あるいは、文系的にではなく、理系的に考えてみると中央構造帯の西端を走る糸魚川静岡構造線がその境界となるとも評し得るかもしれない。
しかし、いずれにせよ近代以降の著しい情報技術・物流の進化発展により我が国の文化全般が平均化・均一化が為されてきたとは云われるものの、それでもなお、現在に至っても東西日本とは、その文化が明らかに異なるということは理解されるものと考える。
さて、近世以前の我が国における文化の先進地域とは奈良・京都が立地する近畿地方を含む西日本であり、現在のように東日本とりわけ江戸(東京)が文化の先進地域とされる時代とは、17世紀初頭以降の江戸時代からであると云える。
否、その当時(江戸時代)においても江戸とは、決して絶対的な意味での文化の先進地域とも云えず、あくまでも徳川幕藩体制下の統治権力機構が立地するという意味での中心地であることに付随する文化的優位性であり、少なくともそれは、さきの奈良・京都といった近畿地方におけるような古代より連綿と続く自然発生的な経緯を持つものではない。
とはいうものの、それは近代以降、19世紀後半からの東京(江戸)を首府と定め中央集権体制を敷く明治国家によって為されたさまざまな近代化事業の進展に伴い、より一層東京の文化的求心性をも強め、結果として現今のような多面的な意味での優位性を東京が持つに至ったとも云える。
またその後、21世紀に至るまで自動車・航空機といった現代において急速な進化発展を遂げた移動・輸送手段が古代以来の手段である船舶に代わり、広く一般的となるのに伴い、東京・首都圏は国内における更なる優位性を獲得していった。
一方、古来からの都市である近畿地方の奈良・京都および畿内にて古来より栄えた都市の多くとは、それらが国内東西への交通の便が比較的優れ、且つ大陸との大動脈である瀬戸内海航路およびその延長線上に立地していることから、総合的な意味での優位性・繁栄を保持し得てきたと云える。
中国においてはさきに述べた事情(地域により効率が良い・得意とする移動・輸送手段が異なる)より古来から南船北馬といったコトバが用いられるが、我が国においては古来から東国とは国内では広大とも云える関東平野が存在することから馬の産地であり、またそれを運用した戦法も同様に得意であった。それは承平天慶の乱の平将門から武田の騎馬隊まで一貫したものであると云える。
一方、西日本においては、さきに述べた地理的な特性により、同じく承平天慶の乱の藤原純友から治承・寿永の乱を経て江戸時代に至るまで、瀬戸内海地域をはじめとする西日本沿海諸地域においては船を用いた戦法が得意であった。
その後、鉄道網の発展、モータリゼーションそして国内航空便の発達に伴い、さきに述べたような地理的性質とは以前に比べ、あまり大きな意味を持たなくなり、そして現在に至っていると云えるのかもしれない・・。
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