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2025年11月5日水曜日

20251104 黎明期の試作機である私について

 当記事を含めて、残り2記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。さて、以前にも当ブログで述べたことがありますが、私は2007年に修士(経済学)を取得後、歯科技工専門学校に入学し、歯科技工士としての専門教育を受け、2009年に歯科技工士免許を取得して、歯科生体材料学を専攻分野として大学院博士課程に進学、2013年に博士(歯学)を取得しました。

 現在では、国内に4年制の歯科技工士養成課程を有する大学が2つあり、広島大学が2005年、東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)が2011年に、それぞれ設置されています。それ故、私が博士号を取得した2013年当時、仮に最初の学士課程の入学生が順調に進学されていたとしても、博士課程3年目にあたる段階であり、修了には至っていなかったと見込まれます。つまり、その時点で修士課程を経て課程博士を修了した歯科技工士の事例はほとんど存在せず、私の修了は、ごく初期、あるいは日本初であった可能性もあると考えています。

 キャリアパスが整備される以前に、異分野の修士課程を経て、歯科技工士として進学が妥当と云える歯学分野の博士課程に進み、どうにか修了にまで至ったことは、巨視的に見れば、我が国の歯科技工士教育と歯学分野の学術研究とを結節する、ごく初期の試みであったと云えます。

 現在では、4年制大学での課程を卒業された歯科技工士の方々が、大学院修士課程、さらに博士課程へと進学する事例も聞かれます。そうした整備された道を歩まれてきた方々と比べますと、私などはまるで、黎明期の試作機、あるいは不格好な多砲塔戦車のような存在と云えるかもしれません(苦笑)。しかし、そうした時期であったからこそ、特有の創意や自由闊達さもまたあったのではないかと思われます。

 とはいえ、その過程には以前にも述べました通り、さまざまな困難があり、決して順風満帆なものではありませんでした。そうしたなか、2012年、教授(師匠)も准教授の先生もおられない状況で、担当させていただいた鋳造および鑞付けの歯科理工学実習では、研究室の先生方からご許可を頂き、人文的な話題を随所に交えながら実習を進めることができましたが、これは余程、自分の性質に合致していたのか「それまでの人生がこのためにあったのだ!」と感じられるほどの経験であり、それだけに、今なお強く記憶に残っています。

 それでも、学位取得後の道のりもまた、決して平坦なものではなく、まさに紆余曲折を経るものでした。黎明期の人間として、その不完全さなどネガティブな面全てを含めて、まあ自分らしい経路であったのではないかと思われるところですが、今後は、これまで培った経験を活かしつつ、若い世代の医療専門職の方々が、より自然に人文書に興味を持ったり、臨床と研究とを往還出来るような環境の整備に微力ながら関わりたいと考えています。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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2020年1月19日日曜日

20200119 昨日の続き、歴史の理解・認識について

さて、昨日投稿分の記事にて「歴史の理解・認識」について書きました。その主旨は、歴史など手に触れたり、見ることが出来ない、所謂「抽象的」なものに対しては、それについて書かれたさまざまな著作を読み続け、油絵の重ね塗りのようにして、その様相を理解・認識していくといったものでしたが、それと同時に、その歴史と同時代に作成されたさまざまな物を通じた理解・認識もまた、重要であると云えます。

そして、それら双方による理解・認識を通して、はじめて明瞭・クリアな歴史像を得ることが出来るように思われます・・。たとえば、具体的なハナシとしては、和歌山県和歌山市の紀ノ川北岸に立地する大谷古墳から、我が国では出土が珍しい戦闘時の馬に装着する「馬冑」というものが出土しています。この「馬冑」は、古来から乗馬文化を持っていた北東アジアを淵源とするものであり、中国北部や朝鮮半島の墳墓からも出土、さらに墳墓内壁画での描写、副葬品陶俑での表現などが見受けられます。

我が国における「馬冑」の出土は、さきの和歌山県、その他は福岡県、埼玉県の古墳からの3例のみであり、それらの時代はいずれも5~6世紀代とされています。また同時に、この時代は、記紀が伝えるように朝鮮半島内部での国々の争いに、ヤマト朝廷が派兵していた時期でもあり、そこから、おそらく上記3古墳の埋葬者は、この朝鮮半島への派兵に強く関与していたと考えるのが妥当と云えます。

つまり彼等は、ヤマト朝廷の朝鮮半島派兵に従って渡海し、現地にて「馬冑」を入手したのではないかということです。とりわけ、さきの大谷古墳に関しては、5世紀後半に在地豪族である紀氏に属する紀小弓また、その子である紀大磐が朝鮮半島での軍事活動に従事したという記録があることから、その信憑性は高いと云え、あるいは大谷古墳に前記二者(紀小弓・大磐)のいずれかが埋葬されていなくとも、同時期に朝鮮半島派兵に従った紀氏に連なる誰かが埋葬されているとも十分に考え得ることから、さきの「馬冑」の出土と、その背景にある記録されている歴史像は、整合性を持ち結節することが出来ると云えます。

そして、そのようにして抽象的な歴史像と同時代における作成物を重ね合わせますと、そこには、単に抽象的とは云いきれない、具体的なイメージを伴った歴史像が形成され得るのではないでしょうか。また、こうしたことは、歴史を扱ったマンガ・映画などにおいてはその評価をも左右する極めて重要な要素であると云えます。とはいえ、欧米で製作された歴史を題材とした映画と、我が国のそれを比較しますと、我が国の場合、製作された時代が現在に近づくにつれ、その描写が「必ずしも妥当とは云えない」といった作品が多くなっているという印象を受けます。あるいは端的に、我が国の歴史を題材とした映画作品は、全体的に過去と比べ、背景となる歴史への考証が必ずしも適切に為されていないといった感じを受けます。

この意見には、おそらく異論を持たれる方々も少なからずいらっしゃるとは思いますが、それでも、いくらか、そうした作品を読み、観てきた私からしますと、どうしても、そのような印象を受けるのです・・。さて、皆様、こうしたことについて、どのようにお考えになるでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
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2019年10月22日火曜日

角を矯めて牛を殺すよりは・・と同調圧力?【20191022】

まず初めに、先日の台風19号による被害から未だ復旧していない諸地域の速やかな復旧を祈念いたします。

さて、おかげさまで去る10月13日投稿分の『鹿児島での出来事について(変性意識?)』がコピペ先のアメーバブログにおいてランクインしました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

この『鹿児島での出来事について(変性意識?)』のような、いわば自身の経験を述べた記事がランクインすることは、記事作成者としては、たとえば書籍からの抜粋引用部を記事としたものがランクインすることと比較して、やはり相対的に嬉しく、そしてまた事後の記事作成の意欲にも繋がってくると云えます。

