2017年7月21日金曜日

20170721 首都圏の日中の気温から思い出したこと・・【実験およびブログ記事作成の作成について】

ここ最近の首都圏は日中ほぼ毎日のように30℃以上を示しております。

そうしたなかを歩いておりますと、自身が加齢のために暑さに対して鈍感になったのか、あるいはかつて九州に在住した経験により暑さに強くなったものか、はたまた双方共々によるものであるかどうか分かりませんが、そこまで辛い・耐え難いと感じることはありません・・。

あくまでも自身の感覚に基づく意見ではありますが、体感的な日中の夏の暑さに関しては、首都圏よりも九州とくに鹿児島市街地の方が数段上をゆくのではないかと思われます。

在鹿時代の私は、不足がちな運動を補うために盛夏をも含めた通年の週末、鹿児島市街地(天文館宇宿)を散歩しておりました。(概ね中央駅経由)

また、そのことを思い出してみますと『では、鹿児島在住初年の夏とは一体どうであったのだろうか?』と、さらに思い至るわけですが、そうしますと、しきりに実験室の流しにて頭部に水をかけていた記憶がありました・・(笑)。

当時、髪型は丸坊主であったことから、乾くのも早かったのではありますが、それでも、おそらくこの新たな習性を機に私は手拭いを腰ベルトに掛けるようになったのだと思われます・・。

また同時に、この当時取り組んでいた実験とは1000℃周辺の高温となった炉を用いるものであったことから、実験の合間での自身の冷却とはあるいは必要不可欠なものであったのかもしれません・・(笑)。

そしてまた、このことを思い出してみますと、当時はさきに書いた高温の炉、そして合金を溶かす高温のバーナーをそれこそ幼児の玩具のように扱い、また、そのおかげで実験への使用に適当と思われる試料の作製が出来るようになったのではないかと思われます・・(案外、こうした暗中模索の泥縄方式が良かったのかもしれません・・(笑)。)

この当時、私が取り組んだ実験とは、おそらく実験内容自体としては(そこまで)大したものではなかったと思われますが、その条件毎の試料数が相対的に多く、また同時に標準偏差が小さく、さらに、その結果における値が、当時欧米の類似実験内容の論文掲載値と近似していたことにより、ある程度の評価もしくは信頼を得るに至ったのではないかと思われます・・。

とはいえ、同時にこのことは、現在となっても時折お目に掛かる(こうした)実験を日常とするような先生方から、遠回しに疑問視されるところでもあるのですが、それでも、この時に得られた値とは、全て実際に自身が作製した試料より得られたものであることから、これといって気に病むこともなく『ああ、そういったツッコミをされる先生方もおられるのだな・・。』といった感じであり、当時と同じ設備、材料が揃えば、試料作製に再び慣れるまで少し時間は掛かるかもしれませんが、概ね同様の結果(値)を出せるものと考えます。

さて、ここまで書いており不図思ったことは『私とは、読んだ書籍の数、作製した試料の数、そして現在更新中のブログ記事数といったものにおいても、とりあえず、それらを継続するといった行為態度については、ある程度持っているのかもしれない・・。』ということであり、また、これ(さきに書いた行為態度)に関しては、それらを身近で見ていた方々もまた(おそらくは)納得して頂くことが出来るのではないかとも思われます・・。

そうしますと、案外単純ともいえる自身の特徴らしきものが看取されるわけではありますが、同時に『いや、それだけではないぞ!』と主張してみたくなるのです・・。

しかし、その具体的な内容に関しては、未だこれを認識出来ないでいると云えます・・(苦笑)。

あるいはこうしたとは、このブログ記事作成の継続を通じ、ある程度明瞭に認識し得るものとなってくるのでしょうか・・?

そういえば、去る7月19日にて学位取得後通算4年となりました。

その当時から現在に至るまで自身としてはあまり進化した自覚はありませんが、同時にそこで得たものが多少は現在に生かされているとも思われますので、今後は更に、もう少し多くそれを生かすことが出来る方向を模索してみようと思います。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被害を被った地域における諸インフラの復旧およびその後の早期の復興を祈念しています。

20170720 『貴族の階段』・『迷路』・『1984』から思ったこと・・時代精神

昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、この記事にて取りあげた武田泰淳著『貴族の階段』は本日さきほど読了に至りました。

さて、この著作とは、野上彌生子著『迷路』とほぼ同時代を舞台としたものであり、且つその主人公である菅野省三とは『貴族の階段』の著者である武田泰淳と重なる経験を持っていると云えますので、この両著作の間には共通する何かしらの『感覚』があるのではないかと思われます・・。

そして、その『感覚』とは、もとより私見ではありますが武田泰淳、野上彌生子の両者が共通して経験したであろう、大々的な戦争に突入する前段階ともいえる1930年代における我が国の社会状況・様相への漠然とした不安・怖れではないかと思われます・・。

その後に勃発する大々的な戦争、太平洋戦争に至っては既にこうした状況とは過去のものとなり、またそれはそれで戦時下での経験を基に書かれた書籍・文献等に多く書かれているように苦渋に満ちたものであったのでしょうが、同時にそこでは戦時下という状況が既に所与のもの、動かし難いものであったと云えます・・。

そして、まさにその点(未だ大々的な戦争に至っていない)において冒頭に挙げた両著作に共通する感覚としての不安・怖れが一層鮮明・明確となり、現在を生きる読者たる我々に迫ってくるのではないかと思われます。

その意味において現今の我が国社会とは、果たして時宜的にこれら著作を読むに適しているのか判断は出来かねますが、それでもやはり強く訴えかける、問いかける『何か』があるのではないかと思われます・・。

そして、その『何か』とは、これまた私見ではありますがジョージ・オーウェル著『1984』読了後に強く感じる『ああ、こんな社会はイヤだなあ・・』といった心情ではないかと思われます・・。

その意味で現今の我が国社会とは、幸運なことに、そこからはまだ遠いともいえますが、しかし同時に今後、そうした方向へ社会が変化していく可能性をも(相対的に高く)秘めているのではないかとも思われます・・。

また、そのことと多少関連するのかもしれませんが、昨今『応仁の乱』という書籍が多く読まれているとのことですが、この現象とは、あるいは我が国にて特徴的ともいえる遠回し、間接的な現今の時代精神への興味の発露およびその指摘ではなかろうかとも考えさせられます。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現今に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害などの大規模自然災害により被害を被った地域での諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。』