ラベル 800以上 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 800以上 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年11月5日水曜日

20251104 黎明期の試作機である私について

 当記事を含めて、残り2記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。さて、以前にも当ブログで述べたことがありますが、私は2007年に修士(経済学)を取得後、歯科技工専門学校に入学し、歯科技工士としての専門教育を受け、2009年に歯科技工士免許を取得して、歯科生体材料学を専攻分野として大学院博士課程に進学、2013年に博士(歯学)を取得しました。

 現在では、国内に4年制の歯科技工士養成課程を有する大学が2つあり、広島大学が2005年、東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)が2011年に、それぞれ設置されています。それ故、私が博士号を取得した2013年当時、仮に最初の学士課程の入学生が順調に進学されていたとしても、博士課程3年目にあたる段階であり、修了には至っていなかったと見込まれます。つまり、その時点で修士課程を経て課程博士を修了した歯科技工士の事例はほとんど存在せず、私の修了は、ごく初期、あるいは日本初であった可能性もあると考えています。

 キャリアパスが整備される以前に、異分野の修士課程を経て、歯科技工士として進学が妥当と云える歯学分野の博士課程に進み、どうにか修了にまで至ったことは、巨視的に見れば、我が国の歯科技工士教育と歯学分野の学術研究とを結節する、ごく初期の試みであったと云えます。

 現在では、4年制大学での課程を卒業された歯科技工士の方々が、大学院修士課程、さらに博士課程へと進学する事例も聞かれます。そうした整備された道を歩まれてきた方々と比べますと、私などはまるで、黎明期の試作機、あるいは不格好な多砲塔戦車のような存在と云えるかもしれません(苦笑)。しかし、そうした時期であったからこそ、特有の創意や自由闊達さもまたあったのではないかと思われます。

 とはいえ、その過程には以前にも述べました通り、さまざまな困難があり、決して順風満帆なものではありませんでした。そうしたなか、2012年、教授(師匠)も准教授の先生もおられない状況で、担当させていただいた鋳造および鑞付けの歯科理工学実習では、研究室の先生方からご許可を頂き、人文的な話題を随所に交えながら実習を進めることができましたが、これは余程、自分の性質に合致していたのか「それまでの人生がこのためにあったのだ!」と感じられるほどの経験であり、それだけに、今なお強く記憶に残っています。

 それでも、学位取得後の道のりもまた、決して平坦なものではなく、まさに紆余曲折を経るものでした。黎明期の人間として、その不完全さなどネガティブな面全てを含めて、まあ自分らしい経路であったのではないかと思われるところですが、今後は、これまで培った経験を活かしつつ、若い世代の医療専門職の方々が、より自然に人文書に興味を持ったり、臨床と研究とを往還出来るような環境の整備に微力ながら関わりたいと考えています。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。













2020年7月5日日曜日

20200704 この度の南九州での大雨災害から

先ず、このたびの大雨によって甚大な被害を被った南九州地域での行方不明となった方々の早期の生還・救出そして、さまざまな生活インフラの早期の復旧を祈念いたします。また、報道番組などで、当地域の映像が出てきますと、さまざまな記憶が思い起こされてきます。

今回、多くの被害を被った球磨川流域、人吉市は、鹿児島在住時に訪問したことがあります・・。さらに当地ご出身の学生さんがおられたことも思い出されましたが、今回の大雨で被害に遭われていないこと願っています・・。

鹿児島在住時、球磨川流域の人吉市を訪れたのは、2011年の初秋であり、川下りのラフティングのためでした。これを企画して頂いたのは、当ブログにて何度か取り上げさせて頂いている先輩院生の方であり、2009年に兄が亡くなり、さらに、2010年には指導教員が心ならずも退職されることになり、失意のどん底にあった私を、おそらくは見るに見かねて、企画してくださったのではないかと思われます・・。

とはいえ、この先輩は、そうした気配を全く見せることなく「実は中止にしようと思ったんだけれども・・。他の参加者の様子を見に研究室を訪ねてみたら、皆でYouTubeでラフティングの動画を喜々として見ている光景を目にして引くに引けなくなった・・。」と、国道225号沿い、南鹿児島駅近くのリンガーハットで皿うどんを食べながら話してくださったことが思い出されます。ちなみにこの先輩は皿うどんが好物であり、そこに酢を多くかけるのが特徴的でした。

しかし、こうした一種、露悪的とも云える言動は、現在考えてみますと、私に余計な気を使わせないためであったのではないかとも思われるところですが、そうしてみますと、私が学位審査前でおかしくなっている頃も、同様に、そうした行動や言動を取り、またそれは、当時私の周囲におられた多くの研究室関係者においても同様であったのではないかとも思われてきます。

他方、当時の私は、おかしくなっていたものの、そのことに少しは気が付いていたフシもあり、学位審査を終えて結果が出た後、天文館で開かれた祝賀会にて私が「ええと、この度、私がどうにか学位取得に至ることが出来ましたのは、自分の努力以上に、ここにおられる諸先生方の「運」を少しづつ分けて頂いたことによると云えます。」と宣ったところ、しばらくの間、場が固まり、そして、当時、他講座の助教であった指導教員門下の最年長の先生が「ささ!まあ、それは良いとして、とりあえずは乾杯を!」と流れを変え、その場の雰囲気を変えましたが、実のところ、あの場で私が云ったことはまさに図星であったのではないかと思われるのです・・。そして、図星であったが故に、その場におられた先生方は、その話題を深入りされたくなかったのではないかと思われるのです・・。



しかし、現在になって考えてみますと、さきにも述べましたが、兄の死と指導教員の突然の退職が重なり、かなり落ち込んでいた私を、そのまま放置せずに、あまり気が進まない素振りは見せつつも、さまざまな危機的な局面で救って頂き、また、良い方向への進路変更をさり気なく促してくださったのは、こうした周囲の先生方であり、あるいは、あまりこうした事情をご存じでなかった学生さん達であったのではないかと思われるのです。

そして、今現在、学位取得の2013年から既に7年近く経っていますが、そこから自分自身が、有意に変わったとは、どうしても思うことが出来ないのです・・。つまり、2013年から現在までは「本当にどうにか生きてこれた・・。」ような感じがしてなりません・・。

それは、何かしら精神的な傷によるものであるのか、あるいは、そこで芯が疲れ切ってしまったのか、はたまた、それがごく普通の生き方であるのか分かりませんが、私としては、もう少しハリのある、自身を生かし、精神の自転運動を惹起させるような、生き方をしたいと願うところですが、それは、少し高望みし過ぎなのでしょうか・・(苦笑)。

ゲーテの「ファウスト」に『心をよみがえらす泉は自分の胸中からわいてこねば、心身をよみがえらすことはできない。』といったコトバがありましたが、今後、私はその泉を自分の中に見出すことが出来るのでしょうか・・そして、それは当ブログと関係があるものなのでしょうか・・イマイチよく分かりません(苦笑)。

ともあれ、上記のような経験の記憶を私に与えてくれた南九州における、この度の大雨災害による被害が出来るだけ軽微であり、また、そこからの復旧が速やかに進むことを願っています。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!




