さて、一昨日のような書籍からの抜粋引用による記事投稿が比較的多くの関心を持って頂いたことから、今後しばらく、このフォームにて記事作成をして行こうと思います。そして本日は、これまでに何度かブログ記事にて取り上げ、また、一度その文章を記事として抜粋引用させて頂いた大西巨人著『神聖喜劇』(第一巻)からにします。
光文社刊 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻 pp.543-546
ISBN-10: 9784334733438
ISBN-13: 978-4334733438
『わざわざこの場まで出かけてきた二人の上官がひきつづき事態を傍観している理由も、私に明快でなかった。彼らの意図は何か。もしも彼らが彼らの臨場という事実の威圧によって大前田の火を吐く舌端を牽制しようと欲したのであったならば、それはすでにみごとに失敗したと見られるべきであろう。もはや彼らは、積極的に介入しなければならぬのではないか。だが、昼食喇叭の余韻をさえぎって発言したのは、村上少尉でも山中准尉でもなく、またしても大前田軍曹であった。
『お通夜にでん行ったごたぁる顔を拵えて、うんともすんともぬかさんが貴様たちも、これで少しはわかったろうな。おれだけが、うんにゃ、おれたちだけが、日本軍だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるなんち思うなよ。なんぼチャンコロちゅうても、敵もそげん甘うはない。貴様たちの目にゃ、「日本勝った、支那負けた」で、戦争は万事すらすらっと行きよるごと見えとるかもしれんばってん、―またそれじゃけん、いまは勝ち戦の日本だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるごと目立っとるかもしれんばってん、殺し合い取り合いぶっ壊し合いの根比べともなりゃ、チャンコロも隅にゃ置いとかれんぞ。あぁ、おれはこの目で現地を見て知っとる。なかなかどうして隅にゃ置いとかれるもんか。新聞やラジオやらで「残敵」、「残敵」なんち言い触らすとばっか聞いとったら、まるで支那の軍勢は残り少のうなってしもうたごと貴様たちは思うとろうが、聞くと見るとじゃ大違いよ。それにまた赤のゲリラ部隊は、あっちでもこっちでも執念深う出たり入ったりしとる。もう五年もかかり切りでやっとるちゅうとに、いっちょも片付いとりゃせんじゃろうが?その上に今度は毛唐が相手よ。毛唐とチャンコロとどっちが余計隅に置いとかれんか、知れたことか、「毛唐。」、「毛唐。」ちバカにして、あんまり嘗めてかかっとりどもしょうもんなら、いつか日本も太えまちがいをするとじゃなかろうかねえ。・・・なんせ南方じゃ、あってあられんごたぁるめずらしいことが、いろいろありよるじゃろうなぁ。ありよるにちがわんじゃろうなぁ。』
南方戦線に関して独白調で感慨しながら天空をもろに仰いだ大前田の満面に、正午の光があざやかな膜を張った。その光の膜が不意に歪んで罅割れて、得体の知れぬ悍ましい薄笑いが音もなく現れた。七、八秒あと、薄笑いと光の膜とを諸共に振り捨てた大前田の真顔に、ふたたび帽の庇に隈取る影が下りた。彼の垂れていた右腕が右横へおだやかにしなやかに持ち上げられるのを私は見ていたが、たちまち彼は、そのたなごころで右外股を一打ち丁と打った。
『いまは「日本勝った、日本勝った、米英負けた」ととんとん拍子で運んどるごたぁって、結構なことよ。この調子で、今年の夏か秋にゃカリフォルニア州はサン・フランシスコへんに敵前上陸するちゅう話もある。十一月三日の明治節ごろにゃアメリカもイギリスもお手上げじゃちゅう話もある。そのとおりに行きゃ世話はあるめいが、どうじゃろうか。「ほんとにそうなら、うれしいね」じゃなかろうか。おれにゃようはわからんが、お隣の支那さん一つさえ、六年がかりで持て扱うて、埒は明いとらんちゅうとに、遥か太平洋の向こうの大きな国を二つも相手にしといて、置いた物を取るごとそげん気安う見縊っとると、当てがはずれるかもしれん。勝ち戦のうちはぇぇ。ばってん、まだこれまでのところは、こっちから手近な先様の田舎出店を二つ三つたたき潰しにかかっとるちゅうだけで、アメリカ本店、イギリス本店をぐらりとでもさせたとじゃない。万が一、日本が負け戦になってみろ。いんにゃ、日本が負けてしまうことはなかじゃろう。まぁ仕舞いにゃ勝つじゃろうが、万が一、途中で形勢が悪うなって、敵が内地に攻め上がちゅうごたぁることになってみろ。日本人大ぜいが毛唐の軍隊からどげなあってあられんごたぁるめずらしい目に会わせられるか、考えるだけでも、おれはぞっとする。味方が負け戦になって敵が攻め入って来りゃ、否も応もなしに必ずそげな目に会わせられるとじゃ。そげんことになってから、なんぼあわてふたいめいても吠え面かいても、もう間に合やせん。上つ方か耶蘇教坊主か何かのごと聖人ぶるかして、「日本の戦争は、そげなあってあられんごたぁるめずらしいことをしよるとでありますか。」なんちゅう美しい寝言を言うたりしとったら、反対に自分たちが敵から思う存分そげなことをされにゃなるめえぜ。こっちが勝ち戦のときにゃやらかすことを、敵も勝ち戦のときにゃやらかすまでよ。そげな美しい寝言は、味方が味方にむかって言うはずのもんじゃない。味方が敵にむかって言うはずのもんじゃ。さもなきゃ味方が敵から言われるはずのもんじゃ。そうして何をどげん言おうと言わりょうと、とどのつまり「勝ちゃ官軍、負けりゃ賊軍。」ちゅうわけぞ。それが戦争よ。・・罷りまちごうて、もしも日本が負け戦にでもなろうもんなら・・・。』
しかし大前田は、語を中絶した。彼は、左手を帯剣の柄から放ち、その手の平で、面上のほとんど出てはいないであろう汗をぬぐい取るように額から顎までを一度ねんごろに撫で下ろすと、ここの太陽の下に不存在の何物かを見つめるかのように、この上なくむごたらしい何事かを思い描くかのように、薄目を作って、眉を顰めた。そのあやしげな面体で、数秒時間の沈黙を彼は守った。大前田の饒舌の内容よりも、むしろその憑かれたような止めどのなさが、今更に私は気味が悪くなってきていた。その話題の野放図な飛躍発展に反して、彼の声色は、―書き抜きの棒読みのような孤独な穏便な有様からわずかに変化していたけれども、―甲高くも荒々しくも上っ調子にもなっていなかった。そのくせ、そのおしなべて単調な地味な声音の長ったらしいつながりには、ある超現実の気違いじみた熱気が立ち籠めているようであった。癇癪を起したドストエフスキーが不断の彼は片言でしかしゃべられないドイツ語を流暢にあやつって啖呵を切っているというような図が、なぜか私に連想せられていた。』