ISBN-10 : 4478116393
ISBN-13 : 978-4478116395
最近、また日本人論が盛んである。再び日本が国際社会の檜舞台に登場することによって、日本人固有の欠点がしだいに露呈されてきたからである、と思われる。日本人論といえば、明治20年代の国粋主義鼓吹、同40年代の東西文明の統一を唱えたもの、さらに、昭和10年代に近代の超克を唱えた日本文化論、そして同30年代の日本を再評価するもの、同40年代後半の外国人などによる日本人論と続く(「中央公論」47年9月号)系譜があった。しかし、このような日本人論の類型は、要するに、「日本人は、これこれの欠点があるから反省せよ」というに尽きる。でも、これではほとんど意味はあるまい。「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、個人の場合にもあるけれど、社会全体に関していえば、問題点がいくら指摘されても、それだけではどうしようもないという場合が多い。その理由は、社会全体の作動洋式は、それを構成する各個人の単なる心構えだけによって左右しううるほど単純なものではなく、システム全体における諸要因の連関洋式とそれらの構造によってもまた規定されるからである。
たとえば、戦時中、増産と科学の振興が叫ばれた。そして、全国民もそのために努力したつもりではいた。しかし、生産は思うように向上せずヤミははびこり、人びとは何か自然の法則に逆らってもがいているの感を避けえなかった。また、科学も振興せず、科学戦においても日本は敗北してしまった。このように、社会構造に対する科学的分析を欠いた単なる思いつきは、現実の制御のために全く無力である。
この[社会現象に対する科学的分析能力の欠如]こそ、日本人の思考の盲点であり、これによって、かつて日本は破局を迎え、そして現在もまた迎えようとしているのである。ゆえに、このことは、強調されすぎることはない。日本人が、現在においても、いかに社会科学的分析能力を欠いているかは、最近の物価上昇に際して、火がついたように政府の「統制」を叫んだことだけをみても明らかだろう。経済とは、そんなに簡単なものだろうか。政(幕)府の命令一本で物価が統制できるくらいなら、天保の改革だって失敗しなかったにちがいない。経済学が今日ほど普及した時代においてすら、多くの日本人の思考様式は、水野忠邦のそれと本質的に異なるものではない。一億が一心となって火の玉のように突進すれば、科学も振興し、生産の向上し日本は勝利する、という単細胞的思考法と、現代の日本人の思考法とは、その論理において、一体どれほど異なるのであろう。
ISBN-13 : 978-4478116395
最近、また日本人論が盛んである。再び日本が国際社会の檜舞台に登場することによって、日本人固有の欠点がしだいに露呈されてきたからである、と思われる。日本人論といえば、明治20年代の国粋主義鼓吹、同40年代の東西文明の統一を唱えたもの、さらに、昭和10年代に近代の超克を唱えた日本文化論、そして同30年代の日本を再評価するもの、同40年代後半の外国人などによる日本人論と続く(「中央公論」47年9月号)系譜があった。しかし、このような日本人論の類型は、要するに、「日本人は、これこれの欠点があるから反省せよ」というに尽きる。でも、これではほとんど意味はあるまい。「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、個人の場合にもあるけれど、社会全体に関していえば、問題点がいくら指摘されても、それだけではどうしようもないという場合が多い。その理由は、社会全体の作動洋式は、それを構成する各個人の単なる心構えだけによって左右しううるほど単純なものではなく、システム全体における諸要因の連関洋式とそれらの構造によってもまた規定されるからである。
たとえば、戦時中、増産と科学の振興が叫ばれた。そして、全国民もそのために努力したつもりではいた。しかし、生産は思うように向上せずヤミははびこり、人びとは何か自然の法則に逆らってもがいているの感を避けえなかった。また、科学も振興せず、科学戦においても日本は敗北してしまった。このように、社会構造に対する科学的分析を欠いた単なる思いつきは、現実の制御のために全く無力である。
この[社会現象に対する科学的分析能力の欠如]こそ、日本人の思考の盲点であり、これによって、かつて日本は破局を迎え、そして現在もまた迎えようとしているのである。ゆえに、このことは、強調されすぎることはない。日本人が、現在においても、いかに社会科学的分析能力を欠いているかは、最近の物価上昇に際して、火がついたように政府の「統制」を叫んだことだけをみても明らかだろう。経済とは、そんなに簡単なものだろうか。政(幕)府の命令一本で物価が統制できるくらいなら、天保の改革だって失敗しなかったにちがいない。経済学が今日ほど普及した時代においてすら、多くの日本人の思考様式は、水野忠邦のそれと本質的に異なるものではない。一億が一心となって火の玉のように突進すれば、科学も振興し、生産の向上し日本は勝利する、という単細胞的思考法と、現代の日本人の思考法とは、その論理において、一体どれほど異なるのであろう。