2022年9月18日日曜日

20220918 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」 2: 昇る太陽 pp.150‐152より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」
2: 昇る太陽 pp.150‐152より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504350
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504359

午後零時三十三分、〈レパルス〉は転覆し、ゆるやかな荘厳さで、まず艦尾を先に、艦首を「教会の尖塔」のように突き上げ、恐ろしい紅色の艦底をみせた。千五百メートル上空から壱岐大尉は、艦首がまっすぐ自分に向いていたのを信じられないように見守った。〈レパルス〉は視界から消えた。これはありえないことだ。飛行機はこんなに容易に戦艦を沈められるものか。「万歳、万歳」壱岐は大声を出し、両手をあげた。乗機は舵輪をつっ放されて、前のめりになった。

 搭乗員も狂喜して万歳を叫び、救急箱のブドウ酒で乾杯した。壱岐が下を見ると、海面に何百と点が見えた。二隻の駆逐艦が生存者を救い上げていた。壱岐には機銃掃射を浴びせる気は起らなかった。イギリス人は武士道の伝統の下に勇敢に戦った。しかし今日助命した敵は明日は自分を殺すかもしれぬことを彼は知らねばならなかった。

 〈プリンス・オブ・ウェールズ〉が五発の魚雷で致命傷を受け、ほとんど停止状態にあるとき、九機の水平爆撃機が迫って来た。午前零時四十四分、爆弾が斜めに降って来た。命中弾は一発だったが、三万五千トンの戦艦はよろめき、沈み始めた。原則は水面下にあった。リーチ艦長は総員退去を命じ、フィリップス提督と彼は艦橋に立ち、去って行く部下に手を振った。「グッドバイ」リーチ艦長は呼びかけた、「ありがとう。幸運を祈る。」神の祝福を」午後一時十九分、〈プリンス・オブ・ウェールズ〉-国王陛下の不沈艦と呼ばれたーは撃たれた河馬のように左へ転覆、一分足らずで視界から消えた。小男の提督とリーチ艦長とともに・・・。

 六機のおそまつなバッファロー戦闘機がシンガポールから現れたときには日本機は空のどこにも見えなかった。T・Aビゴーズ大尉は海中でもがく将兵を見おろして、茫然とした。彼らは手を振り、なお親指を突き上げて意気を示した。

 魚雷を投下できなかった高橋大尉は帰投の途中だった。〈プリンス・オブ・ウェールズ〉と〈レパルス〉の運命が極まったことを知り、不思議な同情の気持に襲われた。イギリス海軍は兄貴ではないか。彼はその衝動と戦った。しかし涙がこみ上げてきた。壱岐大尉は悲しみをもって桃井と田上のことを思った。彼は自分の魚雷が最初に〈レパルス〉に命中したことを知っていた。しかし報告には戦死した二人の戦友が最初の二発を命中させたとした。それは彼らのために為しうる最小の、そして最後のことであった。壱岐の隊が着陸すると、喜びに沸く整備員たちが、機を囲んだ。搭乗員は引っ張り出され、胴上げされた。壱岐が、胴上げから脱出すると、パイロットの一人が言った。「突っ込んでいったとき、魚雷を撃ちたくなかった。あまりにも美しい艦だったからなあ」

 東京の軍令部では海軍の高官たちは、戦艦が大海原で航空機に撃沈されたことをとうてい信じられなかった。それは彼らの海戦の概念の終局を意味した。航空隊員は歓喜していた。過去十年彼らが説いて来たことが実証されたのである。東南アジアへの勝利の第三の、そして最後の障害が、わずか飛行機四機の犠牲で除かれたのである。

 翌朝、壱岐は〈レパルス〉と〈プリンス・オブ・ウェールズ〉の墓場を飛んだ。海上低く、沈没地点を通ると、花束を投下した。