2019年10月22日火曜日

角を矯めて牛を殺すよりは・・と同調圧力?【20191022】

まず初めに、先日の台風19号による被害から未だ復旧していない諸地域の速やかな復旧を祈念いたします。

さて、おかげさまで去る10月13日投稿分の『鹿児島での出来事について(変性意識?)』がコピペ先のアメーバブログにおいてランクインしました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

この『鹿児島での出来事について(変性意識?)』のような、いわば自身の経験を述べた記事がランクインすることは、記事作成者としては、たとえば書籍からの抜粋引用部を記事としたものがランクインすることと比較して、やはり相対的に嬉しく、そしてまた事後の記事作成の意欲にも繋がってくると云えます。

その一方で、ここ最近もまた、いくつか書籍を読んでおり、それら著作内記述も大変興味深と思われることから、現在のような記事作成に際しては、自身の文章あるいは書籍からの抜粋引用何れかで行くのかについて、多少考えてしまいます・・(苦笑)。

最近読み進めているいくつかの著作もまた、歴史を扱ったものであり、そのうちの一つである我が国の近現代を扱った著作は比較的硬質な文体の、どちらかといえば専門書に類するものであると云えますが、この著作はこれまでに読んだ我が国近現代を扱った著作のなかでも、内容的に大変興味深く、また、その著された年代を感じされることが少ないことから優れた著作であると云い得ます。

これまでに私はある程度、さまざまな歴史についての著作を読んできたと考えますが、そのはじまりについてはあまり精確に遡ることは出来なく、少なくとも、文字を知る前の段階から、家にあった写真やイラストが割合多く載った分かりやすい歴史についての書籍を好んで読んでいた(ページを捲っていた)記憶は残っています。

その後、小学生になりますと「マンガ日本の歴史」や「マンガ世界の歴史」といった本を毎日飽きもせずにランドセルに詰めては通学電車内で読んでいました・・。さらには小学校の卒業アルバムに載せた自分のキャッチフレーズには「歩く歴史書」と書いていました・・(苦笑)。

そして、そうしたことを思い起こしてみますと、よくもこの年齢に至るまで、多少断続的であった時期はあるものの、継続して、この分野の書籍を読み続けてきたものであると、我が事ながら多少自分の「頑固さ」を不憫にも思います・・。

また、こうした長年にわたり継続している所謂、比較的強い性質とは、一般的に他面において影の部分も強く・濃く形成するものであり、おそらく自身は、出来ることと出来ないことの差が激しい、あるいは端的に「つじつまが合わない」といったような性質を有しているのではないかと思われます・・(苦笑)。

この性質については、幼少期からボンヤリと思い続け、現在に至り割合明確に思うことは「私は自分のこの性質に合った仕事に就かないとダメだ・・。」であり、また他方で「自身のこの性質(歴史好き)は必ずしも捨てたものではない・・。」といった経験に基づく信念のようなものもいくらかか明瞭化してきたと云えます・・。

小学生の頃から、歴史に関して、本当の興味・関心に基づいて話すことが出来る相手がいなく、中学校では、かなり変わった学生が多い学校に進んだことから、多少その芽は伸びて、そしてその先の高等学校では、かなり自由な校風ではあったものの、自身の歴史に関する興味・関心は、周囲の多くの学生と違うことにより多少浮いてしまい、無理に合わせようとして、より浮いてしまうといったことがあったように記憶しています・・。

こうした状況は大学においても同様でしたが、この時期は運動部に所属していたことから、書籍を好んで読むといったことはありませんでした・・。そして、部活を引退する少し以前、文系師匠と出会い、この時「世の中には私より強烈な方もいるのだなあ・・。」と感心を通り越して感激した記憶があります・・(笑)。

若い時期のこうした出会いは、なかなか重要なものであり、その後も社会において、こうした人物に出会うことなく過ごしていますと、物足りなくなり、そしていよいよ自分がオカシイのではないかと思うようになり「やはり自分は人文社会科学系の大学院に進むべきだ・・」と考えるようになり、周囲と相談し、ある程度の貯金をした後に会社を辞めて試験に備えました。

おそらく、ここまでは、どのようなルートであれ、自身の性質を鑑みるに概ね同じようなルートを辿ったのではないかと思われます。しかし、ここで自身が特筆すべきと考えることは、首都圏のそれまでの自身が慣れ親しんだ文化圏の大学院に進まず、自身がかつて職務にて在住した近畿地方辺縁といえる場所の大学院に進もうとしたことです・・。

それは「それまでの自分は、歴史を知っているつもりになっていたが、実のところ自分の国の古くから続く文化の積層、そしてその表層における現出とも云える、さまざまな民俗文化については、ほぼ何も知らなかった・・。」といった一種の強い敗北感・挫折感のようなものが根底にあったからであると云えます・・。

私のヨーロッパ文化専攻への希望が地域学専攻へと変化した背景にはそうした事情があります。しかし、それが果たして良かったのかどうかは、今以て明確には分かりませんが、結局のところ進んだ近畿地方辺縁の大学院での院生生活や、周囲の方々、そして何より、そこでの読書量などを思い返してみますと、比較的良かったのではないかと思われます・・。

そして、そこでの院生生活を終える頃の私は、完全に、そして不可逆的に現在の私の原型になっていたと云えます・・(苦笑)。


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。







日本福祉大学
オープンキャンパス

~書籍のご案内~
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!


