その一方で、ここ最近もまた、いくつか書籍を読んでおり、それら著作内記述も大変興味深と思われることから、現在のような記事作成に際しては、自身の文章あるいは書籍からの抜粋引用何れかで行くのかについて、多少考えてしまいます・・(苦笑)。

最近読み進めているいくつかの著作もまた、歴史を扱ったものであり、そのうちの一つである我が国の近現代を扱った著作は比較的硬質な文体の、どちらかといえば専門書に類するものであると云えますが、この著作はこれまでに読んだ我が国近現代を扱った著作のなかでも、内容的に大変興味深く、また、その著された年代を感じされることが少ないことから優れた著作であると云い得ます。

これまでに私はある程度、さまざまな歴史についての著作を読んできたと考えますが、そのはじまりについてはあまり精確に遡ることは出来なく、少なくとも、文字を知る前の段階から、家にあった写真やイラストが割合多く載った分かりやすい歴史についての書籍を好んで読んでいた(ページを捲っていた)記憶は残っています。

その後、小学生になりますと「マンガ日本の歴史」や「マンガ世界の歴史」といった本を毎日飽きもせずにランドセルに詰めては通学電車内で読んでいました・・。さらには小学校の卒業アルバムに載せた自分のキャッチフレーズには「歩く歴史書」と書いていました・・(苦笑)。

そして、そうしたことを思い起こしてみますと、よくもこの年齢に至るまで、多少断続的であった時期はあるものの、継続して、この分野の書籍を読み続けてきたものであると、我が事ながら多少自分の「頑固さ」を不憫にも思います・・。

また、こうした長年にわたり継続している所謂、比較的強い性質とは、一般的に他面において影の部分も強く・濃く形成するものであり、おそらく自身は、出来ることと出来ないことの差が激しい、あるいは端的に「つじつまが合わない」といったような性質を有しているのではないかと思われます・・(苦笑)。

この性質については、幼少期からボンヤリと思い続け、現在に至り割合明確に思うことは「私は自分のこの性質に合った仕事に就かないとダメだ・・。」であり、また他方で「自身のこの性質(歴史好き)は必ずしも捨てたものではない・・。」といった経験に基づく信念のようなものもいくらかか明瞭化してきたと云えます・・。

小学生の頃から、歴史に関して、本当の興味・関心に基づいて話すことが出来る相手がいなく、中学校では、かなり変わった学生が多い学校に進んだことから、多少その芽は伸びて、そしてその先の高等学校では、かなり自由な校風ではあったものの、自身の歴史に関する興味・関心は、周囲の多くの学生と違うことにより多少浮いてしまい、無理に合わせようとして、より浮いてしまうといったことがあったように記憶しています・・。

こうした状況は大学においても同様でしたが、この時期は運動部に所属していたことから、書籍を好んで読むといったことはありませんでした・・。そして、部活を引退する少し以前、文系師匠と出会い、この時「世の中には私より強烈な方もいるのだなあ・・。」と感心を通り越して感激した記憶があります・・(笑)。

若い時期のこうした出会いは、なかなか重要なものであり、その後も社会において、こうした人物に出会うことなく過ごしていますと、物足りなくなり、そしていよいよ自分がオカシイのではないかと思うようになり「やはり自分は人文社会科学系の大学院に進むべきだ・・」と考えるようになり、周囲と相談し、ある程度の貯金をした後に会社を辞めて試験に備えました。

おそらく、ここまでは、どのようなルートであれ、自身の性質を鑑みるに概ね同じようなルートを辿ったのではないかと思われます。しかし、ここで自身が特筆すべきと考えることは、首都圏のそれまでの自身が慣れ親しんだ文化圏の大学院に進まず、自身がかつて職務にて在住した近畿地方辺縁といえる場所の大学院に進もうとしたことです・・。

それは「それまでの自分は、歴史を知っているつもりになっていたが、実のところ自分の国の古くから続く文化の積層、そしてその表層における現出とも云える、さまざまな民俗文化については、ほぼ何も知らなかった・・。」といった一種の強い敗北感・挫折感のようなものが根底にあったからであると云えます・・。

私のヨーロッパ文化専攻への希望が地域学専攻へと変化した背景にはそうした事情があります。しかし、それが果たして良かったのかどうかは、今以て明確には分かりませんが、結局のところ進んだ近畿地方辺縁の大学院での院生生活や、周囲の方々、そして何より、そこでの読書量などを思い返してみますと、比較的良かったのではないかと思われます・・。

そして、そこでの院生生活を終える頃の私は、完全に、そして不可逆的に現在の私の原型になっていたと云えます・・(苦笑)。


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。







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2019年9月29日日曜日

【20190929】太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」

先日来からいくつかの著作を読み進めていますが、そのうちの一つは、内容的には専門書に近いと云えますが、同時に以前読了した司馬遼太郎著「翔ぶが如く」とまさに同時代を扱っているものであることから、難解と感じられる部分は多々ありつつも、どうにか読み進め、そして年内に読了に至れば御の字と考えています・・(笑)。

また、他の読み進めている著作については、昨日、一昨日でいくつか読了しました。それら著作では、太平洋戦争における複数戦場地域を、記録されたその様相を踏まえて述べていることから、ある意味において大変痛ましく、読んでいて自然に眉間にしわが入り、目が細くなってきます・・。

ここ最近になり実感することは、こうした著作は、その記述の大半が事実を述べたものであることから、心身を消耗させ、何やら絶望的に気分にさせられます。しかし、それは近現代において大規模な敗戦を経験した国々であるならば、同様であるはずなのに、我が国については、母国であることから、その生活文化をある程度理解していると感じられるところに根差すものと云え、その程度は相対的に深いと云えます・・。

つまり、自身の理解している我が国の生活文化と、それら太平洋戦争戦場について述べた著作の記述との間に、連続性・近しい関係が多いに認められることから、必然的にやるせなさ、そして絶望感を感じさせられるのだと云えます。

そのように考えてみますと、夏目漱石著「吾輩は猫である」そしてロバート・グレーヴス著「この私、クラウディス」双方に記述がある「シビュラの書」についての説話の持つ意味合いが理解され、そしてまた同時に、当説話の背景である古代ローマ帝国の後裔を自認する西欧諸国くわえて、その派生と評し得る米国において、単なるゼスチャーとしてでなく「歴史」が学問として重んじられている意味合いの輪郭をボンヤリと理解することが出来るのではないかと思われます。

そして少なくとも、その点において我が国は、他の敗戦国であるドイツをはじめ、西欧諸国そして米国と比べ、低い段階にあるか、あるいは、違った認識の方向の先にあると云えます・・。

