書肆心水刊 杉山茂丸著「俗戦国策」pp.119‐121より抜粋
ISBN-10 : 4902854155
ISBN-13 : 978-4902854152
学問は進歩すべき人類の貴重な誇りであるから、決して捨てずに之を研究するのが人類の品位を高うするのである。併しマダ研究の道途にある未製品の儘、之を人類の実際に当嵌めんとするのがいまの馬鹿学者である、即ち今世界に現存する「ソシヤルスト」「アナキスト」「ニヒリスト」「ボルセビーキ」又、今日の各政党なる物の思想如きが、疑もなく学問中毒の夫である、只だ統一的の真理は「デモクラシー」である。是は盛衰不変の威霊によりて保護せねば、真正の「デモクラシー」は存立せず、効果なき物である、夫は我日本が、原始以来其歴史を有した国である。歴史は国の生命である。歴史を有せざれば国とは云われぬのである。即ち歴史の不抜の習慣あると云う事である。不抜の習慣とは、歴史は取引の出来ぬ物である、改正の出来ぬ物である、夫が歴史であって、既に経過したる事実であるからである。
日本は上から公許したる天理の「デモクラシー」を基礎とした創肇した国であるから、其歴史の半途から論じて見ても、素足に高足駄を穿いて学校に通いつつありし高平太の異名ある清盛でも太政大臣になったのである。
伊豆の国の蛭が小島の懲役人の小供の頼朝でも、建久三年に覇府を鎌倉に開いて征夷大将軍になったのである。郷士上りの北条時政でも執権職になったのである。尾州中村の土百姓の子の秀吉でも関白になったのである。大飛びに飛んで云うても、長州の軽輩、伊藤博文、山形有朋、寺内正毅、田中義一でも、薩州の平士の黒田清隆でも松方正義でも、総理大臣になったのである。其他素町人、土百姓の国務大臣になったのは、枚挙に遑ないのである。
之が太古以来、上より下に公許された「デモクラシー」の国である。立派な証拠である、今の青年は斯る結構な「民本国」に生れた事を衷心より喜ばねばならぬ、自己の器量修養一つでは、遠慮会釈もなく国政の大権が握らるるのである、斯る立派な国に生れながら、何の乏しき事あって、其歴史から組織から、遥かに劣等な学問中毒の夢に迷うて居る国の、馬鹿学者の書いた未製品抽象的の学問の真似をして、衆愚を集めて勢力と称し、泥棒をしても懲役に往っても構わぬ、正直な国民の納めた租税十八億円を攫み取ろう取ろうと日夜営々として喚き叫んで、政治の大権丈を得ようと争うと云うは何と云う事であろう。昔日、秦の始皇が儒者二十万人を抗にして殺し、項羽が秦の降卒百万人を殺したのも、害があって益なき者と断定しての所作ならば、或いは一面の理由があったかもしれないのである。
庵主は決して日本の学者を抗にしたくはない、其れは尊崇なる、陛下の赤子である。ドウか覚醒して貰いたいのである。庵主は決して秦の降卒の如く、行詰って居る政党を殺したいとは思わぬ、夫れは庵主の大事な同胞兄弟であるから、ドウか覚醒して貰いたいのである。庵主の最も親愛する青年諸士は、ドウか庵主に同情をして、ドウか抗にせず殺さずして済むように、一世の吶喊の声を挙げて彼等を覚醒さして貰いたいのである。