そのことを後になって考えてみましても、やはりそうした性差による傾向とは実際に存在するのではないかと思われましす・・。
そして、そのような前提に立って考えてみますと、神話、伝説あるいは民話のような物語の体系が、国、地域レベルにおいて存在、共有されていることが、後世の物理ひいては理系的な考えが発展する素地となったのではないかと考えられます・・。
また、ここまで書いていて、フレイザー著の「金枝篇」に記されている「様々な原始的概念に基づく呪術が科学技術の発展の礎となった。」ということが想起されました。
たしかに中世ヨーロッパにおいて興隆した「錬金術」とは、後世同地においてそれ(錬金術)が科学技術として進化したことと関連性があるのではないかとも考えさせられます・・。
そして、そうしたことを我が国において適用してみますと、道教、陰陽術、そして真言、天台諸宗などの雨乞いの呪術、術式などが挙げられるのではないかと思います・・。
これら呪術、術式とは、国内各地において驚嘆されるものとして記憶され、また、在来、土着のそれと混淆し物語、概念化され、近現代に至るまで保持されたものが少なからず存在したではないかと思われます。
そして、こうした経緯を示唆するものが、各地に遺された様々な祭祀、伝承、民俗であると云えます。
また、近代直後(明治以降)より我が国の辺境ともいえる地域から、その後、世界的規模にて活躍する科学者が数多く出てきたことの背景には、前記のことと強い関連性があるのではないかと考えられますが、如何でしょうか?
その後、西洋的な科学技術の知識、学問体系が主に学校教育、各地に殖産された産業、工業を通じ、我が国において全国的に浸透した結果、前記の近代直後の我が国の科学技術への進化の礎となった「前近代的な宗教、神話等を背景に持つ様々な概念」が徐々に駆逐、忘却され、それに伴い1930年代あたりから、よく分からない戦争の時代に突入してしまったのではないかとも思われます・・。
そして、ここが大事であると思うのですが、この時代の周辺においても「表面的」には、歴史を大事にして、持ち上げている様な風潮が「強く」存在していたということなのです・・。
その一つが、おそらく当時流行した「国体明徴化運動」ではないかと思われます・・。
そして、そうした現象とは現在の我が国においてもまた見られるのではないかと思いますが如何でしょうか?
今回の大地震により、九州・熊本で被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。