我が国においては、未だ先進国並みと評し得る理系学問分野を基盤とする諸技術と比して「歴史」をはじめとする人文社会科学分野が前述の状態であることには、やはり生活文化に大きな挫折を負った太平洋戦争後からではなく、それよりはるか古くから続く、何らかの原因があると考えます。そして、この原因が、これまた何らかの原因によって、大きく変わること、あるいは今後ある程度の年月を経て、漸進的に変化していくことがない限り、おそらくまた我が国は直截的な流血は伴わないにしても、太平洋戦争終盤における各戦場地域であったような悲劇、否、惨劇を繰り返してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。

そういえば、ここまで書いていて不図、思い出したことは文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。


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2019年9月21日土曜日

20190921 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33

 『私たち主従が行動を共にしていたあいだは、規則的な生活を送る機会があまりなかった。とりわけあの僧院に着いてからは、真夜中に目を覚ましたり昼間から疲れて眠りこんでしまったり、規則的に聖務日課に加わることはなかった。けれどもまだ旅から旅を続けていたころには、終課の後にまで師が目を覚ましていたためしは滅多になく、つねに節度ある習慣を保っていた。それが、あの僧院に入ってからは、しばしば生じたように、一日中薬草園を歩きまわって、緑玉や翠玉を探すみたいに、植物を調べていることがあった。あるいは地下聖堂の宝物庫を歩きまわって、朝顔の茂みを除きこむみたいに、緑玉や翠玉の鏤められた手箱に見とれていることもあった。あるいはまた、一日中文書館の写字室に籠って、自分の楽しみ以外の何ものも求めていないといわんばかりに、写本をめくっていることがあった。(私たちのまわりでは、日一日と、身の毛よだつばかりの殺され方をした修道僧の死体が殖えていったというのに)。ある日など、師は自分の没頭している仕事のために神さまへの務めなど気にかけていられないと言わんばかりに、やたらに僧院の中庭を歩きまわっていた。私が学んだ修道会ではこういう師の行動とはまったく違ったやり方で日課が定められていたから、思いきってそう言ってみた。すると師は、宇宙のすばらしさは多様性のうちの統一性にあるばかりでなく、統一性のうつの多様性にもあるのだ、と答えた。そういう返事は無教養な経験論に基づくもののように思えてなっらなかったが、後になってから、理性の働きはあまり重要な働きはしないという言い方で、師と同郷の人士たちが事物を規定することを知った。
 あの僧院では共に日夜を過ごしていたあいだ、師のほうは書物に積もった塵や、仕上がったばかりの細密画の金粉や、セヴェリーノの施療院で触れた黄色い物質などで、いつも両手を汚していた。それはまるで両手を使わなければ考えは進まない、と言わんばかりの態度であり、当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは〈不倫ナ者〉であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった。)師の手が非常に壊れやすいものを、たとえば細密画を施し終わったばかりの手写本や、古くなって無酵母パンのようにもろくなり、崩れかけたページなどを取り扱うときには、少なくとも私の目には、師が並はずれて繊細な触角の持主であり、職人が自分の機械仕掛けに触れるときとまったく同じ手つきをしているように見えた。じじつ、いずれ述べることになろうが、このように風変りな人物であった師は、旅行用の袋のなかに、当時は私などが見たことも聞いたこともなかった道具類を所持していて、これを大切な機械類と称していた。機械とは技工の現れであり自然の模倣である、と師はいつでも言っていた。また、機械によって再生されるのは自然の形態ではなくて、作用そのものであるとも。こうして師は、時計の仕組みや天体観測器や磁石の秘密などを、私に説き明かしてくれた。しかし初めのうち、私はそれらを魔術のように恐れていたので、晴れた夜に師が(奇妙な三角形の道具を手にして)しきりに星座の観測を繰り返していたときなどには、眠っているふりをした。私がイタリアの各地や自分の故郷で知りあったフランチェスコ会修道士はみな素朴で単純な人たちばかりで、なかには文盲の人も少なくなかったから、師があまりにも博学の士であることに驚いてしまった。けれども師は微笑みながら、彼の故郷の島に住むフランチェスコ会修道士たちも自分とはまったく別種の人間だ、と私に言った。「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師とも仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。〈動物ニ牽カレナクトモ猛烈ナ勢イデ動ク車、サラニハ空飛ブ機械。人ハソノ機械ノ真中にスワリ、何ラカノ装置ヲマワスト、巧ミニ作ラレタ翼ガハバタイテ、鳥ミタイニ空ヲ飛ブデアロウ〉そしてごく小さな装置で非常に重いものを持ち上げるようにようになり、海底を進む乗物さえ造りだされるときが来るであろう」
 どこへ行けばそのような機械にお目にかかれるのかとたずねると、師はすでに古代において造られた例がある、そして私たちの同時代にはいくつか造られている、と答えた。「ただし、例外は空飛ぶ機械だ。これだけはわたしもまだ見たことがないし、見たという話を聞いたこともない。だが、その装置の考案にたずさわっている博学の士ならば、私は知っている。また、支柱を立てなくとも支点がなくても河川に橋梁を架けることができたり、それ以外にも、まだ聞いたことのない機械装置さえ造られているという。いままで存在しなかったからといって、疑いを抱くには当たらない、将来にも存在しないとは限らないからだ。そこで、おまえに言っておくが、神はなによりもそのような事物の存在を望んでおられるのだ。それが神慮のうちにすでにあることは疑いを入れない、たとえオッカムのわたしの親友〔ウィリアム〕がそのような形での思念の存在を否定しようとしても。なぜなら、わたしたちには神の性格が決定できるからではなく、そこに何らかの限界をも設けることができないからだ」このように矛盾する命題を師の口から聞いたのは、そのときに限らなかった。それにしても、すっかり年老いてあの当時よりはるかに賢明になったはずの私に、いまなお完全に理解しがたいのは、どうして師がオッカムの親友にあれほどまでの信頼を寄せていたのかという点であり、と同時にまた口癖の一つでもあったベーコンの言葉に、師があれほどまでに全幅の信頼を寄せていたのかという点だ。ともあれ、確かに言えるのは、あれが暗い時代の渦中の出来事であり、いかに賢明な人物であっても矛盾のうちに思索を進めなければならなかったということである。』
ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33
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2019年2月10日日曜日

20190209 対話形式1998年のこと【イノベーションに関連して】

おかげさまで、昨日投稿分の記事も投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1170に到達します。そして当面の目標としている1200記事まで残り30記事となりますが、これはあまり急がず、具体的には四月くらいまでに到達出来れば良いと考えています。

