2022年7月31日日曜日

20220731 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」 3死の島々 pp.219‐220より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」
3死の島々 pp.219‐220より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504369
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504366

大西の深く恨みとするところは、戦争の進行状況についてだけではなかった。艦隊司令部とその抱いている「艦隊第一」という時代遅れの思想のために、それよりももっと重要な航空部隊の要請が蹂躙されていると感じていたのである。大西の考えはもちろん置かれた立場からのものであるが、しかしそれは、文官と軍部とを問わず個々の部課相互間の対立の増大を反映していた。

 生産が、ゆっくりとではあるが目に見えて低下してきたために、状況はさらに悪化した。戦闘で資材を失えば、もはやこれを補充することができなくなったのだ。陸海軍の最低限の要求にも応ずることがえきなくなった。占領地域の指揮官たちが、現地資源の開発に失敗したばかりでなく、商船の不足と遠距離を北に向かう船舶に対するアメリカ潜水艦の猛烈な攻撃のため、生産したもので日本本土に到着するのはほんの一部でしかなかった。

 この原料のひどい不足は、しばしば重複したり矛盾したりする統制のせいで悪化していたのである。一方アメリカにおける経済動員は、急速に伸びていた。戦争の刺激におり日本の生産が四分の一増加したのに対し、アメリカでは約三分の二増加していた。しかも日本の製造能率はアメリカのそれの三十五パーセントにすぎなかった。もっと重大なことは、日本の国民総生産(GNP)指数(1940年の基礎指数を100として)は1943年の初頭までにわずか102にしか上昇していないのに対し、アメリカのそれは136に達していた。そのうえアメリカの生産拡大はあらゆる面で実によく計画されていた。日本は生産を多様化することができなかった。武器弾薬の生産は急増したーしかしそれは民需品の犠牲において行われていた。真珠湾攻撃の十年前は生産がきわめて大幅に増加を見たので、指導者たちは大した生産拡張をせずに、大戦争を遂行することができると考えていたのである。

 現実に直面して、彼らは全般の水準を上げようとあらゆる努力をした。数カ月の間に、国民総生産は急上昇した。全生産が著しい増加を示し、軍需品の生産は今までよりずっと上昇した。見とおしは有望であった。しかしもう遅すぎはしなかったか。

 船舶は最大の問題であった。慎重に予算を割当てておいたのだが、アッツの陥落と隣接の島キスカからの秘密撤収のために予定がすっかり狂ってしまった。アリョーシャン列島におけるかれら二つの橋頭保がなくなったので、千島列島を要塞化し、ここに兵力を配置する必要が生じた。そして、こうしたことすべてのために、南方の包囲された地域から大量の船舶を転用しなければならなくなったのである。