① 去る8月20日(火)、サントリーホールにて開催の落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団とのコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。かねてより落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」とは、歯科医療、とりわけ現在進行形でデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと考えて、ここしばらくの間、落合氏による創作や講演や対談などを鑑賞・視聴させて頂きましたが、それらからは、これまでに私が感銘を受けた創作物と同様の感銘を得ることはありませんでした。こうした評価は正直であることが重要と考えます。
しかし他方で、それらを創作された落合氏は、おそらく、私がさきに「感銘を受けた」とした創作については概ねご存じであると云えます。換言しますと、落合氏は、それら過去の著名な創作は認識され、また、自らの創作の背景にあったと云えます。それは対談動画や、執筆された文章などを視聴したり読みますと判然とすると考えます。そしてまた、それら優れた創作を文脈に据えた創作活動により、多くの人々に感動を与えるということは、これまで全ての芸術作品と同様、簡単ではないと考えます。しかしながら、落合氏の場合、さきに述べた活動の文脈・後背にある、さまざまな創作は、すでに適宜に運用可能な、いわば教養となり血肉化され、そこに、自らが研鑽したコンピューター科学を化合させ、新たな創作を試みているところが、きわめて現代的であり、また語義通りに前衛的でもあり、そして卓越しているのだと考えます。あるいはこれを異言してさらに進めますと、大抵の方々は、工学か芸術のいずれか一方を専門として満足するのに対して、落合氏の場合、双方分野を深く掘り下げ、それらを駆使・統合させて新たな創作を行うということ自体が相当困難と察せられることから、少なくとも、その活動から、現在までに後世に残る傑作と評される創作をしていなくとも、未来において、そうした創作を成し得る蓋然性が高いと考えるのです。そして、そのように考えてみますと、落合氏の場合は特に「創作手法」に新規性があり、そのためにいまだ、芸術家としての評価は定まってはいないのだと思われます。しかしまた他方で、芸術作品などの創作全般は「優れたもの」と世評を得るまでの期間が長く、ある程度の期間にわたり、創作を継続する必要があるようにも思われます。そして、こうした見解を述べる背景にあるのが総合芸術家とも評し得る北大路魯山人です。とはいえ、魯山人と落合氏では背景が随分と異なるようにも思われます。しかしながら、ここからは私見としての見解が濃厚になりますが、両者共に海外からの評価を視野に入れつつも、ホンモノの自国文化に根差した独自の創作をされていることが共通しているのではないかと考えます。そして、そうした創作とは、少なくとも「弱くはない」と考えます。ちなみに北大路魯山人は多作としても知られています。
② 8月20日、サントリーホールで開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団による「変幻する音楽会」を鑑賞しました。落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、これはデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと感じていました。そのため、彼の作品や講演、対談を積極的に鑑賞し、どのような感銘を受けるか期待していましたが、残念ながら心を深く打つような感動には至りませんでした。こうした評価は率直であるべきだと考えます。
しかし、それは単に私の好みの問題かもしれません。というのも、落合氏が生み出す作品には、過去に私が感銘を受けた多くの芸術作品との関連性をも感じさせるからです。落合氏は、過去の著名な創作をよく理解され、さらに、それらを自らの創作活動の背景に据えています。それは彼の対談や執筆物を通じて判然とします。そして、こうした過去の優れた創作を踏まえ、新たな創作を行うことは、容易なことではありません。
特に落合氏の特徴的な点は、豊富な教養を土台として、そこにコンピューター科学という先端技術を融合させているところにあります。これにより、新たな芸術の形を生み出そうとしており、そのアプローチは非常に現代的であり、同時に前衛的でもあります。多くの人が工学か芸術のどちらか一方を専門として自足するなか、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合して新たな作品を生み出しているのです。こうした取り組みは、非常に難易度が高く、そのために彼の作品はまだ広く評価されていないのかもしれません。
落合氏の現在の作品が、今後どのように評価されるかは未知数ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあります。芸術の評価は時間がかかるものであり、長期間にわたって創作活動を続けることが求められるからです。彼の手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるのかもしれません。
このように考える背景には、総合芸術家として知られる北大路魯山人の存在があります。魯山人と落合氏では時代や背景が異なるものの、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも、独自の視点で創作活動を行い、国際的な評価も視野に入れている点です。彼らの創作活動には独自性と力強さがあり、その点で共通していると感じます。
北大路魯山人は、多作としても知られており、これこそが彼の芸術に対する情熱を象徴していると思います。彼のように多くの作品を生み出すことが、芸術家としての評価を高める一つの要因であることは確かです。そして、落合氏の今後の創作活動がどのように進化していくのか、大いに注目する価値があると考えています。
さいごに、落合氏の取り組みは、芸術とテクノロジーの融合という新たな挑戦であり、その創作が今後どのように発展し、如何なる評価を得るのか、そして、彼の目指す未来の芸術が、どのような形をとるのか、期待とともに、その進展を楽しみにしています。
