A「先日来より、過去の出来事を記しております。
面白いことに、こうした過去の出来事を題材として記しておりますと、それまでの主要な形式である、現在思ったこと、考えたことと過去の出来事を多少関連させた題材を記したものに比べ、疲労の度合いが異なるということです。
これはおそらく記事を記す際における用いる頭の部位、機能が異なるからではないかと思われます。
しかし、この過去の出来事を題材として記す形式にも慣れてきますと、さきに記した疲労の仕方もまた変化するのではないかと思われます。
あるいはまた、そこで不図思ったことは、記す文体において過去の出来事を扱う際に用いている硬質な文体とすることに因り、現在認識される、こうした疲労の仕方(硬質な文体にて記すことによりより多くの疲労が認められる)に結び付くのかもしれません・・。
そこに、どのような関連性があるのかは分かりませんが・・。
とはいえ、今回の記事も以降、先日来の硬質な文体にて過去の出来事を記してみようと思います。
それでは、続けます。
修士課程における私の師匠とは、私と同様関東、千葉県の御出身であった。
とはいえ、この師匠は、就職以来長く和歌山に在住されていたためか、その話し言葉のイントネーションとは、関東のそれであるよりも、和歌山のそれに近いものであった。
また、この師匠は、長い和歌山での在住経験により、県内地域の様々な産物、伝説、言い伝えについて博識であり、それらに対し、時折私が幾分見当違いな見解を述べると、落ち着いた口調にて「そうかなあ・・それに関しては、もう少し調べてみてはどうかな・・?」といった感じで柔らかく再考を促すといったところがあった。
また、この師匠から(勝手に)教わったもう一つのことはコーヒーであった。
それまでに私は缶コーヒーを好んで飲んでいたが、この師匠と様々な機会において会話を交わしていくうちに徐徐に私の方も缶コーヒーよりインスタントであってもブラックコーヒーを好むようになっていったのである。
こうした好み、嗜好の伝播もまたなかなか面白いものである。
しかし、こうした些細なことをも含む、好み、嗜好の伝播とは、おそらくその大半が無意識であり、そして我々が認識、意識するよりも多く生じているのではないかと思われる。
それはまた、我々の社会の各規模において見受けられる、こうした現象、傾向(生み出された流行)が、同時に我が国社会において比較的多く見受けられる「同調圧力」の基軸となっているのではないかとも思われる。
しかしながら、そうしたことを記していると、不図、これまでに記した一連のブログ記事もまた、何処からの好み、嗜好の伝播であったり、同調圧力によって継続することが出来ているのではないかとも考えるに至るのである・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」