2019年9月29日日曜日

【20190929】太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」

先日来からいくつかの著作を読み進めていますが、そのうちの一つは、内容的には専門書に近いと云えますが、同時に以前読了した司馬遼太郎著「翔ぶが如く」とまさに同時代を扱っているものであることから、難解と感じられる部分は多々ありつつも、どうにか読み進め、そして年内に読了に至れば御の字と考えています・・(笑)。

また、他の読み進めている著作については、昨日、一昨日でいくつか読了しました。それら著作では、太平洋戦争における複数戦場地域を、記録されたその様相を踏まえて述べていることから、ある意味において大変痛ましく、読んでいて自然に眉間にしわが入り、目が細くなってきます・・。

ここ最近になり実感することは、こうした著作は、その記述の大半が事実を述べたものであることから、心身を消耗させ、何やら絶望的に気分にさせられます。しかし、それは近現代において大規模な敗戦を経験した国々であるならば、同様であるはずなのに、我が国については、母国であることから、その生活文化をある程度理解していると感じられるところに根差すものと云え、その程度は相対的に深いと云えます・・。

つまり、自身の理解している我が国の生活文化と、それら太平洋戦争戦場について述べた著作の記述との間に、連続性・近しい関係が多いに認められることから、必然的にやるせなさ、そして絶望感を感じさせられるのだと云えます。

そのように考えてみますと、夏目漱石著「吾輩は猫である」そしてロバート・グレーヴス著「この私、クラウディス」双方に記述がある「シビュラの書」についての説話の持つ意味合いが理解され、そしてまた同時に、当説話の背景である古代ローマ帝国の後裔を自認する西欧諸国くわえて、その派生と評し得る米国において、単なるゼスチャーとしてでなく「歴史」が学問として重んじられている意味合いの輪郭をボンヤリと理解することが出来るのではないかと思われます。

そして少なくとも、その点において我が国は、他の敗戦国であるドイツをはじめ、西欧諸国そして米国と比べ、低い段階にあるか、あるいは、違った認識の方向の先にあると云えます・・。

我が国においては、未だ先進国並みと評し得る理系学問分野を基盤とする諸技術と比して「歴史」をはじめとする人文社会科学分野が前述の状態であることには、やはり生活文化に大きな挫折を負った太平洋戦争後からではなく、それよりはるか古くから続く、何らかの原因があると考えます。そして、この原因が、これまた何らかの原因によって、大きく変わること、あるいは今後ある程度の年月を経て、漸進的に変化していくことがない限り、おそらくまた我が国は直截的な流血は伴わないにしても、太平洋戦争終盤における各戦場地域であったような悲劇、否、惨劇を繰り返してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。

そういえば、ここまで書いていて不図、思い出したことは文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





日本福祉大学
オープンキャンパス

~書籍のご案内~
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!

2019年9月21日土曜日

20190921 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33

 『私たち主従が行動を共にしていたあいだは、規則的な生活を送る機会があまりなかった。とりわけあの僧院に着いてからは、真夜中に目を覚ましたり昼間から疲れて眠りこんでしまったり、規則的に聖務日課に加わることはなかった。けれどもまだ旅から旅を続けていたころには、終課の後にまで師が目を覚ましていたためしは滅多になく、つねに節度ある習慣を保っていた。それが、あの僧院に入ってからは、しばしば生じたように、一日中薬草園を歩きまわって、緑玉や翠玉を探すみたいに、植物を調べていることがあった。あるいは地下聖堂の宝物庫を歩きまわって、朝顔の茂みを除きこむみたいに、緑玉や翠玉の鏤められた手箱に見とれていることもあった。あるいはまた、一日中文書館の写字室に籠って、自分の楽しみ以外の何ものも求めていないといわんばかりに、写本をめくっていることがあった。(私たちのまわりでは、日一日と、身の毛よだつばかりの殺され方をした修道僧の死体が殖えていったというのに)。ある日など、師は自分の没頭している仕事のために神さまへの務めなど気にかけていられないと言わんばかりに、やたらに僧院の中庭を歩きまわっていた。私が学んだ修道会ではこういう師の行動とはまったく違ったやり方で日課が定められていたから、思いきってそう言ってみた。すると師は、宇宙のすばらしさは多様性のうちの統一性にあるばかりでなく、統一性のうつの多様性にもあるのだ、と答えた。そういう返事は無教養な経験論に基づくもののように思えてなっらなかったが、後になってから、理性の働きはあまり重要な働きはしないという言い方で、師と同郷の人士たちが事物を規定することを知った。
 あの僧院では共に日夜を過ごしていたあいだ、師のほうは書物に積もった塵や、仕上がったばかりの細密画の金粉や、セヴェリーノの施療院で触れた黄色い物質などで、いつも両手を汚していた。それはまるで両手を使わなければ考えは進まない、と言わんばかりの態度であり、当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは〈不倫ナ者〉であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった。)師の手が非常に壊れやすいものを、たとえば細密画を施し終わったばかりの手写本や、古くなって無酵母パンのようにもろくなり、崩れかけたページなどを取り扱うときには、少なくとも私の目には、師が並はずれて繊細な触角の持主であり、職人が自分の機械仕掛けに触れるときとまったく同じ手つきをしているように見えた。じじつ、いずれ述べることになろうが、このように風変りな人物であった師は、旅行用の袋のなかに、当時は私などが見たことも聞いたこともなかった道具類を所持していて、これを大切な機械類と称していた。機械とは技工の現れであり自然の模倣である、と師はいつでも言っていた。また、機械によって再生されるのは自然の形態ではなくて、作用そのものであるとも。こうして師は、時計の仕組みや天体観測器や磁石の秘密などを、私に説き明かしてくれた。しかし初めのうち、私はそれらを魔術のように恐れていたので、晴れた夜に師が(奇妙な三角形の道具を手にして)しきりに星座の観測を繰り返していたときなどには、眠っているふりをした。私がイタリアの各地や自分の故郷で知りあったフランチェスコ会修道士はみな素朴で単純な人たちばかりで、なかには文盲の人も少なくなかったから、師があまりにも博学の士であることに驚いてしまった。けれども師は微笑みながら、彼の故郷の島に住むフランチェスコ会修道士たちも自分とはまったく別種の人間だ、と私に言った。「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師とも仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。〈動物ニ牽カレナクトモ猛烈ナ勢イデ動ク車、サラニハ空飛ブ機械。人ハソノ機械ノ真中にスワリ、何ラカノ装置ヲマワスト、巧ミニ作ラレタ翼ガハバタイテ、鳥ミタイニ空ヲ飛ブデアロウ〉そしてごく小さな装置で非常に重いものを持ち上げるようにようになり、海底を進む乗物さえ造りだされるときが来るであろう」
 どこへ行けばそのような機械にお目にかかれるのかとたずねると、師はすでに古代において造られた例がある、そして私たちの同時代にはいくつか造られている、と答えた。「ただし、例外は空飛ぶ機械だ。これだけはわたしもまだ見たことがないし、見たという話を聞いたこともない。だが、その装置の考案にたずさわっている博学の士ならば、私は知っている。また、支柱を立てなくとも支点がなくても河川に橋梁を架けることができたり、それ以外にも、まだ聞いたことのない機械装置さえ造られているという。いままで存在しなかったからといって、疑いを抱くには当たらない、将来にも存在しないとは限らないからだ。そこで、おまえに言っておくが、神はなによりもそのような事物の存在を望んでおられるのだ。それが神慮のうちにすでにあることは疑いを入れない、たとえオッカムのわたしの親友〔ウィリアム〕がそのような形での思念の存在を否定しようとしても。なぜなら、わたしたちには神の性格が決定できるからではなく、そこに何らかの限界をも設けることができないからだ」このように矛盾する命題を師の口から聞いたのは、そのときに限らなかった。それにしても、すっかり年老いてあの当時よりはるかに賢明になったはずの私に、いまなお完全に理解しがたいのは、どうして師がオッカムの親友にあれほどまでの信頼を寄せていたのかという点であり、と同時にまた口癖の一つでもあったベーコンの言葉に、師があれほどまでに全幅の信頼を寄せていたのかという点だ。ともあれ、確かに言えるのは、あれが暗い時代の渦中の出来事であり、いかに賢明な人物であっても矛盾のうちに思索を進めなければならなかったということである。』
ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

日本福祉大学
オープンキャンパス

~書籍のご案内~
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!

↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 
一般社団法人大学支援機構

↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 
サイバー・ホスピタル

2019年2月10日日曜日

20190209 対話形式1998年のこと【イノベーションに関連して】

おかげさまで、昨日投稿分の記事も投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1170に到達します。そして当面の目標としている1200記事まで残り30記事となりますが、これはあまり急がず、具体的には四月くらいまでに到達出来れば良いと考えています。

そういえば、先日投稿した記事である『「イノベーション」について思ったこと』も多くの方々に読んで頂けましたが、ここで述べたことには特に新しいことはなく、歴史・戦史などの分野では通俗的な知識であると云えます。とはいえ、こうした「イノベーション」の背景とは思いのほかに重要であり、以下に、それに関連すると思しき対話形式の文章を示します。
時代:1998年6月頃
場所:小田急線下北沢駅近くの喫茶店
A「そうですか、Bさんも***に就職が決まりましたか、それはおめでとう。それで勤務地はどこになるのですか?」

B「ええ、どうもありがとうございます。つい先日、内定者の集まりがありましたが、勤務地が決まるのはもう少し後になるとのことでした。会社は北海道から九州まで事業所がありまして、勤務地がどこになるかはまだ分かりません・・。それでも一応希望勤務地は首都圏と書いて提出しました。・・多分難しいとは思いますが・・。」

A「はあ、そうですか・・。まあ初めの勤務地は勝手知ったる場所ではない方が良いと思いますよ・・(笑)。」

B「・・そんなものですか・・しかし、私は元々首都圏の人間ですからね。出来るだけ早いうちにこっちに戻ってきたいと思うのですが、どうなのでしょうか?」

A「うん、多分まだ分からないと思うけれども、君くらいの年の頃は、色々な地域に行った方が良いと思うよ。それで、その後になってから、また大学院に進みたいと考えるのであれば、その時の方が良い選択が出来るのではないかな・・。」

B「ええ、そのあたりが未だ経験がなくて、よく分からないので何とも云えませんし、それでも先日説明を聞きにいった**大学大学院のヨーロッパ文化専攻はとても興味深く、面白そうで自分に合っているようにも思われたのですが・・。」

A「まあ、数年後になって君がまだ**のヨーロッパ文化専攻に行きたいのであれば、またその時は相談に乗りますが、でも、とりあえずはそうですね・・三年くらいは会社で働いてみるのが良いと思いますよ・・。」

B「・・しかし、先生はストレートで院に進まれたのですよね?先生はそれで良かったのですか?」

A「うん、私も当時は色々と悩みましたし、結局違う大学の院に行くことなったことは、君も知っていると思うけれども、私の場合、あまり他の選択肢は考えませんでしたね・・。それで、そうであったから君はとりあえず数年働いてみるのが良いと思うのです・・。ストレートで院に行くのは、正直なところ、あまりツブシが利かないので、おススメできませんよ。」

B「ふーん、そんなものですか・・。そういえば先日、大学院進学について親に話したところ『文系分野の院に行ったってツブシが利かなくなるだけだから、ちゃんと会社に就職した方が良い。』と云われまして、それでA先生のことを話したところ『ああいう人はそれで良いんだ。それにその分野の研究者で食べて行ける人なんて本当に少ないのだから、それはそれでA先生も苦労しているはずだ・・。』というようなことを云われました・・。そうするとA先生の専攻分野の方々は、研究者以外でしたら他に何になることが出来るのですか?」

A「うーん、たしかに現在の日本では、大学の研究者以外にあまり道はないかもしれないけれども、私が留学していた国では、この専攻分野の院を出て普通に企業に就職することもあったし、あとは軍や政府機関に就職した方もいましたね・・。それに向こうの企業には企業参謀といった私のような背景を持った人々が結構いるのです。しかし、たしかにそういった社会環境は日本の企業文化にはないかもしれませんね・・。ここ日本ですと、歴史とか国際関係論などはあまり実用的な学問とは見做されていないようですが、本質的にはそれは間違いなのです・・。向こうの連中は歴史や思想とか哲学があるからこそ、企業や組織が機能して、さらには発展することが出来ると考えているようなところがありますね・・。」

B「・・はあ、そんなものなのですか・・そうすると、向こうでは先生のような背景を持った方々が企業や組織で参謀のような仕事をしているのですか・・。それはたしかに日本の会社とは違うかもしれませんね・・。」

A「うん、ですから、そういったことを確かめるためにも、とりあえずは良い会社に就職出来たのだから数年間はそこで働いてみなさいよ。多分そこで勉強になることも沢山あるだろうし、そして、その時になって考えが変わったら、また相談に乗りますよ。」

B「ええ、そうですね。どうもありがとうございます。それで先生はこの後どうされるのですか?」

A「ああ、今日は仕事が少し早く終わったから**の実家に帰ります。ですから、ここからは井の頭線で渋谷に出てから**線ですね。・・あ、そういえば、今度うちのゼミ生を連れて外務省外交史料館に見学に行く予定なのですが、君も就職が決まって時間があるのでしたら、ご一緒にどうですか?」

B「はあ、外務省外交史料館ですか・・。それは面白そうですね。空いている日でしたら是非行きたいと思います。」

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。


*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。


~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前からつい先日までに日本列島各地・特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害によって被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しております。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 





2018年4月17日火曜日

20180415 昨日投稿記事から思ったこと 背景学問の重要性について・・

昨日の天気予報によると本日は終日降雨とのことでしたが、結局のところ夜に至るまで雨は降りませんでした。また、昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。しかしながら、当記事は作成はしてみたものの、その内容が、これまでにブログ記事として述べた内容と異なることから、上手く書くことが出来たように思われません。