③ さる8月20日、サントリーホールにて開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団のコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。
かねてより落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、この概念は、デジタル化が進展しつつある歯科技工分野と親和性があると考え、そこから、ここ最近は、落合氏の創作した作品を鑑賞してきましたが、過日の「変幻する音楽会」を含め、それらの作品からは、これまでので音楽を含めた芸術の鑑賞で得たものと同様の深い感動を得ることはありませんでした。こうした評価は、あくまでも率直に述べることが重要であると考えます。
しかしながら、これは私の個人的な好みによるものである可能性も否定はできません。というのも、落合氏の作品には、過去に私が感動した多くの芸術作品との関連性をも感じるからです。落合氏は古今東西のすぐれた工芸・芸術作品や著作などを広汎に御存知であり、また、それらが氏の創作活動の基層にあります。そのことは落合氏の対談動画や著述などから判然とされます。しかしながら、そうした、いわば蓄積され教養にまで昇華されたものを新たな創造活動に結節し、そこからさらに、より多くの人々に感動を与える芸術作品の創造にまで駆動することは至難の業と云えます。
あるいは異言しますと、落合氏の創作の特徴は、豊富な教養を背景に持ちつつ、そこにコンピューター科学という先端的な技術を融合させている点にあります。これにより、彼はまったく新しい形の芸術を生み出そうとしており、その手法は非常に現代的かつ前衛的と言えます。多くの人々が工学か芸術のどちらか一分野に特化自足するのに対して、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合し、新たな作品の創造を試みています。もちろん、そうした試みは新しいものであるが故に困難をも伴い、そのため、落合氏の作品は高い評価を未だ広汎には得ていないのではないかとも思われます。
そしてまた、落合氏が今後、どのように評価されるようになるかは不明ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあると考えます。何故なら、芸術の評価が社会に定着するには時間がかかり、そのため、長期間にわたる創作活動の継続が求められるからです。その点において、落合氏の創作活動は長く継続しており、さらに、その創作手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるものと考えます。
こうした考えの背景には、総合芸術家として広く周知されている北大路魯山人がいます。魯山人と落合氏は時代や背景こそ大きく異なりますが、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも独自の視点での創作活動を行い、同時に国際的な評価を視野に入れている点です。
くわえて、北大路魯山人は多作としても知られ、そこから創作活動への情熱のほどが理解出来ます。このように多くの作品を生み出すことは、芸術家・創作者としての評価を高め、そして広める主たる要素の一つであることは確かと云えます。それ故、落合氏の今後の創作活動がどのように変遷しつつ継続するのか、その経緯を注視したいと思います。そして、落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」と「芸術」がどのように化合して芸術作品として顕現するのかを期待とともに楽しみにしています。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
しかし他方で、それらを創作された落合氏は、おそらく、私がさきに「感銘を受けた」とした創作については概ねご存じであると云えます。換言しますと、落合氏は、それら過去の著名な創作は認識され、また、自らの創作の背景にあったと云えます。それは対談動画や、執筆された文章などを視聴したり読みますと判然とすると考えます。そしてまた、それら優れた創作を文脈に据えた創作活動により、多くの人々に感動を与えるということは、これまで全ての芸術作品と同様、簡単ではないと考えます。しかしながら、落合氏の場合、さきに述べた活動の文脈・後背にある、さまざまな創作は、すでに適宜に運用可能な、いわば教養となり血肉化され、そこに、自らが研鑽したコンピューター科学を化合させ、新たな創作を試みているところが、きわめて現代的であり、また語義通りに前衛的でもあり、そして卓越しているのだと考えます。あるいはこれを異言してさらに進めますと、大抵の方々は、工学か芸術のいずれか一方を専門として満足するのに対して、落合氏の場合、双方分野を深く掘り下げ、それらを駆使・統合させて新たな創作を行うということ自体が相当困難と察せられることから、少なくとも、その活動から、現在までに後世に残る傑作と評される創作をしていなくとも、未来において、そうした創作を成し得る蓋然性が高いと考えるのです。そして、そのように考えてみますと、落合氏の場合は特に「創作手法」に新規性があり、そのためにいまだ、芸術家としての評価は定まってはいないのだと思われます。しかしまた他方で、芸術作品などの創作全般は「優れたもの」と世評を得るまでの期間が長く、ある程度の期間にわたり、創作を継続する必要があるようにも思われます。そして、こうした見解を述べる背景にあるのが総合芸術家とも評し得る北大路魯山人です。とはいえ、魯山人と落合氏では背景が随分と異なるようにも思われます。しかしながら、ここからは私見としての見解が濃厚になりますが、両者共に海外からの評価を視野に入れつつも、ホンモノの自国文化に根差した独自の創作をされていることが共通しているのではないかと考えます。そして、そうした創作とは、少なくとも「弱くはない」と考えます。ちなみに北大路魯山人は多作としても知られています。
② 8月20日、サントリーホールで開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団による「変幻する音楽会」を鑑賞しました。落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、これはデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと感じていました。そのため、彼の作品や講演、対談を積極的に鑑賞し、どのような感銘を受けるか期待していましたが、残念ながら心を深く打つような感動には至りませんでした。こうした評価は率直であるべきだと考えます。