そういえば、先日投稿した記事である『「イノベーション」について思ったこと』も多くの方々に読んで頂けましたが、ここで述べたことには特に新しいことはなく、歴史・戦史などの分野では通俗的な知識であると云えます。とはいえ、こうした「イノベーション」の背景とは思いのほかに重要であり、以下に、それに関連すると思しき対話形式の文章を示します。
時代:1998年6月頃
場所:小田急線下北沢駅近くの喫茶店
A「そうですか、Bさんも***に就職が決まりましたか、それはおめでとう。それで勤務地はどこになるのですか?」

B「ええ、どうもありがとうございます。つい先日、内定者の集まりがありましたが、勤務地が決まるのはもう少し後になるとのことでした。会社は北海道から九州まで事業所がありまして、勤務地がどこになるかはまだ分かりません・・。それでも一応希望勤務地は首都圏と書いて提出しました。・・多分難しいとは思いますが・・。」

A「はあ、そうですか・・。まあ初めの勤務地は勝手知ったる場所ではない方が良いと思いますよ・・(笑)。」

B「・・そんなものですか・・しかし、私は元々首都圏の人間ですからね。出来るだけ早いうちにこっちに戻ってきたいと思うのですが、どうなのでしょうか?」

A「うん、多分まだ分からないと思うけれども、君くらいの年の頃は、色々な地域に行った方が良いと思うよ。それで、その後になってから、また大学院に進みたいと考えるのであれば、その時の方が良い選択が出来るのではないかな・・。」

B「ええ、そのあたりが未だ経験がなくて、よく分からないので何とも云えませんし、それでも先日説明を聞きにいった**大学大学院のヨーロッパ文化専攻はとても興味深く、面白そうで自分に合っているようにも思われたのですが・・。」

A「まあ、数年後になって君がまだ**のヨーロッパ文化専攻に行きたいのであれば、またその時は相談に乗りますが、でも、とりあえずはそうですね・・三年くらいは会社で働いてみるのが良いと思いますよ・・。」

B「・・しかし、先生はストレートで院に進まれたのですよね?先生はそれで良かったのですか?」

A「うん、私も当時は色々と悩みましたし、結局違う大学の院に行くことなったことは、君も知っていると思うけれども、私の場合、あまり他の選択肢は考えませんでしたね・・。それで、そうであったから君はとりあえず数年働いてみるのが良いと思うのです・・。ストレートで院に行くのは、正直なところ、あまりツブシが利かないので、おススメできませんよ。」

B「ふーん、そんなものですか・・。そういえば先日、大学院進学について親に話したところ『文系分野の院に行ったってツブシが利かなくなるだけだから、ちゃんと会社に就職した方が良い。』と云われまして、それでA先生のことを話したところ『ああいう人はそれで良いんだ。それにその分野の研究者で食べて行ける人なんて本当に少ないのだから、それはそれでA先生も苦労しているはずだ・・。』というようなことを云われました・・。そうするとA先生の専攻分野の方々は、研究者以外でしたら他に何になることが出来るのですか?」

A「うーん、たしかに現在の日本では、大学の研究者以外にあまり道はないかもしれないけれども、私が留学していた国では、この専攻分野の院を出て普通に企業に就職することもあったし、あとは軍や政府機関に就職した方もいましたね・・。それに向こうの企業には企業参謀といった私のような背景を持った人々が結構いるのです。しかし、たしかにそういった社会環境は日本の企業文化にはないかもしれませんね・・。ここ日本ですと、歴史とか国際関係論などはあまり実用的な学問とは見做されていないようですが、本質的にはそれは間違いなのです・・。向こうの連中は歴史や思想とか哲学があるからこそ、企業や組織が機能して、さらには発展することが出来ると考えているようなところがありますね・・。」

B「・・はあ、そんなものなのですか・・そうすると、向こうでは先生のような背景を持った方々が企業や組織で参謀のような仕事をしているのですか・・。それはたしかに日本の会社とは違うかもしれませんね・・。」

A「うん、ですから、そういったことを確かめるためにも、とりあえずは良い会社に就職出来たのだから数年間はそこで働いてみなさいよ。多分そこで勉強になることも沢山あるだろうし、そして、その時になって考えが変わったら、また相談に乗りますよ。」

B「ええ、そうですね。どうもありがとうございます。それで先生はこの後どうされるのですか?」

A「ああ、今日は仕事が少し早く終わったから**の実家に帰ります。ですから、ここからは井の頭線で渋谷に出てから**線ですね。・・あ、そういえば、今度うちのゼミ生を連れて外務省外交史料館に見学に行く予定なのですが、君も就職が決まって時間があるのでしたら、ご一緒にどうですか?」

B「はあ、外務省外交史料館ですか・・。それは面白そうですね。空いている日でしたら是非行きたいと思います。」

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数年前からつい先日までに日本列島各地・特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害によって被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しております。
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2018年4月6日金曜日

20180405 永遠回帰・シューシュポスの神話? 議論よりも上意下達が効率的と考える社会・・

一昨日から読み始めた中央公論社刊 吉田 裕著 『日本軍兵士』をさきほど読了しました。やはりこの分野の著作に関しては比較的スムーズに読むことが出来るようです。

また、この著作を読んでいて思い出されたのは同じく中公新書の高田里恵子著『学歴・階級・軍隊ー高学歴兵士の憂鬱な日常』であり、内容の陰惨さ、もしくは我が国社会が持つどす黒い部分への言及については後者の方がよく描かれていたと思われます。

しかし一方で、前者に関しては、新書にて戦地における我が国の歯科医療を扱ったという意味で大変意義深い一冊であると考えます。

また、昨日投稿分記事にて述べましたが、前者は現在この時期に刊行されたということ、さらには、それが数多く売れていることもまた、何かしら示唆するものがあるのではないかと思われるのです。

しかしながら、昨今時折見聞します我が国近現代史に関する声高にして強気なご意見とは、さきに挙げた二著作あたりを読むことにより、少なくとも懐疑的にはならざるを得ないと思われるのですが、そうした現象もあまり見受けられないことから、前者は数多く売れているにもかかわらず、そこからの直接的な影響は思いのほかに少なく、さらには思想や読まれる著作もまた、居心地が良いように棲み分け、あるいは、体よく分断されているのが現代のインターネットを基盤とする情報化社会が持つ特徴と云えるのかもしれません。

あるいは、当ブログが幸運なことにこれまでに炎上しなかった原因もまた、そうした状況にあるのではないかとも思われます。また、これらのことを総合的に考えてみますと、古くから我が国社会は議論が好まれない社会であると云われ、また近代初期においては、そうした状態を改める試みも行われましたが、結局のところそれらは広く社会に根付き、自転運動を起こすには至らず、時代を経るごとに徐々に衰退し、そして顧みられなくなっていったと云えます。

そしてまた、おそらく1945年以降の戦後期においても同様の動きがあったと思われるのですが、現代の我が国社会を省みるに、またさきの近代化以降における試みと同様、その動きも衰退し現在に至っているのではないかと思われるのです・・。

おそらくこれは偶然などではなく、我が国社会が持つ傾向・特徴を端的に示すものであると考えます。そして今更再び議論出来る社会を上からの意向(威光)によって構築・醸成することは、おそらくコスパに合わない(笑)ため、その代わりに、あまり無理のない、我慢強い日本人ならば耐え切れなくもない上意下達システムの洗練の方向へと収斂していくのではないでしょうか(笑)?

