2017年1月17日火曜日

20170117 20110311の記憶から・・

A「これまでしばらく2010年の出来事について記しておりましたが翌年の2011年3月には東日本大震災が発生しました・・。
この時も私は鹿児島におりました。
また震災当日は金曜日であり、加えて当地では徐徐に陽気が良くなっている頃でもあったことから講座の先輩等と県内の温泉に向かっているところでした・・。

到着後、温泉脱衣所に設置してあるテレビの前に多くの人々が集まっていることから「何ごとであろう?」と、その間から観ますと、どうやら東北、関東にて大規模な地震が発生したことを知りました。

そして、それぞれの関東在住の親類、知人などに電話にて連絡をとり、また車内にてラジオを聞いてみますと、関東はともかく東北の特に太平洋岸はどうやら大きな被害を受けているらしいということが分かりました・・。

以上のような過程にて私は東日本大震災のことを知った次第です。

その後、福島県在の原子力発電所における大震災からの影響の推移、報告などが報道されると講座の方々は、その理工学の知識に基づき推論をされ「報道されている内容がおかしいのではないか・・?」といったことを述べられておりましたが、このことは後日、ほぼ同様の内容を他の理工学関係の方もまた仰っていたことから、ある程度の専門知識があれば、それは「おかしい」と感じることが出来る内容であったことが分かりました。 『炉心溶融』
『合金の液相点』

しかし、当時の私は自身の研究内容およびそれに関連する事柄以外の専門知識的なことはあまり分からず、ただ、それらのハナシを肯定的に聞いていたことが思い起こされます・・(苦笑)。

とはいえ、そうしたハナシとは実際のところ、声を大にして、コトバを尽くして説明したとしても「空気を読まないけしからん言説!」として結果的に排除されるのが我が国社会の全般的な特徴といっても良いのではないでしょうか・・?

また、そのように書いておりますと、こうしたことは何も理工学系の知識に限らず人文社会科学系学問からの見地から出た主張においても(より一層)同様の過程を経ることが多いのではないかと思われます・・。 『三島由紀夫』

つまり、いつの頃か、いやあるいは昔から我が国とは、表面上においては学問的なもの全般を大切に扱うような「そぶり」は見せるものの、そうした(学問的)見地に基づいた意見、主張を実際に納得して聞き入れる、取り入れるといったことは、生死、健康に関与する医学的なもの以外は「殆どない」といって良いのではないでしょうか・・?
『豊洲地下水』

そして、それが我が国の極度に此岸的あるいは即物的と見做される一つの根源ではないかと思われます・・。

あるいはそれを擁護するならば、そうした(短絡的とさえいえる)心的態度を保持し続けなければ、さまざまな段階における激しい内部競争にて生き残ることが困難であるのが、我が国社会の特徴であるのかもしれません・・。

とはいえ「それらをどうにか改善させる何か良い方法があるのか?」と問われましたら現在のところ「それはよく分かりません・・今後の課題といたします・・」といってお茶を濁すことくらいしか出来ません・・(苦笑)。

それでも、このことを考えてみますと「それは小学校あるいはそれ以前の段階にて自然発生的に生じるスクールカーストにその淵源は既にあるのではないか?」と考えつつも、その一方において「いや、そうしたことはあまり干渉してはいけないことではないか・・」とも考えてしまうのです・・。

これは一体何故でしょうか・・(笑)?

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」