを理解し得ず、不埒にも愚行を見せびらかすやうな真似をしてゐる」(152)。
この手合は、文化や社会の文脈から切り離された「真理」の危険に気づく事などないのである。
彼等が後生大事にかき抱く知識なるものは、マーロウをいらだたせるだけである。
「俺が知ってゐる事どもをやつらは到底知り得ないと確信した」(152)とマーロウは言ふのだが、ここで「闇の奥」でマーロウは人間を三種類に分類してゐるとするワットの指摘を援用したい。
即ちワットは言つている、マーロウは人間を
一、クルツのやうに野蛮に反応し、これに屈する人々、
二、野蛮に反応するけれど「念入りに作り上げられた信条」を抱き、これによって野蛮に抵抗し得る人々、
三、何にも気づかないので、全く反応しない馬鹿者ども、この三種類に分けてゐる、と。
マーロウ自身は二番目の種類に属すると看做し得るが、「白く塗りたる墓」に似た街の住人達について、「やつらの蒙を啓いてやらうといふ気持も別に起さなかつたが面と向つて嗤つてやりたい気持を抑へるのに苦労した、なにしろ愚かにも、ひどくもつたいぶつてゐたのだ」(152)とまで語つてゐる。
反省が一度として施された事のない日常性の中に棲息するこれらの人々は、己れの足の下に固い舗道があるといふ事、隣人や警官がゐるといふ事、醜聞や精神病院を恐れる気持があるといふ事、さういふ些細な事がどんなに大きな相違をもたらすかといふ事に思い至らないのである。
つまり、世論を囁く親切な隣人の警告さへの聞かれなくなつたやうな状況に投げ入れられた場合に、人が頼りにすべきものは何であるかに思ひ至る事がないのである。
「信仰なき巡礼達」も、この第三の種類に属するが、彼等の棲息する世界は、既述の通り、日常性のパロディーに他ならない。
彼等の特徴の一つは、「豪胆さを伴はずに無謀、大胆さを伴はずに強欲、勇気を伴はずに残虐」(87)であるところに存するのであり、そして「中央支所」の支配人の例が示すやうに、「組織する才能も、事を率先して始める才能も、秩序を保つ才能も無い」(73)ところにも、彼等の特徴は表れる。「彼等もまた「世論を囁く親切な隣人の警告さへ聞かれなくなつた状況下で、何を頼りにすべきか、頼りにすべきものが何であるかを知らない。そこで、「勝ち誇る健康」(74)が依拠すべき唯一のものとなる。
勿論さうなると、彼等の内面は、「健康の驕逸」を戒めた仏陀に倣つて言へば、空虚と化するより他はない。(第一の語り手がマーロウの坐している時の姿勢を仏陀に喩へてゐるところからすると、「闇の奥」を書いてゐた頃のコンラッドの頭の片隅を仏教思想が占めてゐたのかも知れない。
「信仰無き巡礼達」は、貪欲の炎や愚癡の炎に燃えてゐるとも評され得るのである。)彼等の空虚な内面に関してマーロウはかう発言せざるを得ないのである。
「コンラッドの小説」
ISBN-10: 4657909312
ISBN-13: 978-4657909312
照屋佳男
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