本日の首都圏は昨日と比べ気候も良く気温も上がり、比較的過ごし易い一日でした。また先日来の風邪・体調不良のため上手く声が出ませんでしたが、ここに来てようやく回復しつつあります。
普段はあまり気にすることがありませんが、普通に声が出るということは大事なことであり、これが出来ないと日常生活においても多くの支障があることを痛感しました・・。
また、昨年の3月も風邪をひいていた記憶があるため季節の変わり目とは、体調もまた季節に合わせて変化し、そしてその影響も受けやすくなっているのかもしれません。
そういえば、当ブログを始めた時期と丁度同じ時期に帰郷しましたので、ブログと同様、あと数ヶ月にて関東地方の在住期間が三年になります。さすがに三年程度在住すると慣れたのではないかと思われるところですが、残念ながら未だに関東地方の気候風土に慣れたという実感はありません・・(苦笑)。特に冬の寒さに関しては何やら寒さの質に相違があるのではないかと思われるのです・・。
また、季節にも多少関連することですが、現在の関東地方在住時に時折所用にて地方に出向くことがありますと、大抵の場合、その地方独特の自然環境より生じた『大気』といったものを感じます。おそらくこれが地方の特性・特徴(地域性)に対して何らかの影響を与えていると思われますが、その科学的な観点からの作用機序・メカニズムは、そう簡単には理解出来るようなものではないように思われます・・。
さて他方で、そういった意味で関東地方、特に首都圏、東京では、こうした自然環境に基づく地域独特の『大気』といったものは希薄であるように思われるのです・・。あるいはそのような環境の方がさまざまな創造的活動を行うに際しては都合が良いのかもしれません・・(これは未だに疑問です)。
ともあれ、自身はこれまでに在住したいくつかの西日本地方都市の気候風土に適応した後、再び関東・首都圏に住むことになりましたので、それは無意識あるいは身体レベルから不本意と感じていることから、未だに季節の変わり目にて体調を崩すようにも思われるのです。
それ故、今後は気候が比較的温暖で温泉が多く、柑橘類がよく採れるような地域に住みたいです。おそらく自身は、これまでの経験から、そうした『大気』を生み出す地域と、身体レベルでの親和性を持つに至ったのではないかと今回の風邪・体調不良を通じて体得したように思います。
ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年から現在までに列島各地において発生した、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
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本日の首都圏は朝からの降雨で気温も上がらず、久々に冬が戻ってきた感がありました。
今現在なお、若干病み上がり気味の自身としては、こうした日は若干辛いものがありますが、明日以降はまた天気が回復し、気温も上昇するとのことですので、それに期待しようと思います・・。
さて、本日投稿分の記事は、つい先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』内の記述を以って充てようと思います。さきほど改めてこの記述を読んでみますと、概ねその通りであると思うと同時に、非西欧社会である我が国の社会においては、少なくとも日常的には聞くことが出来ない意見であるように思われました・・。そしてまた、人文社会科学系分野の重要性とは、一つにそういったところにあるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?
*以降、書籍からの抜粋引用です。
集英社刊 サミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』上巻 pp.100-102より抜粋引用
ISBN-10: 4087607372
ISBN-13: 978-4087607376
『有史以来、世界の言語の分布は世界の勢力の分布を反映してきた、最も広く使われる言語ー英語、マンダリン、スペイン語、フランス語、アラビア語、ロシア語ーは現在も過去も最高の勢力を誇る国の言語であり、それらの国々は他国の人々にこれらの言語を使うよう積極的にうながした。
勢力分布が変化すると使用言語の分布も変化する。世界の各地に、「イギリスとアメリカは二世紀にわたって植民地や商業、産業、科学、金融などの分野で力を発揮し、高等教育、政治、防衛、技術などの分野ではかなりの遺産を残した」。イギリスとフランスは自分たちの言語を使うよう植民地に強制した。しかし、旧植民地の大部分は独立後、程度や成功の度合いに差こそあれ、帝国の言語ではなく自国の言語を使おうとしてきた。ソ連の最盛期には、プラハからハノイにいたるまでロシア語がリングアフランカとして使われてきた。ロシアの勢力の衰退にともない、二次言語としてのロシア語の使用も減衰していった。他のかたちの文化についても言えることだが、国力が増すと、その国の言葉を話す人が言語に関して独断的になり、他国の人びとはその国の言葉を習得しようとする。
ベルリンの壁が崩壊した直後、統一ドイツが新しい巨大な怪獣になるかと思われたころには、英語に堪能なドイツ人が国際会議でドイツ語を話す傾向が目立った。日本の経済力に刺激されて日本人でない者が日本語を習おうとしたし、同じように中国が経済発展をとげると中国語ブームが起こった。
香港では急速に英語にかわって中国語が支配的になりつつあり、東南アジアに進出している中国人が大きな役割を果たしていることもあり、それらの地域における国際ビジネスの交渉ではだいたい中国語が使われるようになっている。
他の文明に比して西欧の力が徐々に衰えるにつれて、英語をはじめとする西欧の言語が他の社会で使われる機会や、社会と社会のコミュニケーションに使われる機会は徐々に減っていくだろう。遠い将来のある時点で、西欧にかわって中国が世界で支配的な文明になれば、英語は世界のリングアフランカとしての地位をマンダリンにゆずることになるだろう。
旧植民地が独立をめざして動きだし、独立が進むにつれて、ナショナリストのエリートたちは自国の言語の使用を奨励し、またはみずから使用して、帝国の言語を抑圧するようになった。
そうすることで、彼らは自分が西欧の植民地主義とちがうことを示し、彼ら自身のアイデンティティを確認したのである。しかし独立後、これらの社会のエリートたちは一般大衆と自分は違うことを示す必要もあって、英語やフランス語あるいは西欧の他の言語を流暢にあやつることでそれを示した。その結果、非西欧社会のエリートたちは自分たち自身の社会の住民よりも、西欧人や同じエリートを相手としたコミュニケーションの方がうまくいくというような事態がしばしば見られる(似たような状況が十七世紀と十八世紀の西欧でも見られ、出身地の異なる貴族たちはたがいにコミュニユケーションはフランス語で問題なくできたが、自国の地方の言葉は話せなかった)。
非西欧社会では二つの正反対の傾向が見られる。一方では、大学レベルで英語がますます使われるようになり、資本と顧客を獲得するための世界的な競争で卒業生が効率よく働けるように準備している。他方では、社会と政治の両面からの圧力で、一般にますます自国語が使われるようになっている。』
昨今より現在までに列島各地にて生じた、もしくは今現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模な自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
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