また、そのように考えてみますと鹿児島在住の後半の期間は、ほぼ毎週末温泉に浸かっていましたが、おそらくそれらの機会で自身に取り込まれた当地風土の『何か』が、おそらく現在においてもまだ体内の何処かで生きているのではないかとも思われるのです・・(笑)。
何故ならば、以前の首都圏在住時の自身であれば、寒い状況よりも暑い状況の方をより耐え難いと感じていたからです(あるいは単純にそれは加齢による基礎体温の低下によるものであるのだろうか?)。
しかし一方で、現今においては(悔しいことに)ほぼ首都圏での生活に慣れつつあり、くわえて一連のブログ記事もまた(悔しいことに)ほぼ此処首都圏にて作成されたと云えます・・。
そのように考えてみますと意識・無意識を問わず日常的に刺激に事欠かないとも評し得る首都圏とは、一面においてこうした文章作成には適しているのかもしれません・・。
以前にも書きましたが鹿児島在住時、SNSのミクシィにて週に一回程度、こうした記事らしきものを作成していましたが、その当時において作成頻度を増やすことが出来たかどうかとは不明ですが、おそらく当時の自身ではそれが限界に近かったのではないかと思われます・・。
そうしますと、では何故、現在の自身とは、書籍からの抜粋引用もありますが、ほぼ毎日、このように記事作成を行うことが出来ているのでしょうか?そして、それを為さしめている能力とは如何なるものなのでしょうか?
否、より精確には、それは能力と表現されるものではなく『視野』と表現されるものであるのかもしれません・・。
つまり、ある種の視野にて世界を認識することにより、こうしたブログ記事の文章とは特に苦もなく作成することが出来、そしてまた、その視野を保持するためには、首都圏などにおいて特有な、ある種の刺激が効果的に作用するのかもしれません。
そのように考えてみて想起されることは、加藤周一が述べていた『都市部に文章作成・文学などに対して興味のある層が集中する我が国の傾向』であり、あるいはそれと何かしらの関連性があるのではないかとも思われるのです・・【多少自意識過剰気味ではあるものの(苦笑)】。
次いで想起されたことは、これまた以前のブログ記事にて述べた『近代以降の我が国における都市部、就中、東京出身の長編小説執筆者の少なさ』であり、長編小説の執筆といった息の長い創作活動を行うためには、我が国の都市、特に首都圏とは向いていないのかもしれません。これを換言しますと、長編作品を生じさせるためのある種の『土性骨』といったものは都市部にて得ることは困難であるということであるのかもしれません・・。
あるいはそれと同様の事情が、我が国のノーベル賞受賞者の出身地が首都圏文化圏とは異なる西日本に偏在している一つの原因であるようにも思われます・・。
それ故、おためごかしではなく、やはり我が国にて現在進行しているとされる東京・首都圏への一極集中とは、長い目で考えてみますと持続可能性・発展持続性が乏しくなってしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
近年来、国内各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模な自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。
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