また、こうした社会においては、当然の如く文学などよりも、より多くの人々が楽しめるマンガの方が価値あるものとして見做されるようになると思われます・・(苦笑)。

しかし、果たして本当にそれで良いのだろうか・・?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から
現在までに、列島各地において発生したもしくは現在も継続し発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の安全の確保そして復興を祈念しています。




~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5























2018年2月26日月曜日

20180226 現時点で分からないことにも『意味』があることが多いのかもしれない・・【物語から】

おかげさまで昨日の記事投稿により総投稿記事数が910に到達しました。これまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、これはあまり区切りの良い数字ではありませんが、これにより残り90記事にて1000記事に到達することになりました。また、今月二月内も引き続き記事の作成・投稿をすることにより、来る5月内での1000記事到達の可能性がより高まります。

とはいえ、以前にも少し触れましたが、ここに来てあまりブログ記事の着想が得られない状態となり、現在もまた、多少逡巡しながら、かように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

さて、そうするうちに、こうした時には比較的読まれているブログ記事を題材として文章を先に進めれば良いのではないかと思い付き、現在のそうした記事を調べてみますと、それは『地域特性≒在地土着女性の性質・・?』となっていましたが、その理由とはよく分かりません・・(苦笑)。

記事作成を継続していますと、こうしたことは度々生じるのですが、その理由について考えてみても、さきのように適当と思しき考えが浮かぶことは殆どなく、また同時に記事作成に対しても前向きな効果は乏しいと思われることから、こうした考察とは生産的ではないのかもしれません・・。

しかし同時に、こうした経時的な区切りにて読まれている記事の傾向に全く意味がないということではなく、それは単に現時点の自身では理解することが出来ないものの、何らかの(あるいは大きな)『意味』があるのではないかとも考えます。

そして、そうした『意味』の存在を心のどこかで認めつつも、同時にそれをあまり気に留めないで現在の記事を作成し続けるといった一種鈍感とも云える『感覚』とは、案外重要ではないかと思われます。

その感覚とは、たとえば、ある著作を当初は意味が分からないながらも読み進めていくことにより、徐々にその意味を理解出来るようになり、そして、ある程度にまで至ると、その意味を概ね理解出来るようになり、さらに進んでは、その著作の理解・読解の仕方とは、それで良かった・正しかったのではないかとも感じられるに至るといった感覚です。

そして、この感覚に近いものを描いている作品が方向性は異なりますが夏目漱石著の短編集『夢十夜』の第三夜ではないかと考えます。

この作品は自身の見解としては怪談に分類されると考えますが、一方において、そのハナシの構造自体はおそらく怪談のみに適応されるものではなく、さきに述べた(太字部分)ことに対しても応用可能な構造を持っているのではないかとも考えます。

それは、暗中模索から徐々に周囲の状況が明らかになっていき、そして最終的に全体の状況の認識に至るといった感じであり、類似した構造を持つ他の作品としてシェイクスピアの『マクベス』が挙げられるのではないかと考えられます。

当初三人の魔女からの予言を受けたマクベスとバンクォーがその予言に翻弄され、そしてコトバとしてはまさしくその予言通りになっていくといった構造は、さきの夏目漱石の『夢十夜』の第三夜とは若干筋が異なるものの、当初は予言といった暗示にはじまり、そこから徐々に周囲の状況が変化し、明らかになっていき、そして最終的に全体の状況の認識に至るといった経過自体については共通しているのではないかと思われます・・。

また、こうした構造とは怪談もしくは悲劇などにおいては効果的に共感を呼ぶのであるかもしれませんが、逆にこの構造を成功物語などに応用した場合『あまりにも出来過ぎている感じ』を受けてしまうことから、そうした構造を持つと思われる成功物語とはバーネット夫人による『小公女』ぐらいしか思いつきません・・。

とはいえ、何れの方向(悲劇・成功)であったとしも、こうした構造自体は全体性の認識を希求する我々の精神が持つ一つの普遍的傾向を示しているのかもしれません・・。
【さて、我々日本人もまた果たして同様であるのか・・?】

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年
、列島各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。


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2017年4月2日日曜日

20170401 理想が社会、歴史に対し与える影響と世界的な動きについて・・

本日もまた特に確たる主題が決まらないままブログ記事作成を開始しました・・。
そこで、今週作成した記事について書いてみようと思います。
今週作成した記事の中で最も閲覧された記事は「スーパーに並んでいて不図思ったことから・・」であり、それはダントツといって良いと云えます。

そのため、この記事をあらためて読んでみたところ、その内容は、あくまでも自身が思ったところを述べたまでであり、特に新奇なことが書かれているわけでもありません・・。

とはいえ、そこに少し付け加えるならば一般的に我々は、各々の住んでいる場所、地域周辺に対して『のみ』何と言いますか『血の通った興味、関心』を持つことができると云えます・・。

しかし、それは特に悪いことでもなく、ただ我々の日常的な生活とは、概ね、そのような基盤の上に成り立っているものであると云えます。

もっとも、こうしたことにも地域性、国民性といったものはあり、それにより『血の通った興味、関心』を持ち得る範囲もまた幾分変化するのではないかと思われます。

そしてまた、世界で生じている、さまざまな出来事の報道などを見聞きしますと、その地域、国の人々が持ち得る『血の通った興味、関心を持ち得る範囲』といったものの一面が理解することが出来るのではないかとも思われます・・。

また、そうした考えとはベルクソンが述べた『閉じた、開いた社会』とも多少関係があるのではないかとも思われます・・。

とはいえ、このベルクソンの考えによる『開いた社会』は、あくまでも理想であり、現実にそのような社会とは、これまでに存在しないと云えます。

しかし、ここで重要なことは、そうした理想を広く社会にて『持つか、持たないか』であると考えます。

さらに、こうしたことは特に我が国をも含む世界の近現代史を考える上で示唆するものが大きいのではないでしょうか?