しかし、それは単に私の好みの問題かもしれません。というのも、落合氏が生み出す作品には、過去に私が感銘を受けた多くの芸術作品との関連性をも感じさせるからです。落合氏は、過去の著名な創作をよく理解され、さらに、それらを自らの創作活動の背景に据えています。それは彼の対談や執筆物を通じて判然とします。そして、こうした過去の優れた創作を踏まえ、新たな創作を行うことは、容易なことではありません。
特に落合氏の特徴的な点は、豊富な教養を土台として、そこにコンピューター科学という先端技術を融合させているところにあります。これにより、新たな芸術の形を生み出そうとしており、そのアプローチは非常に現代的であり、同時に前衛的でもあります。多くの人が工学か芸術のどちらか一方を専門として自足するなか、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合して新たな作品を生み出しているのです。こうした取り組みは、非常に難易度が高く、そのために彼の作品はまだ広く評価されていないのかもしれません。
落合氏の現在の作品が、今後どのように評価されるかは未知数ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあります。芸術の評価は時間がかかるものであり、長期間にわたって創作活動を続けることが求められるからです。彼の手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるのかもしれません。
このように考える背景には、総合芸術家として知られる北大路魯山人の存在があります。魯山人と落合氏では時代や背景が異なるものの、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも、独自の視点で創作活動を行い、国際的な評価も視野に入れている点です。彼らの創作活動には独自性と力強さがあり、その点で共通していると感じます。
北大路魯山人は、多作としても知られており、これこそが彼の芸術に対する情熱を象徴していると思います。彼のように多くの作品を生み出すことが、芸術家としての評価を高める一つの要因であることは確かです。そして、落合氏の今後の創作活動がどのように進化していくのか、大いに注目する価値があると考えています。
さいごに、落合氏の取り組みは、芸術とテクノロジーの融合という新たな挑戦であり、その創作が今後どのように発展し、如何なる評価を得るのか、そして、彼の目指す未来の芸術が、どのような形をとるのか、期待とともに、その進展を楽しみにしています。
③ さる8月20日、サントリーホールにて開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団のコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。
かねてより落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、この概念は、デジタル化が進展しつつある歯科技工分野と親和性があると考え、そこから、ここ最近は、落合氏の創作した作品を鑑賞してきましたが、過日の「変幻する音楽会」を含め、それらの作品からは、これまでので音楽を含めた芸術の鑑賞で得たものと同様の深い感動を得ることはありませんでした。こうした評価は、あくまでも率直に述べることが重要であると考えます。
しかしながら、これは私の個人的な好みによるものである可能性も否定はできません。というのも、落合氏の作品には、過去に私が感動した多くの芸術作品との関連性をも感じるからです。落合氏は古今東西のすぐれた工芸・芸術作品や著作などを広汎に御存知であり、また、それらが氏の創作活動の基層にあります。そのことは落合氏の対談動画や著述などから判然とされます。しかしながら、そうした、いわば蓄積され教養にまで昇華されたものを新たな創造活動に結節し、そこからさらに、より多くの人々に感動を与える芸術作品の創造にまで駆動することは至難の業と云えます。
あるいは異言しますと、落合氏の創作の特徴は、豊富な教養を背景に持ちつつ、そこにコンピューター科学という先端的な技術を融合させている点にあります。これにより、彼はまったく新しい形の芸術を生み出そうとしており、その手法は非常に現代的かつ前衛的と言えます。多くの人々が工学か芸術のどちらか一分野に特化自足するのに対して、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合し、新たな作品の創造を試みています。もちろん、そうした試みは新しいものであるが故に困難をも伴い、そのため、落合氏の作品は高い評価を未だ広汎には得ていないのではないかとも思われます。
そしてまた、落合氏が今後、どのように評価されるようになるかは不明ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあると考えます。何故なら、芸術の評価が社会に定着するには時間がかかり、そのため、長期間にわたる創作活動の継続が求められるからです。その点において、落合氏の創作活動は長く継続しており、さらに、その創作手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるものと考えます。
こうした考えの背景には、総合芸術家として広く周知されている北大路魯山人がいます。魯山人と落合氏は時代や背景こそ大きく異なりますが、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも独自の視点での創作活動を行い、同時に国際的な評価を視野に入れている点です。
くわえて、北大路魯山人は多作としても知られ、そこから創作活動への情熱のほどが理解出来ます。このように多くの作品を生み出すことは、芸術家・創作者としての評価を高め、そして広める主たる要素の一つであることは確かと云えます。それ故、落合氏の今後の創作活動がどのように変遷しつつ継続するのか、その経緯を注視したいと思います。そして、落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」と「芸術」がどのように化合して芸術作品として顕現するのかを期待とともに楽しみにしています。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。