中央公論社刊 トム・ホランド著 小林朋則訳 本村凌二監修
「ルビコン」 共和政ローマ崩壊への物語 pp.17‐23より抜粋
SBN-10: 4120037649
ISBN-13: 978-4120037641
『昔々、共和政になるまで、ローマは代々国王が治める国であった。そうした王様の一人で尊大な暴君だったタルクィニウス王のころの出来事として、こんな不思議な話が伝えられている。ある日、王の宮殿に一人の老婆が訪ねてきた。この老婆、両手いっぱいに九冊の本を抱えていて、国王の前に出ると、この本をお買いになりませんかと切り出した。ところが値段があまりにも高く、王は笑って相手にしなかった。すると老婆は、値引きする気はまったく見せず、何も言わずに立ち去ると、九冊のうち三冊を火にくべた。そして戻ってくると、残った六冊をお買いになりませんかと言う。値段は最初の九冊からびた一文も引かれていない。王は、ちょっと迷ったけれど、それでもやっぱり断ると、老婆は再び立ち去って、さらに三冊火にくべる。タルクィニウスは、自分が要らないと言った本に何が書いてあったのか、もう気になって仕方がない。老婆が三冊だけになった本を持って、みたび王宮にやってくると、王は九冊分の値段で即座に三冊を買い取った。老婆はお金を受け取ると、煙のように姿を消した。それから二度と現れることはなかった。
この不思議な老婆は、いったいぜんたい何者なのだ?さっそく三冊の本を開いてみると、そこには驚くべき予言がびっしりと書かれている。これでだれもがピンときた。これほどの予言が書ける女は一人しかいない。アポロン神の巫女シビュラだ。これで名前は分かったけれど、実際この巫女については分からないことの方が多い。何しろシビュラにまつわる言い伝えは、どれもこれも不思議なものばかりだったからだ。トロイ戦争を予言したと伝えられていて、そのため人々の間では、シビュラは十人の女預言者の総称なのだとか、不死身の女性なのだとか、千年も生き続けるよう宿命づけられているとか、言われていた。中には、特に知識人を中心に、シビュラなんて巫女はそもそも存在しないんだと言う者もいた。いずれにしても、確実に言えることは二つだけ。シビュラの予言書が確かに目の前にあることと、その予言書には、角張った古いギリシャ文字で、これからおこるはずの出来事が記されているということだ。予言書が全部灰になる前にタルクィニウスが買い取ってくらたおかげで、ローマ人は未来をのぞける窓を手にしたのである。
もっともタルクィニウスは、この窓をちゃんと生かすことができなかった。前五〇九年、無血クーデターが起きて追放されたのだ。建国以来二〇〇年以上も王が統治してきたローマも、この第七代タルクィニウスが最後の王となった。追放と同時に王政そのものも廃止され、代わって自由な共和政が採用された。これ以降、ローマ人は「王」の称号を異常なまでに毛嫌いするようになる。何しろ「王」という言葉が聞こえただけで、震え上がって耳をふさいだというくらいだ。反タルクィニウスのクーデターが目指したのは、自由の実現だった。君主のいない都市だけが持つ自由。自由こそ、あらゆる市民が生まれながらにして持っている権利である、市民の市民たる証なのだ。でも、将来だれかが独裁者になろうと野望を抱き、この神聖不可侵な自由を踏みにじるかもしれない。そんな事態を未然に防ぐため、共和政を築いた人々は、これまでにないまったく新しいシステムを作り出した。任期一年の政務官を二人選出し、この二人に、追放された王が持っていた権限を均等に分け与えたのである。この政務官を執政官(コンスル)という。ローマ市民のトップに立つ執政官を二人にすることで、危険な野心を抱かぬよう互いに監視させようとというわけだ。これを見ても分かるように、共和政は、ローマを二度とたった一人の最高権力者に支配させたりはしないということを第一に考えていた。執政官を二人にするとは、一見するとずいぶん思い切った手だけれど、実際は、ローマ人が過去から完全に切り離すような抜本的な大改革じゃなかった。王がいなくなっただけで、それ以外はほとんど何も変わらなかったからだ。新たに始まった共和政は、根っこの部分で過去とつながっていて、しかもその根をたどっていくと、はるか遠くの過去に行き着くことさえ少なくなかった。例えば、執政官は特権として平服(トーガ)に王を象徴する紫色の縁取りを付けていたし、鳥占いを行う際の儀式はローマ建国のずっと前から受け継がれてきたものだ。中でも過去とのつながりをはっきり示しているのは、何と言っても例の予言書だろう。不死と思えるほど長寿のシビュラが書き記し、タルクィニウス王が追放されるときに残していった、あの三巻の予言書だ。
その内容は国家機密として厳重に保管され、見ることのできる人間も厳しく制限されていた。もし写し取ったりすれば、袋に詰め込まれて口を縫い閉じられ、海に放り込まれて殺される。予言を見ることができるのは。異変が迫っていることを示す前兆が現れ、国家の一大事に直面しているときだけだ。万策尽きると、特別に任命された政務官が名を受け、ユピテル神殿へ登る。この神殿に、予言書は厳重に保管されているのだ。巻物を開き、消えかかったギリシャ文字に指を走らせる。そして予言を解読し、神々の怒りを鎮めるのに一番いい方法は何か、助言を探し出すのである。
助言は必ず見つかった。もっとも、ローマ人は信心深い半面、現実的なところもあって、宿命論にはかなりの抵抗感を抱いていた。そんなローマ人が未来を知りたいと思った理由はただ一つ、知っていれば破滅をうまく食い止めることが出来ると考えたからだ。空から血の雨が降り、大地の亀裂から火が噴き出し、ネズミが黄金を食べる。こうした恐ろしい前兆は、言ってみれば神々からの督促状で、自分たちが神々への義務を果たしていない警告と見なされた。神々の信頼を取り戻すため、ときにはローマに異国の祭儀を取り入れたり、それまで知られていなかった神を崇拝したりすることもあった。でもたいていは、こしたものを排除するのが普通で、政務官たちは、おろそかにされている伝統がないか懸命に探し回った。過去の姿を取り戻し、今までと同じやり方を守ることで、国家は守られていると考えていたのである。
こうした思いを、ローマ人なら誰もが心の奥底に秘めていた。それは、社会が大きく揺らいでも変わりはない。現に共和政になってから、ローマは一〇〇年にわたって次々と試練が訪れた。社会は激しく動揺し、多くの市民が声高に権利の拡大を求め、制度改革がひっきりなしに行われた。でも、こんな激動の時代にあっても、目新しいことイコール好ましくないことなのだ。もっとも、使えるものなら何でも使うのがローマ人。新たな事柄も、神々の意志だとか古代の習慣だとか、とにかくうまく言い繕って取り入れることもある。でも単に新しいということだけで受け入れることは絶対になかった。ローマ人の気質には、保守性と柔軟性がうまい具合に同居している。何でも役にたっている限りはそのまま使い続け、具合が悪くなったら手直しして使い、とうとう役に立たなくなっても捨てずに大事にとっておくのが常だ。言ってみれば、共和政ローマは建築現場とガラクタ置き場が一つになったような状況だったのだ。ローマの未来は、ごちゃごちゃした過去の遺物に囲まれながら築かれたのである。』