現在、世界各国にて排外的、求心、凝集的な動きが活性化していますが、こうした動きは20世紀以降の歴史を見ても周期的に生じていることであり、そして、そうした動きに乗る、便乗することは、一見安全策と見えて実は大変危険なことではないかとも思われるのです・・。

また、そうした動きに乗らずに(創造的に)乗り切りためには、先ほどのベルクソンが述べたような理想を『考え』として持つことが大事ではないかと思われるのです。

我が国が経験したさきの大戦においては大東亜共栄圏という理想がありましたが、それは実践の段階において、まさしく現実とのさまざまなギャップに苦しみ、またそこから野狐禅的に各々組織の自己利益が正当化され、後に敗戦によって、それは全て悪いものとされました・・。

とはいえ、その野狐禅的性質とは、現実において自身も含め、我が国の経済活動の実質的な指導原理となっているのではないかと思われることがあります・・(苦笑)。
(案外この歴史も古いのかもしれない・・。)

ともかく、こうしたことを考えてみますと、問題は『理想』の社会での浸透以前の、社会における内発的、能動的に考える姿勢の欠如、未発達であるように思われます・・。

これはおそらく教育が大きく関与していると思われるのですが、この点について、当然ではありますが、我が国とは、他の欧米を中心とした先進国と比べ、その基盤、背景となる歴史、文化が大きく異なると云えます。

しかし一方、具体的にそれは歴史、社会学者の多くが述べるような『圧制による負の遺産』ばかりでもないようにも思われるのです・・。

何れにせよ、こうしたことはもう少し考え続けなければならないのでしょう・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。







2017年1月1日日曜日

20170101 昨日の続き「人間力」「つじつま」について・・

本日の首都圏は元日にしては気温も上昇し、日中に関しては比較的過ごし易かったのではないかと思います・・。

また、このブログ記事に関しても本日の投稿は止めておこうと考えましたが、さきほどブログ閲覧者数を見たところ、思いの他多くの閲覧者を得ていたことから、書くことに決めました。


昨日のブログ記事においては西郷南洲翁(隆盛)のことを題材として取り上げました。


しかし、よくよく考えてみますと西郷隆盛に限らず、多くの歴史上の人物の個性・性格とは、関連するいくつかの書籍、資料などを読んでみますと(最近のテレビドラマのような)安易な解釈が出来なくなるように思われます。


このことを異言しますと、その人物の行った業績と個性、性格との間に矛盾が見られ、つじつまが合わないことが多いのではないかということです・・。


また、そうした個性、性格を持つ人物が比較的多く見出され且つ、現代に一番近い時代が、幕末維新ではないかと思います。


おそらく、この維新回天期とは、江戸時代、封建制の枠組みに抑えつけられていたさまざまな個性、性格が、枠組み(封建制度)の劣化、弱体化により、そのエネルギーがあふれ出てきた時代であったのではないでしょうか?


そうした時代では(封建)制度内においては有効であった個性、性格よりも、より総合的な現代でいうところの「人間力」を持っている人物の方が活躍する可能性が高いのではないかと思います。


そして、西郷隆盛をはじめ、日清、日露戦争(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)あたりまでに活躍した我が国各界首脳部の多くとは、主にこの「人間力」がその後の時代の我が国各界首脳部に比べ高かったのではないかと思います。


「ヒトが制度を作り、そしてその後は制度がヒトを作る」と云いますが、近代以降の我が国とは、ヒトが制度を作っていた時期(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)においては、比較的上手く国を運営することが出来ていましたが、その後、制度がヒトを作る時期(同後半部)に入りますと、何といいますか、つじつまは合っているが小さくまとまっている人物たちが各界首脳部におさまるようになり、彼等が国政を主導した結果として、数々の失策に続き、太平洋戦争の敗戦に至ったのではないかということが出来るのではないでしょうか?


そして、そのように考えてみますと、焦点を当てるべきは「ヒトを作る制度」ということになると思われますが、それをより具体的にいうと「教育制度」ではないかと思います。


しかしながら、昨今はいざ知らず、少なくとも近代以降の我が国の教育制度とは、概ね高い水準を維持してきたと国際的な見地からも認識されている(た)といって良いと思います・・。


そうしますと、その「教育制度」の中の如何なる要素が個々の「人間力」の増進に寄与しない、あるいは劣化させたのかと考えてみますと、それは初等、中等そして高等教育と段階分けされる教育制度全般のなかで特に高等教育において、そうした傾向が強いのではないかと思われます・・。


とはいえ、こうしたことは同じく昨今、さまざまなところで主張されていることではありますので、ここで特に強調しておきたいことは、そうした我が国高等教育の変革の必要性が認識されるにしても、その具体的な変革が反知性的な方向に舵を切らないようにした方が良い、あるいは卒業、修了後の社会において必要とされる技能、知識の獲得により重点を置くことは、むしろ歓迎すべきことではあるのですが、同時にそれが教養といった『ある種の学問への能動性』の活性化に寄与せず、逆に、その芽を摘み取ってしまうことにならないよう細心の注意をもって推し進めて頂きたいということです。

そして、これが現今の我が国高等教育およびその変革において重要なことではないかと思います。

また、追記すると、近代以降の我が国とは、そうした(一見些細な)ことを蔑ろにした結果、毎度、変な方向に行ってしまっているのではないかと思われることがあります・・。


とはいえ、これもまた煎じ詰めますと、我が国の極度に此岸性を重視する性質(国民性としての執拗低音、バッソ・オスティナート)の結果であるのかもしれませんが・・。



さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

2016年9月29日木曜日

20160929 昨日投稿のブログ記事に関連して・・主に書籍からの抜粋引用

昨日投稿した記事(主に書籍からの抜粋引用)と関連しているのではないかと思われる記述を以下に示します。
そして、ここまで記していて、昨日の抜粋引用部の著者である丸山眞男と本日のそれの著者である橋川文三とは師弟関係であるこが想起され、これは必然であるのかもしれませんが、なかなか面白く思われました・・(笑)。
さて、以下、抜粋引用部です。

岩波書店刊 橋川文三著 中島岳志編 「橋川文三セレクション」pp.2ー5より抜粋引用 

『われわれ日本人の生活意識もしくは文化形成契機として、「歴史意識」とよばれるものの作用はむしろ希薄であるというのが「通説」のようになっている。そのことは、卑近な日常の思考・行動様式においても、理論形成の内面的契機の問題としても、あるいは芸術的な様式活動の領域においても、同様に指摘しうるものとされている(たとえば上原専禄・加藤周一の対談「歴史感覚・歴史意識と歴史学」を参照―「思想」昭和三十二年五月号)。しばしば一種の通俗的な文化類型学的思想として、日本人の意識形態を古代ギリシャ人のそれに類推することが行われるが、その場合にも、芸術的感性の優越ということとならべて、「歴史」に対する無感覚ということが共通性の一つとされるのが普通である。ともあれ、「歴史意識」の欠如を説き、それを「持たなばならぬ」とするたぐいの発現は、われわれがしばしば耳にするところでもあり、そこにはさまざまな政治的評価もからんで、複雑な思想問題があらわれている。しかし、他方、「日本人は歴史観の上に生きることの強い国民である」(折口信夫「民俗学」-「歴史教育」昭和七年十一月、臨時増刊号)というような発言も、ごく当然のこととしてうけいれられるような状態があることも否定できないであろう。とくに戦前の教育をうけた世代にとっては、その内容がいかなる意味をもったにせよ、「歴史」からはなれて、思考や行動の意味をとらえるということはなかったともいえるのである。(そのもっとも極端な例をいえば、「八紘一宇」といった古代的イデオロギーが、少なくともたてまえとして、国民の行動原理として機能しえたのは、つい昨日のことである。)ここには明らかに概念規定における矛盾ないし困難がある。
日本人に「歴史意識」が薄いというのが真理であるならば、他方で歴史観における強さをいうことは虚偽でなければならない。(あらかじめいえば、私はそのとおりだと考える。)

