A「特筆するようなことでもありませんが、先日の750記事到達以降も変わらぬ調子にてブログ記事を作成しておりますが、そうしますと、おそらく11月半ば頃に800記事まで無事に到達することが出来る目算が立ちます。
そうしましたら、しばらく記事作成を休止してみたいと考えております・・。
そこに特に大きな理由はなく、単なる休息です。
また、800記事に到達した後、しばらくしますと、その次の目標もまた、現実のものとしてイメージすることが出来るようになるのではと考えます。
以前もブログ記事にて書きましたが、かねてより私はそのようにして目標としたものに到達してきました(もちろん到達出来なかったものも多々ありますが)。
それは具体的には、実験に基づく学会発表、さらにはその延長線上ともいえる学位もまたそのように、にじり寄るようにして、まさしくどうにかこうにかやってきました・・。
その間、技巧的なことは行いませんでしたが、それでも、実際にそれら目標(表立っては目標とはしないものの、やはり内心においては強く存在するといえる・・)に到達してみますと、やはり到達の前と後では、何かしら自身が少なからず変化していると思われることがあるのです・・(苦笑)。
そして、困ったことに、そこで認められる変化とは、往々にして自身にとってはあまり嬉しいものではないことが多いのです・・(苦笑)。
そのようなことから、また往々にして『ああ、実のところ自身は未だこの到達された目標に対して見あっている人間ではないのかもしれない・・』といった反省的な感覚をおぼえるに至り、そしてまた、何といいますか、その達せられた目標により得られた感覚を自身内面に静置せられ、一体化されるように、それに見合う人間に為すべく、何かしら創造的とされる活動への衝動が生じるのではないかととも思われます・・(苦笑)。
あるいは別の視点としては、根源的ともいえる力強い創造性・バイタリティー・勢いなどは学位取得以前の方が明らかに強かったようにも思われるのです・・。
また、私見ではありますが、学位取得とは一種の『去勢』にも近いような意味合いがあるのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
たしかラカンがどこかで述べていた『人は父性的なるものにより『去勢』されることによって、はじめて「語る存在」になる』とは、あるいはそれと類似した意味合いがあるのかもしれません・・。
ともあれ、その意味において、たしかに、これまで継続的に作成した一連のブログ記事とは、そうした側面(創造への衝動)があるといえます・・。
また、この文章を作成し続けるといった行為とは、その先の変化が如何なるものであったとしても、全く役に立たないということは少ないのではないかとも思われます。
とはいえ、もとより、このブログ記事の作成とは、未来における功利的な目標のみのためにて行っているわけでもないのですが・・(苦笑)。
そして、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等といった大規模自然災害により被災された地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」
2017年9月23日土曜日
20170922 通史的著作を読んでいて思ったこと・・点描のようにして
A「昨日分投稿記事はおかげさまで投稿翌日にしては割合多くの方々(37)に読んで頂けました。
そして、当記事にて書いた現在読み進めている著作に関しての私見ですが、これは下巻に入ってからの方が面白いことがより多く書かれているように思います。
あるいは、自身がこれまでに関心を持ってきた分野に近い分野での記述がより多かったからであるかもしれませんが・・(笑)。
また、そのことから、世評において高い評価を得ている著作の全てを忌諱することもないと理解しました・・(苦笑)。
そしてまた、未だ読了に至っておりませんが、これまでに読んだ内容から、この著作とは名著と評しても良いのではないかと思われました。
そのことから、もしかすると、今後しばらくはまた通史的な著作を読み続けることになるかもしれません・・(笑)。
そういえば、以前にも通史を扱った著作を集中的に読んでいた時期が幾度かあり、それはそれで面倒であり、且つ時間を要するものでした。
しかし、現在になり考えてみますと、そうした時期が大変重要であったようにも思われるのです。
これは間違いを伴う偏見であるかもしれませんが、数巻セットの通史的著作を全巻三種類ほどを読みこなし、その内容を概ね把握し、文章の作成、議論の際にその記述内容を的確を運用することが可能であるならば、文系学問分野の修士のレベルぐらいには達しているのではないかと思われますが如何でしょうか?(とはいえ、この『三種類ほど』というのがクセモノであり、数巻セット三種類を読みこなし、その内容を概ね把握し、さらに論述、口述において適宜運用可能な状態に至るまでは、おそらくその数倍~十倍以上の読書、精読が必要になる・・。)。
さらにもう一つ別の私感となりますが、こうした通史的著作をも含め、概ね共通した内容・主題を扱う異なった著作を複数読むことにより、一つ一つの著作にて得た認識が増え、点描のようにして、自身の脳あるいは精神に、その内容が転写、より深く認識される(インカーネーション)のではないかとも思われます。
そして、ここまで書いていて思うことは、そうした作業とは、現在においては全く出来ないということではありませんが、同時にやはり、若いうち(しかし若すぎてもダメでしょう20代~30代前半迄が最も具合が良いのでは?)の方がより多く吸収し、そして比較的容易に身に着けることが出来るのではなかかということです・・(苦笑)。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域の諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念しています。」
そして、当記事にて書いた現在読み進めている著作に関しての私見ですが、これは下巻に入ってからの方が面白いことがより多く書かれているように思います。
あるいは、自身がこれまでに関心を持ってきた分野に近い分野での記述がより多かったからであるかもしれませんが・・(笑)。
また、そのことから、世評において高い評価を得ている著作の全てを忌諱することもないと理解しました・・(苦笑)。
そしてまた、未だ読了に至っておりませんが、これまでに読んだ内容から、この著作とは名著と評しても良いのではないかと思われました。
そのことから、もしかすると、今後しばらくはまた通史的な著作を読み続けることになるかもしれません・・(笑)。
そういえば、以前にも通史を扱った著作を集中的に読んでいた時期が幾度かあり、それはそれで面倒であり、且つ時間を要するものでした。
しかし、現在になり考えてみますと、そうした時期が大変重要であったようにも思われるのです。
これは間違いを伴う偏見であるかもしれませんが、数巻セットの通史的著作を全巻三種類ほどを読みこなし、その内容を概ね把握し、文章の作成、議論の際にその記述内容を的確を運用することが可能であるならば、文系学問分野の修士のレベルぐらいには達しているのではないかと思われますが如何でしょうか?(とはいえ、この『三種類ほど』というのがクセモノであり、数巻セット三種類を読みこなし、その内容を概ね把握し、さらに論述、口述において適宜運用可能な状態に至るまでは、おそらくその数倍~十倍以上の読書、精読が必要になる・・。)。
さらにもう一つ別の私感となりますが、こうした通史的著作をも含め、概ね共通した内容・主題を扱う異なった著作を複数読むことにより、一つ一つの著作にて得た認識が増え、点描のようにして、自身の脳あるいは精神に、その内容が転写、より深く認識される(インカーネーション)のではないかとも思われます。
そして、ここまで書いていて思うことは、そうした作業とは、現在においては全く出来ないということではありませんが、同時にやはり、若いうち(しかし若すぎてもダメでしょう20代~30代前半迄が最も具合が良いのでは?)の方がより多く吸収し、そして比較的容易に身に着けることが出来るのではなかかということです・・(苦笑)。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域の諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念しています。」
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