先日来の伊達千広(宗広)による「大勢三転考」は、直近の出張時に持参しなかったことから、その後あまり頁は進んでいませんが、12世紀末の武家政権誕生に至りました。これにより、それまでの、院を含めた朝廷勢力が唯一の権威であった時代が終わり、東国に新たな権威に基づく統治体制が成立しました。これを「大勢三転考」では、朝廷成立時からの自然発生的であった①「骨」(かばね)に重きを置く制度から、7世紀半ば、大化の改新の頃から、朝廷が制定する各種法令により制度の整備をはかり、より朝廷による統治を十全なものとすることをはかる②「職」(つかさ)の時代への変化、そして、その制度のもとで、下位の軍事専従職としての役割を与えられていた武士が、徐々に力を蓄え、そして12世紀後半、朝廷内での院と天皇方の内紛を契機とし、朝廷に代わる新たな実質的支配者となり、さきの律令制度下の②「職」(つかさ)の時代から、大名・小名などの語源である、本来、地域に勢力を持つものとしての③「名」(みょう)の時代への変化と説明しています。
そして、当著作が著されたのが、まさに19世紀半ば、所謂、武士勢力による支配末期であることから、著者である伊達千広(宗広)の歴史観は、現在の視点から考えてみても、大変優れたものであったと云い得ます。
くわえて、現在、当著作を読み進めているという意味も、自身としては何かしらあるのではないかと考え、半ば戯れに、当著作の視座にて③「名」(みょう)の時代以降の変化を考えてみますと、19世紀後半の明治維新により③「名」(みょう)の時代が終わり、それが④「利益」(利)の時代に変わり、さらに、今後近い将来にはインターネットを基盤とした情報化社会・工作加工技術の更なる進展により④「利益」から、それよりも個々の創造性が重視される⑤「創造」(創)の時代へと変化していくのではなかろうかと考えます。
また、これまでの①「骨」(かばね)から②「職」(つかさ)そして③「名」(みょう)への変遷は、一連の中央集権化政策による地域勢力の衰退に伴い、並行しつつ、地域に別の価値観・制度を持つ新たな勢力の形成が為され、その後、内紛を抱えた中央権力が、これら勢力を自家嚢中のものとすることを試みたものの、逆に、この新たな勢力に実質的権力を奪取され、さらには権力そのものの源泉が変化するに至りましたが、この所謂③「名」(みょう)の時代区分においても、さきに述べたような中央集権化による地域の衰退そして、それに対する反動として地域勢力の潜在的な活性化が進行し、それが何らかの契機により顕在化し、内紛が生じ、結果、新たな勢力への支配・権力源泉の移行といった現象が生じるのではないかと思われます。
その意味において、ある程度までは、歴史は繰り返すと云えるのだと考えますが、しかし、全く見えないのは、現今、混乱しつつある社会が、今後、どのような具体的な動きによって④「利益」(利)の時代が終焉を迎え⑤「創造」(創)の時代へと移行していくのだろうかということです・・。とはいえ、この「利益」「創造」の時代という考え自体も空想であるのですが、それでも、どのような混乱を通じてかは分かりませんが、近い将来、これまで当然とされていた、「利益」(利)を基準とする価値観が大きく変わり、それに付随し、人間の価値に関しての基準もまた変化していくのではないかと思われるところですが、さて、如何でしょうか・・。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。