2016年5月14日土曜日

20160514 神話・物理学・心理学・歴史について

一般的に物理、歴史、哲学などは男性が得意とする科目であるとされています。

また、物理学者の寺田寅彦は「物理学を理解するにはギリシャ神話を理解する必要がある。」といった意味のことをどこかに記していました・・。

その意味とは、おそらくギリシャ神話の物語のスジが様々な物理法則の骨子、基盤となっているということではないかと思います。

また一方において、心理学者の河合隼雄は「心理学(欧米の)で用いられる概念の多くは、その骨子、基盤をギリシャ神話から引用している。」といった意味のことをどこかで述べていました。

さらに加えて、我が国をはじめ、世界各地にて、その昔、古代と云われる時代においては、その国、地域で語り継がれてきた「神話」こそが歴史であり、またそれが、支配者の統治権を自他に対し、正当化、正統化するものであったと、小林秀雄が何かで述べていました。

上記のわずかな事例から、総括を行うこと、また、それらを論拠とすることは早急であるとは思いますが、自身のこれまでの(わずかな)経験から考えてみますと、おそらく神話を含めた過去の様々な出来事を(概ね)時系列的に大きな物語と成し、さらにそれを概念化するといったことは、世界各地において、概ね普遍的に男性の受け持ち、職分であったのではないかと思われます。

そして、それは統一国家が形成される以前、多くの地域国家が並存していた時代において、その各々(地域国家)において、神話もまた各々ガラパゴス的に存在、並存していたのではないかと思われます・・。

そうしたことを我が国に適用してみますと、統一国家が編纂した古事記、日本書紀と同時に国内各地に風土記が存在してことから、上記の状況が過去において存在していたことではないかと考えさせられます・・。

また、その(各風土記)内容とは、決して統一国家の賛辞に終始しているわけではありません。

それに加え、そうした地域毎の神話とは、風土記に収録されたもの以外にも、おそらく数多く存在し、それは、柳田國男が我が国の妖怪について述べたことと類似し、統一国家の価値観によって徐々に地域の神(神々)から妖怪に転落し、それは同時に神話から民話(地域の物語)への変化でもあったのではないかと考えさせれます。

そのように考えると、近代以降の我が国の理系立国とは、期せずして、その基盤が国内各地に各々存在していたのではないかと考えさせれるのです・・。

一般的に理系学問とは、普遍性が重要ではあるのですが、その「基盤」とは、明確には認識し難いのかもしれませんが、案外、さきに述べた局地的な神話と同様、地域性といったものがあるのではないかと考えさせられます・・。

その意味において、現今為されつつある理系立国的な施策とは大変良いものであるとは思いますが、その基盤として、ホンモノの普遍的、局地的な歴史、伝統、文化を「尊重」することもまた案外、重要なことなのではないかと考えますが如何でしょうか?」

九州・熊本の大地震から早や一カ月が経とうとしております。被災された地域の出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。

また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。





20160513 昨今の宣伝文句について・・

A「これまでしばらく継続してブログの記事を書いておりますと、やはり多く読まれる記事とそうでないものが出てきます。

こうした記事による閲覧者数の違いとは、どのような原因により生じたのかと考えてみましたが、その明確な原因とは、記事を書いている私自身もイマイチよくわかりません・・。

あるいは、書いた記事を投稿した時点において、その記事とは、半分私のものではなくなっているのかもしれません。

実際のところ、最近は概ね夜半において新たに投稿するブログ記事を作成するのですが、その段になるまで、前日に記したブログ記事の内容を想起することが難しいこともあります・・(苦笑)。

そうしたことかた「私の頭も大分ボケてきたな・・・」と思うこともありますが、ある程度の数の記事を作成し続けていると、そのようになるのかもしれません。

ともあれ、そうした前日に投稿した記事内容を忘却している状態から、それを眺め、そしておもむろに最新の投稿記事作成をはじめる次第なのですが、そうした段になると、今度は面白いことに、記事作成がスムーズに行く日と、そうでない日があります。

これまでに作成した記事のなかで閲覧者の方々から見て「これはやっつけで作ったな・・。」と思われるものも少なからずあるのではないかと思います・・。

そして、そうした評価とは妥当であるものが多いのではないかと思われます・・(苦笑)。

しかし一方、言い訳じみてしまいますが、たとえそれ(それら)が実際に「やっつけ」であったとしても、同時にそれらは少なくとも(自分なりに)努力して作成したものであるということも云えます・・。

であるからといって、そうした記事を「面白いと思ってください!」と私が考えること、あるいは望むような評価の方向に扇動、誘導するような行為とは、僭越なものであり、少なくとも他者に読んでいただくような文章を書く上において、そうした行為とは控えた方が面白いのではないかと思います。

とはいいながら、現在首都圏などで随所に見られる宣伝文句、あるいは売り出し中の書籍とは、どうもその控えた方が面白いと思われることを、意識的に行い、その効果、売り上げを狙っているのではないかと思うことが多々あります・・。

うしたいわば斜に構えた考えの所以とは、私がある程度年齢を重ねたからなのでしょうか(笑)?

しかし、そのように考えてみますと、私はおそらく少年と呼ばれる時代の頃から、少なくとも書籍に関しては「敢えて」流行のモノから遠ざかりたがる傾向があった(ある)ようにも思われます。

その理由はよくわかりませんが、ただ書籍などは本質的に「自分」が面白く思い、興味を持ったものを選ぶものであるとは、その当時からある程度は思っていたのではないかとも思われます・・。

そしてまた、結局、その延長線上で様々な分野に行くことになってしまったのではないかと思います・・。これは今になって考えてみますと、良かったのか悪かったのかよくわかりません・・(苦笑)。

しかし一方、これまでにブログ記事を継続して投稿し続けることが出来たのもまた、一つに、上記の認識を半ば無意識ながらも保持し続けてこれた結果ではないかとも思われます・・(笑)。

また、そうであるならば、今後もある程度はブログ記事を作成し続けることが出来るのかもしれません・・よくわかりませんが・・。

それでも一つ思うことは、幼い頃からより多く物理などに興味を持つ機会を得て、工学部などに進み、そして大学院修士課程くらいまで行っていたならば、現在よりかは多少は安定した生き方になっていたのではないかということです・・(苦笑)。

そういえば、このことは以前に記しましたが、現在国内多くの工業大学、工学部においては、修士課程まで進むことが一般的になっております。

の工学部をはじめとする理系学問分野に多く見られる「6年間学業を修める」という意味で、それは、いくつかの医療系の職種を養成する大学学部、学科とも類似、似通っているのではないかと思います。

では、なぜ医療系のそれの方が「世間一般、日常的な視点」から見て、より高い価値が認められる、払われるのでしょうか?

また、これは以前私が専攻した学問分野にいると「強く」そのことを感じさせられました・・。

医療系の大学学部、学科とは、人の命を左右する「医療人」を養成することから、その価値が高いというのは、そうした疑問に対してよく聞かれる返答であると思うのですが、果たして、そうした返答とは「ある種」の工業大学、工学部など理系学問分野の方々が、ある種の医療系学問分野の方々に対し納得できる返答なのでしょうか?

また、この点において私はどちらかというと局外者に近いと思われますので、書かせていただきますと、その実際とは、多少込み入ったものなのではないかと思います・・。

そして、現在の様々な情勢、時世とは、そういった込み入った点が徐々に明瞭になりつつあるのではないかと思われますが、これを読んでくださった皆様はどうお考えになるでしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。」

また、九州・熊本での大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧・復興を祈念します。