ISBN-13 : 978-4894349513
かくて蘇峰は、こんな「禍根」をもたらした背景として、学校と学校秀才重視の教育問題も執拗に論じることになる。蘇峰によれば、明治以来の近代的教育制度が整えられてきた結果、文武両官のエリートがすべからく官僚化してしまい、これがまた、日本を惨憺たる敗北に導いたからであった。
たとえばかれは、その病根につき、こんなことをいっている。「予は敢えて言う。帝国大学あって、日本の腐敗せる官僚政治は出て来り。士官学校、兵学校あって、陸海軍の腐敗せる幹部は出て来った。しからばこれ等の機関なければ、日本文武の百官将士は、何れも注文どおりに行ったかといえば、それも保証の限りではない。唯だこの場合に於て、如何に帝国大学なるものが、我があらゆる文官の各方面に害を流し、士官学校・兵学校なるものが、また陸海両軍に大なる禍を胎したかという事」を指摘しておかなければならない。つまりこうした「禍」の根本には教育問題があった。より直截にいえば、ひたすらな「形式教育」にあったということである。
では「形式教育」とは、具体的にいったい何を意味していたか。というとそれは、ある意味現代でも一日とて耳にしない日はないといってよい「点取り教育」であった。つまり、まさに官僚に適合的とされる学校秀才の問題なのである。蘇峰はいう。今やあらゆる学校は、文武いずれも「点取り教育」であって、およそ学生はただ点数さえ取ればよいと心得ている。結果ペーパーテストの成績のよい「人間学」ならぬ「要領学」をマスターした学校秀才が幅をきかせてくる。ために学問の目的は、勢い「立身出世」となり、個人功利主義となる。しかもこの目的を達成する道筋は、「定められたる型通り筋を践んで行く事である。所謂る秀才とは、その定められたる型に最もよく嵌りたる者をいう訳であり、成功者とは、その型に適まって、立身出世委をした者という事であり、かくて世の支配階級なる者は、文武何れの方面も、軽佻浮薄、無責任、無節操の徒輩」ばかりになってしまったというのである。
むろんこうした学校秀才も平時における日常業務ならば「相当間に合わぬ事もなかった」。しかるに「一旦緩急」の非常時となるや、かれらがたちまちその本性を暴露して、ほとんどまったく役に立たなかったことは、さきの大戦の帰結が実証しているではないかと。
蘇峰によれば、そんなわけで、こんな事例をみただけでも、わが国はとてもアメリカに伍していく「総力戦」などなしうるはずがなかったのであり、事実さきの戦争は国民からまったく遊離し去っていた。換言すれば、日米戦争は「米人が勝ったのではない。日本人が負けたのである」。
軽佻浮薄な日本人の急変ぶり
蘇峰はまた、敗戦直後からみられた「日本人の急変」ぶりにも、火炎放射器のごとき烈しい舌鋒を浴びせている。すなわち、当初からの自由主義者や共産主義者が、このさい「時を得顔」に顎をだしてくるは当然だろう。ただ、昨日まで熱心な「米英撃滅の仲間」であり、その急先鋒であった人びとが一夜にして豹変、たちまち「米英礼賛者となり、古事記一点張の人々が、民主主義の説法者」となった者が多いことには、さすがにその「機敏快速なる豹変ぶり」に一驚せざるをえなかったという。
蘇峰にとって「時勢の変化によって、その態度を変化する」人びとや事象は、悉くまことに浅ましき戦後日本の「醜態」にほかならなかった。蘇峰はつまり、日本人の「この軽佻浮薄なる態度を見て、憤慨するどころか、むしろ泣きたくなる」と叫び、これでは「日本人を辞職したい」気持ちになるとさえいうのである。