傾向として、当ブログでは、我が国の近現代史であれば概ね戦前・戦中までを題材として扱い、そしてその中から看取された特徴・傾向などを現代社会に照らし合わせ、記事として述べてきたと云えます。そして、昨日記事にて、はじめて戦後冷戦期を題材として記事を作成しました。また、書いた後になり気が付いたことですが、おそらく当記事作成の背景には先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』そして同じくDVDにて観たスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』からの影響があったのではないかと思われます。特に後者映画作品に関しては最近映画を観る習慣が乏しくなった中で久しぶりに観ましたが、かなり面白く、以前に好んで観たフレデリック・フォーサイス原作の映画とも通じる部分が少なからずあるように思われました。

ともあれ、そうした自身の近況と昨日、地中海東岸某国にて生じたことが反応し、昨日の記事作成におよんだと云えますが、しかしながら、その記事はさきにも述べた通り上手く書けたように思われないのです・・(苦笑)。また、そうした実感を通じ、これまでに半ば当然のように作成してきた歴史を題材とした記事に関してもまた、機会を見つけ新たに再検討を行う必要性を考えるようになりました・・。また、それと同時にブログ記事といえども、ある程度確からしい内容を書くことを試みるのであれば、その分野における血肉化された知識・知見の重要さを改めて知りました・・(苦笑)。

さて、さきに挙げたスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』は冷戦期の国際情勢を知るために有益な一作であると思われ、出来ればロジャー・ドナルドソン監督の『13デイズ』そしてスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』あたりと一緒に観ることにより、さらにその理解は深まるものと思われます。しかしながら、こうしたことを書いておりますと、不図、文系分野での師匠の話し口調が思い起こされるのです・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに列島各地において発生、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。



~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

ISBN978-4-263-46420-5






2018年4月6日金曜日

20180405 永遠回帰・シューシュポスの神話? 議論よりも上意下達が効率的と考える社会・・

一昨日から読み始めた中央公論社刊 吉田 裕著 『日本軍兵士』をさきほど読了しました。やはりこの分野の著作に関しては比較的スムーズに読むことが出来るようです。

また、この著作を読んでいて思い出されたのは同じく中公新書の高田里恵子著『学歴・階級・軍隊ー高学歴兵士の憂鬱な日常』であり、内容の陰惨さ、もしくは我が国社会が持つどす黒い部分への言及については後者の方がよく描かれていたと思われます。

しかし一方で、前者に関しては、新書にて戦地における我が国の歯科医療を扱ったという意味で大変意義深い一冊であると考えます。

また、昨日投稿分記事にて述べましたが、前者は現在この時期に刊行されたということ、さらには、それが数多く売れていることもまた、何かしら示唆するものがあるのではないかと思われるのです。

しかしながら、昨今時折見聞します我が国近現代史に関する声高にして強気なご意見とは、さきに挙げた二著作あたりを読むことにより、少なくとも懐疑的にはならざるを得ないと思われるのですが、そうした現象もあまり見受けられないことから、前者は数多く売れているにもかかわらず、そこからの直接的な影響は思いのほかに少なく、さらには思想や読まれる著作もまた、居心地が良いように棲み分け、あるいは、体よく分断されているのが現代のインターネットを基盤とする情報化社会が持つ特徴と云えるのかもしれません。

あるいは、当ブログが幸運なことにこれまでに炎上しなかった原因もまた、そうした状況にあるのではないかとも思われます。また、これらのことを総合的に考えてみますと、古くから我が国社会は議論が好まれない社会であると云われ、また近代初期においては、そうした状態を改める試みも行われましたが、結局のところそれらは広く社会に根付き、自転運動を起こすには至らず、時代を経るごとに徐々に衰退し、そして顧みられなくなっていったと云えます。

そしてまた、おそらく1945年以降の戦後期においても同様の動きがあったと思われるのですが、現代の我が国社会を省みるに、またさきの近代化以降における試みと同様、その動きも衰退し現在に至っているのではないかと思われるのです・・。

おそらくこれは偶然などではなく、我が国社会が持つ傾向・特徴を端的に示すものであると考えます。そして今更再び議論出来る社会を上からの意向(威光)によって構築・醸成することは、おそらくコスパに合わない(笑)ため、その代わりに、あまり無理のない、我慢強い日本人ならば耐え切れなくもない上意下達システムの洗練の方向へと収斂していくのではないでしょうか(笑)?

また、こうした社会においては、当然の如く文学などよりも、より多くの人々が楽しめるマンガの方が価値あるものとして見做されるようになると思われます・・(苦笑)。

しかし、果たして本当にそれで良いのだろうか・・?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から
現在までに、列島各地において発生したもしくは現在も継続し発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の安全の確保そして復興を祈念しています。




~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5























2018年2月26日月曜日

20180226 現時点で分からないことにも『意味』があることが多いのかもしれない・・【物語から】

おかげさまで昨日の記事投稿により総投稿記事数が910に到達しました。これまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、これはあまり区切りの良い数字ではありませんが、これにより残り90記事にて1000記事に到達することになりました。また、今月二月内も引き続き記事の作成・投稿をすることにより、来る5月内での1000記事到達の可能性がより高まります。

とはいえ、以前にも少し触れましたが、ここに来てあまりブログ記事の着想が得られない状態となり、現在もまた、多少逡巡しながら、かように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

さて、そうするうちに、こうした時には比較的読まれているブログ記事を題材として文章を先に進めれば良いのではないかと思い付き、現在のそうした記事を調べてみますと、それは『地域特性≒在地土着女性の性質・・?』となっていましたが、その理由とはよく分かりません・・(苦笑)。

記事作成を継続していますと、こうしたことは度々生じるのですが、その理由について考えてみても、さきのように適当と思しき考えが浮かぶことは殆どなく、また同時に記事作成に対しても前向きな効果は乏しいと思われることから、こうした考察とは生産的ではないのかもしれません・・。

しかし同時に、こうした経時的な区切りにて読まれている記事の傾向に全く意味がないということではなく、それは単に現時点の自身では理解することが出来ないものの、何らかの(あるいは大きな)『意味』があるのではないかとも考えます。

そして、そうした『意味』の存在を心のどこかで認めつつも、同時にそれをあまり気に留めないで現在の記事を作成し続けるといった一種鈍感とも云える『感覚』とは、案外重要ではないかと思われます。

その感覚とは、たとえば、ある著作を当初は意味が分からないながらも読み進めていくことにより、徐々にその意味を理解出来るようになり、そして、ある程度にまで至ると、その意味を概ね理解出来るようになり、さらに進んでは、その著作の理解・読解の仕方とは、それで良かった・正しかったのではないかとも感じられるに至るといった感覚です。

