2021年6月15日火曜日

20210615 記事作成の中で徐々に明瞭になってくる流れについて

 何度か寝落ちしそうになりながら作成した昨日分の投稿記事ではありましたが、これまでに思いのほか多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、本日につきましては、さすがに休んでおこうと考えていましたが、当記事の投稿により総投稿記事が1554となり、さらに1記事の追加により1555と、少し珍しいゾロ目の投稿記事数に至るため、本日も記事作成を行い、出来るだけ早めに到達出来るようにしておこうと思い立ち、先ほどから記事作成を始めた次第です。

とはいえ、上記のような行為態度は、機会主義的であると見られますが、他方において、こうして新たな記事作成を行うための公開する理由付けを行わないと、記事作成を割合容易に断念しようとする自分もいるため、あくまでも自分内部での話ではあるのですが、こうして機会主義的に苦肉の策を弄しているのです・・(苦笑)。

また、そうしたことをも文章化することにより、文字数も稼げ、さらに、その文中に意図せぬものであっても、何かしらの含意が見つかれば、それはそれで意味はあるのではないかと思われるのです。

そういえば、この「含意」ですが、これは私にとっては面白いものであり、こうした散文的なブログの場合は特に、文章作成の当初から、その主題・題材が明確に決まっていることは少なく、記事作成が進むに随い、その流れが明確になってくることが多いと云えます。そしてまた、ある程度、記事作成を行ってきますと、自分にありがちな文章の流れというものも認識出来るようになってきます。

また同時に、記事作成を重ねることにより、さきの「ありがちな文章の流れ」に変化が生じてくることもあります。おそらくそれは、文章として書くことにより、明瞭に認識された自身の観念に対し、変更を加える必要性を感じ、それを行うために、源泉とも云える当初の文章の流れに変更を加えているのだと思われますが、面白いことにこちらも、あまり意識して行っているわけではないのです・・。

その意味においても昨日の投稿記事にて述べました「文章作成時の意識の相」とは、我がことでありながらも、同時に普遍的な部分もあるのではないかと思われ、興味深いものと云えます・・。

ともあれ、そうして文章として表出された自分なりの主題・題材と、同時期に世の中にて生じている出来事との間に相関性のようなものを何かの拍子に見出したりしますと、以前、当ブログにて書いた「時代精神」や「集合的無意識」といったものに思いが至るわけですが、これはインターネットの普及によって著しく感知し易くなったとは思われますが、それ以前から、そうした相関性を感知する感覚はあり、古代における骨や亀甲を用いる占いなども、そうした感覚が背景観念にあったのではないかと思われます。

そして、私にとってのブログ記事作成の一つの大きな楽しみとは、今現在では、あまり明確には認識出来ないものの、自身の作成した記事と、客観的に認識出来る同時期のさまざまな出来事との間に、何らかの関連や相関性を見つけようとすることにあると云えますが、これは今しばらく更に継続してみますと次の展開のようなものがあるのでしょうか。そしてまた、それももう一つの楽しみであると云えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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