2021年1月29日金曜日

20210129 対話形式・独白形式・物語形式にて、これまでブログ記事を作成して思ったこと

 本日の首都圏は気温が上がらずに寒く、風の強い一日でした。他方で日照時間は以前と比べますと、いくらか長くなっていると感じられますので、春の到来まで、今しばらくといったところでしょうか・・。

私の方は依然として欝々としておりますが、おそらく、これは季節性のものであり、暖かくなってきますと徐々に気も晴れてくるものと思われます。また、こうした「気分」は自身が作成しているブログ記事にも影響があるようで、たとえば初夏の頃で活性が上がっている時などは、こうした文章の作成も捗ると云えます。

さて「文章の作成」と書きましたが、これまでに自身は当ブログ記事の作成に対話形式、独白形式、物語形式などを用いてきましたが、個人的な経験として云えることは、対話形式が最も書き易く、ついで独白形式、そして物語形式となることです。また、これは自身の記憶に対する抽象度の程度とも相関があり、はじめの対話形式は、記憶にある会話をほぼそのまま文章化したものであり、個人特定要素を除外あるいは変更しただけの私の記憶と云えます。次の独白形式は、それまでの記憶の蓄積と、さらに追加された新たな記憶(実体験・読書など)が化合、そして抽象化され文章となったものであり、さきの対話形式と比較しますと、多少抽象度が上がっていると云えます。そして最後の物語形式は、実際の記憶に基づいた物語の作成であるならば、さきの対話形式に近いものとして作成することも出来るのではないかと考えられますが、ある程度の期間にわたる記憶を対話形式の文体のみで書き進めることは困難であり、やはりそれは「物語」として書き進める方が良いと云えます。そうしますと、作者の生の記憶をそのまま物語とすることは、その記憶の種類にもよると思われますが、往々にしてそれは過分に生々しいものであるのだと云えます。

そこで、実際の記憶に概ね基づくものではあるものの、それに架空の要素を追加したり、変更を加えることにより、記憶は物語として変換・整理され、そして文語・口語の何れであれ、書き易く、またさらに二次的にも記憶され易くなるのではないかと思われます。

おそらくこの、記憶から物語化へのセンスは、人によって異なると思われますが、同時に地域や国によっても同様であり、様々な国、地域での神話や民話などの背景にも、そうした事情が関与していると思われます。さらに、そうした神話や民話を題材とした絵画や造形物などの二次創作物を起源として、新たな記憶そして物語が創造されていくのではないかと思われます。

そうした中、現在の私は、この実際の記憶から物語への変換のところで「果たしてこれで良いのだろうか・・」と悩んでおり、そこからは一種の「踏ん切り」のようなものが必要であると思われ、もう少し暖かくなってきましたら、その契機が訪れるのではないかと思われます。

しかし、不思議なものであり、このような通常のブログ記事であれ【架空の話】であれ、作成している時は没頭しているためであるのか、いわば脱主体化しており、端的にはこの状態にて【架空の話】の続きを作成出来れば良いということになるのですが、それが我が事ながら、なかなか難しいのです・・。

【人は真に創造的になっている時には決して自己を客観視出来るものではない。】たしか小林秀雄

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!





ISBN978-4-263-46420-5

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