そして、この感覚に近いものを描いている作品が方向性は異なりますが夏目漱石著の短編集『夢十夜』の第三夜ではないかと考えます。

この作品は自身の見解としては怪談に分類されると考えますが、一方において、そのハナシの構造自体はおそらく怪談のみに適応されるものではなく、さきに述べた(太字部分)ことに対しても応用可能な構造を持っているのではないかとも考えます。

それは、暗中模索から徐々に周囲の状況が明らかになっていき、そして最終的に全体の状況の認識に至るといった感じであり、類似した構造を持つ他の作品としてシェイクスピアの『マクベス』が挙げられるのではないかと考えられます。

当初三人の魔女からの予言を受けたマクベスとバンクォーがその予言に翻弄され、そしてコトバとしてはまさしくその予言通りになっていくといった構造は、さきの夏目漱石の『夢十夜』の第三夜とは若干筋が異なるものの、当初は予言といった暗示にはじまり、そこから徐々に周囲の状況が変化し、明らかになっていき、そして最終的に全体の状況の認識に至るといった経過自体については共通しているのではないかと思われます・・。

また、こうした構造とは怪談もしくは悲劇などにおいては効果的に共感を呼ぶのであるかもしれませんが、逆にこの構造を成功物語などに応用した場合『あまりにも出来過ぎている感じ』を受けてしまうことから、そうした構造を持つと思われる成功物語とはバーネット夫人による『小公女』ぐらいしか思いつきません・・。

とはいえ、何れの方向(悲劇・成功)であったとしも、こうした構造自体は全体性の認識を希求する我々の精神が持つ一つの普遍的傾向を示しているのかもしれません・・。
【さて、我々日本人もまた果たして同様であるのか・・?】

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年
、列島各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
師匠による新たな著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5










































2018年1月15日月曜日

20180115 一つの基礎研究が行われるまでの過程について・・

本日、日中の首都圏はこの時候にしては、かなり暖かったのではないかと思われます。

また、気のせいであるかもしれませんが、今年に入ってから多少日照時間が長くなったようにも感じられます。

とはいえ、春になるまでは今しばらく時間が掛かるようですが、その一方で、このブログは本格的に春を迎える前に、とりあえずの目標である900記事までは到達したいと考え、さきほど新たに記事作成を開始した次第です(笑)。

さて
、ハナシは変わりますが、以前専攻した歯科理工学分野の実験室には、かつて実験に使用したと思われる器具・材料が豊富にあり、院生当時はそれらを用いて様々なことを(好き勝手に)行っていた記憶があります・・。

たとえば当時試料として用いていた部分安定化ジルコニアは以前にも書いたように酸化安定状態であり、これに対し還元炎をあてることにより脱酸・還元され、金属ジルコニウムとなるのではないかと考え、バーナー(ブローパイプ)の還元炎を持続的にあてたことがありました。

これにより、たしかにジルコニア表層がわずかに金属光沢らしきものを示すようになりました。

これを師匠に報告しますと、研究者らしく多いに興味を示し、まずこの試料をいくつか複製させ、その表層を回転研磨機にて研磨し、表層の金属光沢らしきものが表層に付着したコンタミの炭化物ではないことを確認し、さらにX線解析にかけました。

すると、通常の部分安定化ジルコニアでは見受けられない金属ジルコニウムのピークが部分的ではあれ観察されたことから、還元炎の持続的な焼射により、部分的にではあるもののジルコニアは金属ジルコニウムに還元されることが分かりました。

この還元炎とは歯科鋳造において日常的に用いるバーナー(圧縮空気によるブローパイプ)にて得られたものですが、師匠はこれに飽き足らず、さらに強力なコバルトクロム合金用のバーナー(圧縮酸素を用いたブローパイプ)にて焼射し、さらには当時(2009~2010頃)歯科臨床・技工用として注目されていた複数種類のレーザー照射機を用い、さまざまな条件にてジルコニアに照射し、その形状および組成の変化の具合を観察・分析しました。

師匠によるこの一連の実験作業はれっきとした基礎研究ではありますが、一方において、その契機となったものは研究室の院生等があまり考えずにバーナーにて還元炎をジルコニアに焼射したことなのです・・(笑)。

ともあれ、その後、我々もそれら試料の観察や分析を行うこととなりましたが、おそらく優れた研究者にとっては、発見・研究の対象となるものは世の中に数多く存在し、あるいは一面において、そうした視点にて現象・事物を観察・認識することの重要さを師匠は我々に伝えたかったのかもしれません・・。

また一方において、そうした基礎研究による知見に留まらず、実際の臨床にて、どうにかそれを生かそうと考えるのもまた一つの異なった才能であるようにも思われます・・。

それ故、研究者も他の職種と同様、その才能・得意とするところはさまざまであり、それらが連携・協力することにより、何かしら新たな面白いことが創造されていくのではないかとも思われます・・。

列島各地にて近年生じた地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域の復興を祈念しています。

昨年より
再び活発な噴火活動をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。

書籍の宣伝となりますが、師匠による新たな著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。
御興味ございましたらどうぞよろしくお願いいたします。


