2018年7月17日火曜日

20180717 岩波書店刊 トーマス・マン著 関 泰祐 望月 市恵 訳 『魔の山』下巻pp.647-649より抜粋引用 【主に書籍からの抜粋引用】

先日の主に西日本における大雨により、二次災害発生の危険性の残る地域が未だあるとのことです。これまでに生じた災害の復旧、また今後発生する被害が出来る限り少ないことを祈念しております。

さて、今回示すのはトーマス・マン著『魔の山』(1924年刊行)最後のシーンであり、これは以前にも当ブログにて述べましたが、第一次世界大戦の前線における主人公ハンス・カストルプの様子が描かれています。それに対し、物語の語り手は『私たちは、君(カストルプ)が無事で戻ることはおぼつかないのではないかと考えている。正直にいうと、私たちはそれをどちらとも思いわずらってはいない。』と述べていますが、まさにここで、一つの時代の終わりを象徴させているのではないかと思われます。そして、もう一つ示すエルンスト・ユンガー著『労働者 支配と形態』(1932年刊行)の記述は、『魔の山』との鮮やかな対比が認められると思われます。また、その意味においてイギリス人であるロバート・グレーヴスによる『さらば古きものよ』には、背景文化が異なるもののトーマス・マンによる『魔の山』とエルンスト・ユンガーによる『労働者 支配と形態』の双方を結びつけ得る精神、すなわち、ロマン主義・理想主義と前線指揮官が持つ現実主義をも包摂するものがあると思われるのです・・。そして、それが『詩心』あるいは『sense of humor』と呼ばれるものではないでしょうか・・?

岩波書店刊 トーマス・マン著 関 泰祐 望月 市恵 訳 『魔の山』下巻pp.647-649より抜粋引用

『あそこに私たちの知人がいる、あそこにハンス・カストルプがいる!彼が二流ロシア人席にいたころから生やしていた小さな顎ひげで、私たちはもうずっと遠くから彼を見分けたのであった。彼も、ほかの青年たちと同じようにびしょぬれになって、顔を紅潮させている。剣つき鉄砲をにぎった手を下げ、畑の泥のついた靴を引きずりながら走っている。見たまえ、彼は倒れている戦友の手をふみつけた、-鋲を打った重い靴で、枝の散乱している泥のなかへ戦友の手をぎゅっとふみつけた。しかし、やはり彼である。どうしたというのだろう、彼はうたっている!なにも考えられない、熱に浮かされたような興奮のなかで、それとは気づかずに口ずさむように、彼はたえだえな息をつかって、小声で「菩提樹の歌」を口ずさんでいる、「われはきざみぬ、かの幹にうまし言葉の数々をー」。彼は倒れた。いや、彼は腹ばいに伏せたのだ。すさまじい炸裂弾、地獄のぞっとするようなあの棒砂糖が、悪魔のようなうなりを立てて飛んできたからである。彼はつめたい泥のなかに顔を突っ込んで、両脚をひらき、両足をねじり、踵を地面につけるようにして、伏せている。野蛮化された科学の産物が、おそろしい中身をつめられて、彼のななめ三十歩ほど前方の地面へ悪魔のようにふかくのめりこみ、そこの地面のなかですさまじい力で炸裂し、土と火と鉄と鉛と、きれぎれになった人間を、家よりも高く空中へ噴水のように跳ねあげた。そこには二人の兵士が伏せをしていたのである。-二人は友人で、思わずならんで伏せをしたのであったが、二人はもう二人ではなく、ごちゃまぜになり、消えてしまった。
 ああ、私たちは安穏な影の境涯が恥ずかしい!退散しよう!私たちは物語るのをやめよう!私たちの知人ハンス・カストルプはやられただろうか?彼は一瞬やられたと思った。大きな土くれが脛にぶつかり、痛かったが、平気であった。彼は立ちあがり、泥が重くついた靴を引きずりながら、びっこをひきひき蹌踉と歩きはじめ、無意識にうたった、「枝はーそよーぎぬ、いざーなうごとく」そして、彼は混乱のなかへ、たそがれのなかへ、私たちの目から消えて行った。さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子よ!君の物語はおわり、私たちはそれを語りおわった。短すぎも長すぎもしない物語、錬金術的な物語であった。私たちは物語が目的で話したのであって、君が目的で話したのではない。君は単純な青年なんだから。しかし、結局これは君の物語であって、こういう物語が君に起こったのだから、君はどこか食えないところがあったのだろう。私たちは、この物語がすすむにつれて、君に教育者らしい愛情を感じはじめたことを否定しない。そして、その愛情から、指さきで目がしらをそっとふかずにいられなくなるのだ、-こののち君の姿を見たり、声を聞いたりすることはあるまいと思うと。ごきげんようー君が生きているにしても、倒れているにしても!君の行手は暗く、君が巻きこまれた血なまぐさい乱舞はまだ何年もつづくだろうが、私たちは、君が無事で戻ることはおぼつかないのではないかと考えている。正直にいうと、私たちはそれをどちらとも思いわずらってはいない。君の単純さを複雑にしてくれた肉体と精神との冒険で、君は肉体の世界ではほとんど経験できないことを、精神の世界で経験することができた。君は、「陣とり」によって、死と肉体の放縦とのなかから、愛の夢がほのぼのと誕生する瞬間を経験した。世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?』