そして、私は、折口のいう意味での歴史観を、コリングウッドにならって、擬歴史意識(Quasi-history)として区別することにしたい。

それなら、いわゆる「歴史意識」とは何か、このことを、予備的に検討しておくことがやはり必要であろう。まず明らかなことは、それは歴史という学問のことでもなく、歴史の知識ということでもないということである。
わが国においてもっともさかんな学問の一つが「歴史学」であることはこれまた「通説」であるから、そこに「歴史意識」が欠如しているということはありえないことになる。
また、当然のことながら、それはあくまで「意識」のことであって「歴史過程」そのものではない。
どこの国、いつの時代にも、それが存在したことは明らかである。三木清の用語にしたがえば、学問としての歴史は「ロゴスとしての歴史」、即自的な歴史過程は「存在としての歴史」ということになるが(「歴史哲学」参照、「歴史意識」はそのいずれのことでもない。
 それは「歴史感覚」というか、あるいは歴史経験というか、直接感じ方の問題として、現象の背後にある歴史的厚みを感じる実感」「その実感があるから、物事の歴史的発展が論理的にとらえられ・・・専門化して歴史学にもなる」(加藤周一、前掲対談)という、そういう性質のものにほかならない。つまりそれは「歴史学」はもとより、「歴史的認識」「歴史的思考」「歴史的態度」「歴史的立場」等々とよばれるすべてのものの根底にあって、それらと関連しながらも、基本的にはそれらと異なる『一種の精神的能力』のことである。それは、あたかも感性のアプリオリな諸形式が、人間認識の前提として与えられているのと同じように、意識に内在する、ある基本的な様式として考えられるものであろう。
したがって、心理的実質に即していえば、それは「感覚」のある作用とも考えることができる。たとえば、マイネッケがその著作の一つにVom geschichtlichen Sinn und vom sinn der Geschichte(「歴史感覚と歴史の意味について」―邦訳名「歴史主義の立場」)と題した場合などは、そこにいわれる「歴史感覚」は「歴史の意味(ジン)を感覚しうる精神作用のことであり、そのまま「歴史意識」と同じ意味で用いられたものである。それなら、本来の「歴史意識」とは何か?われわれはここで、端的にトレルチュが、それに与えた美しい規定を見ることにしよう。「・・・そういう気持(歴史的関心」もしくは歴史意識―引用者)は、人類の歴史的生活を出来る限り広く観察しようとする気持ちであり、またなんら一定の実践的目的を立てることなしに、ただ、人間存在の豊富・充溢・活発さを眺めて感激するような気持であるのです。この多種多様なる歴史的世界に現れて居るもの、またその多種多様な姿を現すことによって歴史的世界を観察する人の心に神の如き広さと大きさを注ぎ込んでくれるもの、それは尽くる所なき神の生命であり、働きである、という風に私共には見えるのです。」(歴史主義とその克服」邦訳一〇四頁)

マイネッケが歴史主義の根底にある歴史的感覚(=歴史意識)について「この新しい感覚のもっとも生命ある根元」は『人間および人間の形成物における個性的なものへの帰依』であると表現した場合にも、およそ「歴史意識」についていだかれている観念は、ほぼ同様といえるであろう。つまり、そこに共通していわれていることは、マイネッケがその名著「歴史主義の成立」の巻頭に掲げたゲーテの言葉に示されるあの個体的なるもの(Individuum est ineffabile―個体的なるものは語りつくせぬ)への意識、それが歴史意識であり、歴史主義の母胎だということである。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。







2016年9月14日水曜日

20160914 羽根、鋳バリ、銅鐸の鰭飾り・・

本日の首都圏もまた天候が不安定であり、小雨が降ったり止んだりといった状態でした・・。

また、よく読まれているブログ記事を見てみますと、よく読んで頂いているようであり、本当に感心し恐縮すらしてしまいます・・(苦笑)。

これら一連の記事を読んで頂いている皆様、どうもありがとうございます。

さて、これまで投稿したブログ記事も400からいくらか過ぎ、このまま順調に記事の投稿が為されたならば500記事もそこまで遠い先ではないことのように思えてきました・・。

自分で記すのも、おかしなハナシではありますが、よくもまあ、ここまで書き続けることが出来たと思います・・。

とはいえ、こうしたことをさらに長い間されている方々も特に珍しいわけでもありませんので、あくまでもこれは主観的な思いではありますが・・。

また、本日に関しても、ここに至るまで記す題材も特に定めているワケではありません・・(苦笑)。

そういえば、本日町中にて鯛焼きの美味しそうな匂いに誘われて、少し気を付けて見てみますと、そこに「羽根付き鯛焼き」と記されており「何故鯛焼きに羽根がついているのだろう?」と思い、しばし観察してみますと、どうやらこの羽根とは、鯛焼き作成時の周りの生地によるバリのことを指すようであり、これは同様に「羽根付き」と称される餃子と同じパターンのネーミングであることが分かりました・・(笑)。

しかし「何故このバリともいえる羽根があることがブランドになるのだろうか?」と考えてみますと、残念ながら、その適当な答えは思い浮かびませんでした・・。

その一方、同じく液状の物質を型に流し込み所望の外形、外観を得る技術として鋳造が挙げられますが、鋳造においてはこうしたバリとは絶対に避けるべきものとして考えられています。

そして、その鋳造時に生じるバリの主要な原因として、
埋没材の急加熱、鋳型への衝撃、埋没材の膨張差、埋没材の亀裂などが挙げられます。

これらは総じて何らかの原因(主に埋没材の急加熱、衝撃)による鋳型内部(パターン空洞部との接続部)の亀裂によって生じるものであるといえます・・。

こうした鋳造時に生じる鋳バリとは、我が国古代(弥生時代)における銅鐸においても、見出すことが出来、また、この鋳バリを起源として装飾へと転化、進化させたものが、縁に鰭のような装飾が為された大型(後期)の近畿式銅鐸であると言われており、私はこの説が妥当であると考えております。

また、そのような製作者あるいは使用者の心のメカニズムが同様にさきに述べた鯛焼きあるいは餃子における羽根のブランド化?にも転用、応用することが出来るのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか・・(笑)?