著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5

↑
当著作第6章が当ブログ記事に関連があります。

2017年11月29日水曜日

ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」平凡社刊pp.32-36より抜粋

南北戦争(1861~65)において、実戦で役立つ機関銃が初めて現れ、それ以後、機関銃は急速に発達する。発展の舞台は、ほぼアメリカに限られるので、本書もこれから先はこの国を中心に論じることになる。
1860年には、アメリカはイギリスに次ぐ世界第二の工業国となっていた。なかでも、それまで熟練工がやっていた仕事を引き受ける機械の発達と、それらの機械を一つの工場に集めたという点で、他のいかなる国よりもはるかに先を行っていた。こうした工業的優位には、いくつかの理由がある。最も重要な理由は、19世紀初期のアメリカが深刻な人手不足に悩まされていたことだろう。
新しい工場が労働力を確保するためには、高賃金を支払わなければならなかった。製品の値段をあまり上げないとすれば、この高い賃金で雇った労働力の生産性自体を高めるしかない。
そこで、労働者一人当たりの生産性を高めるために、機械と合理化された集中生産設備が導入されることとなった。
二番目の理由として、初期に使われていた機械のうち、完全にアメリカ製のものはごくわずかしかなかったという事実が挙げられる。
殆どの機械はすべてヨーロッパのデザインもしくは製品を模倣したものだった。
しかし、こうした機械を初めて活用したのはアメリカ人だった。というのも、アメリカには、機械化された自分たちの伝統的な生活様式を脅かすものとみなす組織だった職人階級が存在しなかったためだ。
実をいえば、機械の能率に頼らず人間の技能を基になんらかの大量生産の試みに取り組める職人など、そもそもほとんどいなかったのである。
機械的な大量生産方式の先駆者、イーライ・ホイットニーは、こうした生産方法を取り入れた理由を簡潔に述べている。
その目的は、「長年の訓練と経験によってのみ培われる職人の技能を、正確で能率的な機械作業に置き換えることである。その種の技能は、わが国ではいまだに一定の水準に達していない。」こうして「物を作る機械を作るための新しい方式が、アメリカで生まれた。それは単純ではあったが、広範な影響を及ぼす変化であったため、伝統や制度、確立された技能に支えられたヨーロッパでは受け入れられるのがむずかしかった。」
かくして、アメリカ人は世界のどの国よりもずっと早く機械化された産業に依存するようになっていた。
さらに、こうした機械そのものを製造しなければならず、それも単なる人間の技能の限界ではなく、機械の能力という観点から考えなければならない必要性から、より高性能の機械を作り出すことに精力を傾ける専門家の集団が登場してきた。
この結果、工作機械産業の最初の重要な発展が見られ、切削、研削におけるさまざまな金属の特性が研究されるようになった。
そして、機械ならほとんど正確に、まったく同じ寸法の部品を何度でも作れるという特質に新たな関心が集まった。
19世紀アメリカでは、「人間ではなく、機械が専門家となったのである。」機械への依存は、もう一つかなり重要な側面を持っている、ごく初期から、工作機械はつねに小火器の製造ときわめて密接にかかわっていた。
どの国の軍隊でも、たえず同一の装備、たとえば武器、軍服、装具などを大量に必要としていたことを考えればおそらくこのつながりをよく理解できるだろう。
しかし、なかでもアメリカは特殊なケースだった。ヨーロッパの軍の発注、とりわけ銃の注文に対しては、昔から何人もの銃工たちが力を合わせて請け負うことになっていた。
16世紀から18世紀のあいだ、軍事技術はほとんど停滞状態にあったため、どの国の軍隊も、一度に大量注文を出さずに、長年こつこつと銃を蓄えることで、とくに問題を生じることはなかった。
しかし、アメリカでは職人の作った銃を蓄えておくという歴史もなく、さらに軍の需要を満たすだけの銃工がいなかった。
しかも19世紀はじめの軍の発注は特に急を要した。なぜなら「15年前、独立を勝ち取ったときに使っていたマスケット銃はフランスなどヨーロッパで作られたものだったからだ。
(中略)それ以来、アメリカでは軍の武器がほとんど作られていない。(中略)事実上、この国は無防備状態といえる。」この事態を解決するには新しい技術者たちに頼るほかなかった。
この分野での偉大な先駆者がホイットニーだった。1798年、アメリカは何の軍備も整わないままフランスとの戦争に突入しようとしていた。そこでホイットニーは、向こう二年四ヶ月以内に一万丁のマスケット銃を製造するという契約を政府と交わした。実際には、契約通り銃を納め終わるまでに十年の年月を必要とした。しかしここで重要なのはホイットニーが納期を守れなかったことではなく、このような早い段階ですら、アメリカでは、武器の製造と工作機械の結びつきがしっかりと確立されていたという点である。
この時代、初めて実用に耐えうる機関銃がアメリカに現れたという事実については、認められるかぎりで、主な理由が三つある。
まず第一に、19世紀初期のアメリカ社会の特殊性にために、生産能力を増強したいと思えば、機械化と効率的な生産方式に頼らざるを得なかった。
そのことが、より複雑な機械の製造に関する新たな専門知識と関心をもたらし、より耐久性のある金属と、ますます高い精度が問題にされるようになった。
第二に、こうした工作機械の発達がつねにアメリカの小火器産業の発展と密接な関連を持っていたことである。
したがって、信頼性のある機関銃を作るという難問を最初に解決したのがアメリカ人であったことは、さほど驚くにあたらない。
第三に、もっと一般的なレベルで、このような機械への依存が、機械のもつ無限の可能性という新たな信仰を、そして十分な努力を続けさえすればどんなものでも自動化できるはずだという信念を、生み出したことである。
したがって、アメリカ人が最初の機関銃を製造するための道具とノウハウを持つようになったのはごく自然なことであり、また同じように、殺人をクランクを回すかボタンを押すという次元の問題に変えてしまうことを本気で願ったのがこの国の人間だったというのも、まったく理に適ったことではないだろうか。
以上が、性能のいい自動火器がアメリカで発展するための前提条件だった。しかし、この武器が実際に日の目を見るようになるためには、もう一つ、きわめて特殊な事件がかかわっていた。それが南北戦争である。すべての専門家が口を揃えて言うように、この南北戦争こそ、まぎれもない史上最初の近代戦であり、ここで初めて新しい技術の威力が発揮されたのである。