『今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。』


~書籍のご案内~
増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5


~勉強会の御案内~
前掲著作の執筆者である師匠による歯科材料全般もしくは特定の歯科材料を扱った勉強会・講演会の開催を検討されておりましたらご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします。



数年前より現在までに列島各地、特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害によって被災された地域諸インフラの速やかな復旧および、その後の復興を祈念しています。

20180717 月曜社刊 エルンスト・ユンガー著 川合 全弘 訳『労働者 支配と形態』pp.140‐142より抜粋引用 【主に書籍からの抜粋引用】

先日の主に西日本での大雨によって二次災害発生の危険性が残る地域が未だあるとのことです。これまでに生じた被害の速やかな復旧、また、今後発生する被害が出来る限り少ないことを祈念しております。

月曜社刊 エルンスト・ユンガー川合 全弘訳『労働者 支配と形態』pp.140‐142より抜粋引用
ISBN:978-4-86503-005-1

『さて、このような市民的青年層の末期エリートと、戦争それ自体によって形成され、最後の戦闘の経過の中でますますはっきりその特徴を観察できるようになった、あの戦闘者型人間との重要な相違に目を向けてみよう。死の圏域の制圧を可能にする、この秘められた権力中枢において我々が出会うものは、新たな独自の要求に基づいて発展してきたある人間像である。
 個々人を見つけ出すことが非常に困難なこの風景の中で、火は、具象的性格を持たない全てのものを焼き尽くしてしまう。この経過の中で姿を現すものは、最小限の何故と何のための下に遂行される、最大限の行動である。この状況を、個人的な領域、たとえばロマン主義ないし理想主義的な色合いを帯びた領域となんとか調和させようとするいかなる試みも、直ちに無意味な行為であることが判明する。
 ここでは死との関係が変化してしまう。というのも、死があまりにも近くにあるときには、厳粛さとしても解されうるような気分の余地が全く存在しなくなるからである。個々人は、自分が最高度の肉体的、精神的要求に従うかけがえのない瞬間に、突然の破壊に見舞われる。個々人の戦闘力はもはや個人的な価値でなく、機能的な価値である。言い換えれば、ひとは戦死するのでなく、壊れるのである。
 この場合にはその特性に応じて全体的戦闘性格として現れる全体的労働性格が、ここでも、無数の特殊な戦闘方式の中に表現される様子を見て取ることができよう。戦争のチェス盤上に多数の新しい駒が現れる一方で、駒の進め方は単純化した。戦闘倫理の基本原則はいつの時代も同一であり、それは敵を殺すことにほかならないが、それを測る尺度は、いまや全体的労働性格が実現されうる程度とますます明白に一致し始める。このことは、戦う個々人の活動領域にも戦う国家の活動領域にも当てはまる。
 ここにおいて、心情と神経の最高度の規律を具現する諸々の事例が、最良の伝統と対等並び立ちうる歴史となったのである。これらの事例は、醒めた、金属的とも言うべき極度の冷淡さの見本であり、これに基づくことによって、英雄的意識は肉体を純然たる道具として扱い、自己保存本能の限界を超えてさらに一連の複雑な動きを肉体に強要できるようになる。撃墜される飛行機が発する炎の渦の中でも、泡を立ち上らせつつ海底に沈みゆく潜水艦の中でも、労働は続行される。それは本来すでに生存の範囲を超えており、それについて報告がなされることはなく、典型的な意味においてプロイセン国王のための仕事と呼びうるような労働である。
 特に注目すべきことは、新しい戦闘力のこのような担い手がようやく戦争の末期に顕在化するようになること、十九世紀の諸原理に基づいて形成された軍隊の大衆が崩壊するのに並行して彼らの別種性が露になること、これである。とりわけ彼らの姿がはっきりと認められるのは、時代の特色がすでに特別の明瞭さを伴って手段の使用法のうちに現われているようなところである。たとえば、陸上部隊と航空部隊、機械力によってぼろぼろに破壊された歩兵隊が再編成によって新たなる魂を得る突撃部隊、うち続く攻撃の中で鍛えられた艦隊の一部などがそれである。
 ヘルメットや突撃帽の下で観察者に向けられる相貌も変化した。それは、たとえば集会や群集の中で観察される相貌同様、特徴の幅の点で多様性と個性を失う一方で、目鼻立ちの鋭さと明確さを得た。それは、表面にさながら電気メッキを施したように、いっそう金属的となり、骨格がくっきりと浮き出て、表情は引き締まり、無駄がない。眼差しは、高速で運動する物体を観察することを通じて訓練され、安定し、動じない。それは、ある新しい風景に特有の要求の下で発展し始め、個々人が人物や個人として表すのでなく、類型人として表す、ある人種の顔つきである。』


『今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。』


~書籍のご案内~
増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5


~勉強会の御案内~
前掲著作の執筆者である師匠による歯科材料全般もしくは特定の歯科材料を扱った勉強会・講演会の開催を検討されておりましたらご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします。




数年前から現在に至るまで列島各地、特に西日本にて発生した大規模自然災害により被害を被った地域諸インフラの速やかな復旧および、その後の復興を祈念しています。