また、それに関連して、さきに述べた近畿式銅鐸の鰭状の装飾部(円型、渦巻き文様)のみがペンダント状に再加工され後代(古墳時代)の静岡県沼津市の遺跡から発掘、出土していることは、なかなか興味深く、これは住民の移住(近畿から静岡へ)を示唆しているのかもしれません・・。

そしてまた同様にそれは、以前当ブログにて抜粋引用しました谷川健一著の文章を裏付ける一つの要素となり得るのもしれません・・。


さきにも少し述べたが、我が国における青銅製祭器のなかで、特に我が国において特有と考えられるものが銅鐸である。

多くの場合、銅鐸はその出土に際し伴出物なく孤立し、しかも工事などの際に偶然見出されることが多い。

また、それら形状の多くは、我が国にて独特のものであり、周辺諸国に同じ形状のものがなかったことから、これを説明するため一種の仮説が立てられた。

それは現在の日本民族の祖先が渡来する以前の民族、原住民が作製したものであり、彼らが滅亡する際に、この青銅器を土中に埋め、侵入者に発見されることを避け、逃走したというものである。

しかしその後、銅鐸が他の青銅製祭器(銅剣、銅矛、銅戈など)および弥生式土器と一緒に出土、発見されたことから、銅鐸も我々の先祖が作製した弥生式文化事物の一つとして認識されるようになり、またその祖型とは中国、朝鮮半島における楽器の一種である編鐘(へんしょう)あるいは家畜の首にぶら下げる鐸(さなぎ)であるといった理解が為されるようになり、銅鐸もまたその祖型とは他の同時期の文化的事物と同様、中国、朝鮮半島より齎されたものと認識されるに至った。

銅鐸の出土分布は西日本に集中し、近畿、四国東半、瀬戸内、山陰に特に多いと云える。

また、この時代においては、後の古墳時代ほどではないにしても、実用的利器の素材としてはより有用な鉄を用いることも珍しくはなかったことから、実用的利器の素材として青銅とは、あまり重要でなかったものと考えられる。

これは九州北部を中心として四国西半、瀬戸内、山陰にて発見、出土される銅剣、銅矛においても同様のことが云える。

それ故、これら青銅祭器とは、中国、朝鮮半島から九州北部を経て主に西日本の弥生式文化圏へ伝播していったのであるが、それとほぼ時を同じくして鉄器文化もまた同様の経路にて伝来し、そこで利器素材としての価値を失った青銅とは祭器を主とした用途にしたものと考えられている。

ともあれ、一般的な世界史時代区分にて考えると、石器時代に次いで青銅器時代そして鉄器時代へと移行あるいは進化していくのだが、我が国の歴史において特徴的であることは青銅器と鉄器がほぼ同時に中国、朝鮮半島より齎されたということであると云える。

金属製品とは一般的に鍛造、圧延、切削などの方法により加工・製作されるが、その本質である優れた機械的強度により、かなり多くの労力が費やされると云える。

とりわけ複雑な形状の製品を製作する場合は困難であると云える。

そして、それを解決するための方法が鋳造であると云える。

鋳造においては金、銀、銅、鉄、亜鉛、スズ、アルミニウムなどを単独あるいはそれらを合金化して用いる。

鋳造に用いる合金、金属としては青銅あるいは銅がもっとも古いとされている。

以前の記事においても述べたが古代メソポタミア(両河地方)においては紀元前3500年頃すでにその合金が存在し鋳造に用いられていた。
 
また古代エジプトにおいては紀元前2000年頃より為され、古代中国においては殷・周の時代すなわち紀元前1500年以降が青銅器時代とされている。

わが国においては弥生時代にそれらが大陸、朝鮮半島からもたらされ、またそれは鉄器伝来とほぼ同時代であったことから明確に青銅器時代として区分される時代はなかったと云える。

昨今は弥生時代の鋳造遺跡が多く発見され、その最古のものは現在のところ和歌山県御坊市の堅田遺跡(紀元前200年頃)であるとされているが、おそらくほぼ同時期の西日本、特に北部九州地域などにおいては、鋳造技術とは特に稀なものではなかったと考えられている。

弥生時代における我が国の青銅器とは当初、渡来元の朝鮮半島にて製作されたが、後代に至り製作技術が流入・定着し当時の我が国の(地域ごとの)嗜好、文化にあわせた独自の青銅器の製作が為されるようになった。

その際、我が国にて製作されたのは銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸、銅鏡などであり、それら青銅器およびその鋳型とは、これまで主に西日本各地にて出土している。

また、こうした祭器の製造とは軌を異にするものであるか未だ不明であるが、統一国家の成立に至ると鋳造技術とは、貨幣の製造(造幣)と密接な関係を持つようになる。
これはある程度普遍的な歴史発展の図式、様相ではないかと考える。

世界最古の鋳造貨幣とされるものは紀元前700年頃、リディア(現在の小アジア・トルコ共和国西側)にて製造されたエレクトロン貨幣であり、これは自然に産出された金銀合金を材料として用いている。

また中国では紀元前200年代の秦の始皇帝の時代に貨幣鋳造が国家事業として為された。

我が国においては7世紀末天武天皇の御代に製造された富本銭、707年の和銅年間に製造された銅貨の和同開珎が古いものとして有名であり、その後、天平宝字年間(700年代中頃・淳仁天皇の御代)に我が国初の鋳造金貨である開基勝宝が製造された。

鋳造を行う職人をわが国では一般的に鋳物師と呼び、古くは大宝律令において大蔵省の典鋳司(いもののつかさ)の下におかれた雑工部に十名程度の職工官が勤務していた。

後代の鎌倉時代においては各地の村々にてさまざまな農工具を鋳込んだり、寺社などの招きにより梵鐘、仏像を鋳造するフリーランスとも云える職人も存在していた(このあたりを欧州における石工と比較して考察してみるのも面白いのかもしれない・・)。

さて、具体的な鋳造技術の種類としては平板の鋳型に溶湯を鋳込む方法、上下の型を合わせ、その中に生じる空隙に溶湯を鋳込む方法、そして実物を砂で埋めその実物を抜き取った後に溶湯を流し込む方法といったものが挙げられるが、歯科鋳造とは精密さが要求されることから、その用いる材料の選択にはじまり鋳造に至るまで細心の注意が払われる。