機関銃の社会史
ISBN-10: 4582532071
ISBN-13: 978-4582532074

2017年7月25日火曜日

20170725 角川書店刊 会田雄次著 『日本人の忘れもの』1974 初版 pp.69-74より抜粋引用

角川書店刊 会田雄次著 『日本人の忘れもの』1974 初版
pp.69-74より抜粋引用
ASIN: B000J9OAC6
『もう一つ、古い日本のことを述べる。
たとえば、日本の失ったものという場合だが、最初は深刻な例と、それからあとはごく卑近な例をあげよう。私は今度の戦争に行ったとき、第一線の擲弾筒兵という一兵卒だったが、マラリアにかかって、ビルマのラングーンの病院へ後送された。百万坪もあるラングーン大学を接収して開設されたビルマの最根幹の大兵站病院である。そこへ連日前線からなだれを打ったように、インパール作戦その他での重傷病患者が送られてくる。無謀きわまる作戦強行で日本軍は崩壊状態に陥っていたのである。みんな幽鬼のような姿だ。
軍医さんも、看護婦さんも、衛生兵も、全然手がまわらない。そこで私たちのような軽患者ーといっても重症なのだがー使役にかり出された。私が当たったのは収容病棟の使役であった。前線からどんどんはいってくる傷病兵をいったんそこへ入れて、それから軍医さんが診断し、あるいは看護婦さんがより分けて傷病別並びに部隊別に本来の病室へ入れる。
そういう臨時の収容所である。そこの食事を運んだり、大小便の始末をしてやったり、包帯を取りかえてやったり、どんどん死んでいくものだから、死んでいく人のお墓ー穴を掘ったり、そういうことをするわけである。大学の大講堂が収容病棟に当てられていたが、そこには大理石とチーク材の床があった。天井にはシャンデリアがある。それはつかないで細々とした防空用の電灯がついている。屋根があり窓があり、床があり、三人ほど一緒に寝かせたが、とにかくベッドがある。そこへはいってきた兵隊はー私もそうだったがそんなところ、何年も見たことがないわけである。床がある、ベッドがある、屋根がある、壁がある、おまけに電灯までついているというようなところにはいった兵隊は、安心のあまり全部腰を抜かしてしまう。しかも、そこに日赤の看護婦さんがいたのだ。彼女らが、そのときは神さまみたいに見えた。婦長さんは四十五・六の人だったが、これはみごとな婦長さんだった。日常では、もう声が出なくなっている。私らに命令するときは、かすれはて判別できないような声しか出ないのだが、患者を迎え慰めるときは声が出るのである。はいってくる兵隊は、ちょうど私たちがいたときは、インパールで負けた関東の弓部隊など現役兵の兵団の兵たちが、顔じゅうぐしゃぐしゃになったといった重傷で入って来る。水虫患者というのが入院してきたので水虫で重症患者とは一体どんなのかと思ったら、直径一〇センチもある穴が二十幾つあいていて、そこへうじ虫がいっぱいたまっているという、そんなのがはいってくる。彼らは気もすさびはてているが、そういう患者の一人一人に「兵隊さん、ご苦労さんでした。もうここまで来たんだから、安心してゆっくり養生して早くよくなってちょうだいね。すぐよくなりますよ。皆元気を出して」ということを言って回られた。そんな天国で、現役兵の年齢からすればちょうど母のような女性からそういう声をかけられるものだから、みんな、涙をぼろぼろこぼす。兵隊は皆子供のように声をあげて泣いた。安堵のあまりその翌日死んでしまう兵士も多い。お母さんのもとへ帰ってやれやれ安心というようなその童心に帰った死顔の目を閉じてやりながら私は無性に悲しかった。その婦長さんは、私らが退院してしばらくたって原隊へもどって来た「追及者」から聞いた話によると、そうやって声をかけているうちにふっと声がとぎれて、へなへなとすわられたと思ったら、それでもう最後だったそうだ。まさに立往生である。平均二時間ぐらいしか寝られないで、一五〇日ぐらい頑張ったとか。そんなことをしておられたから、精も根も尽き果てたのだろうと思う。この婦長さんに接したとき、どんなに荒れすさんだ重症の兵隊も、涙を流した。担架に天幕やドンゴロスをかけたりして運んでいる重症患者でも、もぞもぞとその天幕の下が動く。全員、手がしぜんに前に行き、合わさっているのである。「婦長さんに後光がさして見えた」とあとで皆そう言った。日本の昔の女性というのは、家庭だったら、ともかく全身全霊をあげて、よいにしろ悪いにしろ、封建的道徳であるにしろ、夫のため、子のために生きたのである。母というものはそういうものかもしれぬ。フランスでも昔ではそうだったのであろう。フランスのある若死にした詩人が「お母さん」という題で「私のお母さん、私の幼いときに死んでしまったけれども、そのお母さんのまぼろしが私の前に浮かぶ。
それは全部白いかっぽう着をつけて木履をはいて、働いている姿だ。料理を作っている、ミシンを踏んでいる、掃除をしている、そういうお母さんだけれども、それは皆私たちにおいしい食事を、私たちに暖かい着物を、私たちに清潔な部屋をと働いている。自分のもの縫っていたことない。
寝てるお母さん見たことない。
まぼろしのその白いエプロンのお母さん。
その姿は円光につつまれている」と、こういう詩を書いていたのを私は記憶にある。
かつてそういうものだったのだろう。
兵隊たちが見たのもそういうものだった。
私も入院時この婦長さんの姿にはっきり認めた。
何か光につつまれている感じで、四十二度という熱にうなされながら手を合わせ涙がとどまらなかったのである。
私たちの中隊はあとから補充を合わせ三百数十人いた。
その中で生還できたのはニ十数人でしかなかった、ほとんどが栄養失調による病飢死である。
死期が近づくと皆手を合わせて、何かつぶやいている。
「またなんだかぶつぶつ言ってるぜ、もう駄目なんだ」。
私たちはそう言い合ったものだ。多くの兵士は農家出身だ。
満州事変以来何度も応召してきている。
昔の農家だとか小さな商店など、男手がなくなったらどんなみじめなものか、いやというほど思い知らされた。
勝っているときでもそうなのだ。しかも今度は負けらしい。
おれはもう死にそうだ。あとに残った子供はどうしていくだろうかという想いにとらわれたとき、兵隊は家族と一緒に写した写真を出して、「お母さん、頼みます」「女房、頼む、子供だけは頼む」と願うのだ。
はじめ、何をしているんだろうと何気なしに問い合わせた私に「貴様のような坊ちゃん学生兵隊におれたちの気持ちがわかるか」と激しい語調で友人が教えてくれたことである。
そのとき皆の両手は思わず前に合わされている。頼むと拝んでいるのだ。私たち兵隊は不信心な、いわゆる「悪いやつ」ばかりだったかも知れぬ。夫として平生の生活には母や妻にむくいることきわめて少なかったに違いない。
そういう夫たちの心の奥にやはり拝む心があった。
母の姿、妻の姿に後光がさして見えたのである。それは献身への全くしぜんな感応というべきものでなくてなんであろう。今の日本の妻も、日本の母親も、完全に後光を失っている。現在の夫の、子供の誰が妻に対して、母親に対して手を合わせるのだろうか。母は子供にとってもよき遊び相手だろう。姉さんにはなれるかもしれない。妻は夫の遊び相手、ときには相談相手になれるだろう。しかし、絶対に夫の手がしぜんに合わさるような存在ではない。今の日本はアメリカナイズされたのでろうが、今の三十代のお母さんが手にとって、子供から「お母さん」と言って、しぜんに手を合わせられるということはないだろう。封建制度の否定のもとに、日本の女性は、男の心の中、夫の心の中、子供の心の中にある後光を、もう永遠に失った。これがあるかぎり人間は、最後の破滅の前にそこへすがりつけるのである。
ゲーテのいう「永遠の女性的なるもの」もそれである。しかし、アメリカにはそれがない。「ええい、LSDを飲もうか」ということになったり、妻の殺し方というのがあって、女房に毎日ガラスの粉をちょっとずつやったら、十五年たったら死ぬというような、そんな本が出るわけである。
私たち兵隊は、冗談まじりにではあるが、万一帰還できたら、もうどんなことがあっても女房には炊事、洗たく、掃除、一切させない。
床の間に上げて、毎日拝んで暮らす、おふくろともなればもちろんのことさ、などというようなことを言っていた。
もちろん実際上そんなことは続かなかったけれど、しかし冗談にしろ床の間に上げて拝んで暮らすのだとは、当時の女性にはその円光があったために出た言葉であろう。
いまやそれを失った戦後の女性は権利としてのいろいろなものを得たが、放棄したこの後光を考えるとき、ほんとうにそれが幸福といえようか。』