「抽象化」と云っても、その言葉が示す具体的なイメージが湧きにくいかもしれませんが、歯系院生になりたての私が、まさにそのような感じであったことが思い出されます。そうした中で「試料からデータを抽出する」との表現を聞き、その意味がよく分からずに、先輩の院生に尋ねてみたところ「抽出は抽出だよ。」と云われ、さらに理解しようと意味を調べてみたところ「ある物質に含まれている特定の成分を抜き出すこと」となっており、そこで、さきの「試料からデータを抽出する」では、試料に対して実験を行い、そこから各種データを抜き出すといった意味と理解されるのですが、それはまた、特定の成分といった物理的な存在があるものと、そうでなはく、数値化された実験結果といった、物理的な存在はない「抽象的」なものに対しても適用することが出来ます。
そうしますと、この「抽」の意味は「抜き出すこと」の意味となり、その後に続く「象」と「出」は、それぞれ、カタチやありさま、そして後者は「あらわれる」といった意味となり、はじめの「抽象」では、おそらく、その視覚的なありさまをより強調し、そして「抽出」では、同じような語義の漢字を連ねていることから、物理的な存在の有無にかかわらず「抜き出すこと」全般の意味として用いられると考えられます。
そしてまた「抽象」にハナシを戻しますと、一般的に、この「抽象」や「抽象的」といったコトバは、視覚的な存在がなく、その実体がよく分からない存在に対して適用され、また、おそらく、我が国の社会においては、肯定的な意味で用いられることは少ないのではないかと思われます。
これは、何らかの実体が存在しているにもかかわらず、それに対しての説明・解説が不明瞭であると感じられる場合においては、適切な評価であると思われます。しかしながら、ここ数回の当ブログ記事にて述べた「抽象化」では、もとより、その物理的な存在がなく、あるいは強いて云うならば「それが述べられている文字列(文章)」と、表現されると思われますが、ともあれ、そうした実体の存在がない、あるいは希薄なものに、どのような機能、はたらきがあるのかと考えてみますと、そこで、その社会における「抽象化されたもの」の価値や意味あいといったものが理解出来るのではないかと思われるのです。
そして、それは抽象化されたもの、端的には、詩や論文なども含めたさまざまな文章表現を、内発的に、いくらか読み続けることによって徐々に、そして、その人なりに価値や意味あいといったものを理解していくのではないかと思われるのです。
また、その際に、人文社会科学、自然科学といった研究分野の相違により、理解の仕方にも違いが生じるのではないかと私には思われるのですが、これにつきましては、後日、またあらためて記事を作成したいと思います。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
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