2024年8月15日木曜日

20240814 株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋

株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480083960
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480083968 

 ローマ帝国を滅ぼし、ついに近代的国家を形成した諸民族は、人種も領土も言語も異なっていた。これらの民族の類似点といえば、未開状態だけだった。これらは帝国の版図に定住しながらも、長期にわたって大混乱のなかで衝突し合っていた。諸民族がついに安定状態に達したとき、衝突がもたらした荒廃によって、民族は相互に分裂した。文明はほとんど壊滅し、公共の秩序は崩壊し、人間相互の関係も困難で危険なものとなった。そして大ヨーロッパ社会は、独立した無数の敵対的な小社会に分裂した。しかし、この不統一な全体のなかから、突然画一的な諸法律が生れてくる。

 これらの法制度は、ローマ法を模倣したものではない。ローマ法とまったく異なるものであったからこそ、ローマ法を用いてこれを改正したり廃止したりできたのである。この法制度の特徴は独創的で、それまでに作られたいかなる法律とも違っていた。それは相互に整合性をもち、全体として非常に緊密にまとまった諸部分からなる大法典である。それゆえ、我が国の近代法典の諸条項も、この緊密な統一性に及ぶべくもない。この巧緻な法律は、ほとんど未開社会が使用するためのものだった。

 このような同じ法律がどのようにして形成され、普及し、ついにはヨーロッパ全体に広まったのだろうか。私は、この問題を究明しようとは思わない。ただ、確信できることはある。中世ヨーロッパでは、程度の差こそあれ、このような法律がいたるところで発見されている。しかも多くの国々でこの法律だけが支配し、これ以外の法律はすべて排除されているのである。

 私はフランス、イギリス、ドイツの中世における政治制度を研究する機会をもった。この作業が進むにつれて、私はこの三国の法律がことごとく酷似しているのを発見して、大いに驚いたものである。そして、私は不思議に思った。この三つの民族の相違は明らかだし、交流の機会も少ないのに、なぜこれほど類似した法律をもつことができたのだろうか。法律の細目部分は、国ごとに絶え間なく、ほとんど無限に変化しているにもかかわらず、その基盤がどの国においても同一だからなのだ。旧ゲルマン法制に政治制度、規則、権力に関する規定があるとすれば、徹底的に探究することで、フランスやイギリスでも本質的にまったく同一のものを見つけられるだろう、という予測はあった。果たして、それが間違いなく見つかったのである。この三つの民族のそれぞれは、私が他の二つの民族をより深く理解するのに役立った。

 英独仏の三国の場合、政治は同一の原則に従って行われている。政治的会議は同一の成員によって構成され、同一の権力を与えられている。この三国では、社会の区分の仕方も同じで、諸階級の間には各国とも同じ階層区分が見られる。貴族はどこでも同じ地位を占め、同じ特権を有し、同じ顔つきをし、同じ気質をもっている。すなわち、貴族は各国で相異なるわけではなく、まさにどの国でも同じなのである。

 都市の制度も互いに似ている。農村も同じ方法で統治されている。農民の生活条件もほとんど違わない。土地も同様に所有さて、保有さて、耕作されている。耕作者も同じ税負担を負っている。ポーランドの国境からアイルランドの海岸まで、領主制、領主裁判所、封土、地代、賦役、封建的賦課租(権利)、ギルド、これらすべてが相似ている。時として名称まで同じである。さらに注目すべき点は、唯一の精神がこれらの類似した制度全体を支えている。ということである。思うに一四世紀には、ヨーロッパの社会、政治、行政、司法、経済、文芸の諸制度は、おそらく今日以上に多くの類似性を有していた。と言っても過言ではなかろう。今日にいたって、文明はあらゆる交流の道を開き、あらゆる障壁を低くしようと心がけているかに見える。

 このヨーロッパの古い制度は、どうして少しずつ弱体化し衰頽していったのか。この問題について説明することは、私の主題ではない。ここでは、一八世紀になって、この古い制度がいたるところで崩壊に瀕していたことを明らかにするだけにとどめよう。この衰頽は、一般にヨーロッパ大陸の東部ではさほど顕著ではなく、西部のほうで顕著だった。しかし、いたるところで老化と、しばしば老衰が現われていた。